ほの暗い蜜色の……

 

彼はぼんやりと天井を見上げた。
霞みがかったような頭の中。  
全身が熱をもったように痛く怠い。
どうにか動かすことのできるらしい頭をギクギクと横に向けた。と、いつの間にどうして溜まっていたのか、透明なしずくが頬を斜めに伝い、清潔な白いリネンを濡らした。
「気がつきましたか?」  
気遣わしげな若い男の声。
「のど…渇いた……」  
それだけを返すのがやっとだった。
何日も喋らなかったように、喉がひりついて痛んだ。
「!!!」  
上半身を抱き起こされて、彼の全身が強張る。
「痛むんですか」
全身がバラバラになりそうだった。それでも、目の前に差し出された水で満たされたコップの誘惑のほうが勝っていた。
「焦らないで。少しずつですよ」  
冷たい水が、口腔を、喉を、潤してゆく。
それが嬉しくてコクコクと本能が命じるままに飲んで、むせる。
「だから言ったでしょう」  
背中を上下する手の感触。
涙目になりながら、それでも、ようやくのことでむせるのがおさまる。
まだ水が欲しかった。
「もう1杯?」  
うなづく彼に、相手は水差しからコップに水を注いだ。
人心地がついたのは、さらに2杯の水を飲んだ後だった。
そうして、彼はさっきからやさしく気遣わしげに自分に接している相手に興味を覚えた。
さらさらの黒い髪。小さな白い顔。細い弓なりの眉の下には、いくぶんか目尻の下がった金茶の瞳。すっと通った鼻梁に薄めのくちびる。くちびるは、ハッとするほどに赤い。
――全体的に女性的な形容詞を多用してしまう顔だったが、パーツパーツが描き出しているのは、男でしかありえない端整な白皙だった。
「あんた…誰だ? オレはどうしてここに……、ここ? オレ………オレ…は…………」
ヅクリと頭の芯が疼き、しだいに痛みを増してゆく。
「大丈夫ですか?」
ベッドの上にうずくまり震えている彼の背中をやさしく撫でながら、男のまなざしには隠しようのない喜悦の色が宿っていた。

両手で頭を抱えて震えている少年。
彼を精神的に追い詰め、ようやく手中に収めることができたのだ。  
不安に怯え縋りついてくる彼を抱き込み、『大丈夫。私が守ってあげますから』と、なおも追い詰めつづけた。
いつか、彼が、自分がそうだと考えつづけている現実に圧し潰されるように―――と。
本来おおらかで拘りのないような明るい性格の少年だったが、その心の奥底にある罪悪感を煽ることで意外にたやすく頽おれた。
夜な夜な叫び声を上げて目覚める少年の震えるからだを抱きしめて、耳元で囁いてきた。
『大丈夫。私が守ってあげますから』
トーンと内容のやさしさとは反対に、少年を呪縛するためのことば。
たくさんの死を見てきた少年だからこそ、この呪縛は強烈な影響力をもつのだ。
ようやく手に入れた少年の苦悩する姿は、彼にも苦痛を与えるものではあったが。それでも、彼が自分の腕の中にいる――それを実感するたびに、彼はこのうえない幸福を感じることができるのだ。
縋りついてくる少年の体温が、彼の心にほの暗い喜悦を芽生えさせる。
こんなことなど、ありえないと思っていた。
背中合わせに存在しつづけてきた、正義感にあふれた少年。
今その鳶色の瞳の中にあるのは、恐怖と怯え、それに深い罪悪感ばかりだったが。
少年に己の犯罪を見破られて死を選んだ悲しく愚かな犯罪者たちの幻影に、怯え震えつづける少年。
しばらくすると、少年は自分で自分を傷つけようとしはじめた。
少年が少しずつ壊れていっているのだと、わかっていた。
それでも、ようやくのことで手に入れた――そう、最愛の存在を手離すことなどできない。
そうして、彼が少し目を話した隙に、少年は幻影から逃れようとして、大怪我を負ったのだ。
あれが、事故だったのか意図しての自殺だったのか、彼にはわからない。
おそらく、少年自身にもわからないのだろう。
そうして、一週間。  
死んだように眠りつづけた少年は、過去を封印した。
彼の名前も自分の名前も、なにもかもを忘れて、怯え震えている。
その、あまりに哀れな姿が、彼――地獄の傀儡師と恐れられていた犯罪者にほの暗い喜悦を覚えさせるのだ。

「思い出せない」  
力ない少年の声に、地獄の傀儡師――高遠遙一が囁く。
「大丈夫。何も思い出す必要はありませんよ。ここにいるのは、君と私の2人だけです。忘れられるようなものは、それだけのものでしかないということですからね。名前など、なんの意味もなかったのだということに過ぎないのでしょう」
「でもっ」  
力のない反論と同時に顔を上げた少年が、高遠を見上げた。
ほの暗い蜜色のまなざしが、少年――金田一はじめの意識を絡め取る。
「でも? なんなのです」  
ゆらり…高遠のまなざしが、揺れる。  
惑わせるように。  
はじめを自分の中に取り込んでしまおうとするように。
はじめの意識に絡みつく見えない鎖。  
蜜色の呪縛。  
意識が遠退く。  
そのまま意識を手離したはじめをベッドに横たえ、高遠はくちづけた。
「愛していますよ」  
聞こえないとわかっていながらも、告げずにはいられなかったのだ。

日本から遠く離れた異国の地で、高遠ははじめを鎖しつづける。
いつか訪れるかもしれない破滅の日。  
そんな日が本当に来ても、自分がはじめを手放すことはないと、それだけが高遠にわかる確信だった。



終わり

2001/08/11


あとがき

 時猫さまに差し上げさせていただいた、SS。
 サイト閉鎖のため、こちらにアップ。
 時猫さま、おつかれさまでした。
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