異説 人魚姫



 闇の色した水面を分けて帆船が進む。
 上空には満月。
 星々がきらきらと輝く。
 深淵の底を思わせる漆黒の海に、天上の光が映っている。
 ゆたゆたと波打つ波頭が船底で砕けるたびに、船が波をかき分けて進むにつれて、新たな夜光虫の緑色の光が束の間わきあがっては消えてゆく。
 甲板にはあまたの篝火。
 それらもまた、波間にちらちらと輝く星屑のひとつと化していた。
 さんざめく煌人(きらびと)たちの衣擦れの音が、船足のたてる波の音に混ざって海上を漂う。


※ ※ ※


「海王さまははじめちゃんのことがお好きなのよ」
 ぷんと横を向く幼馴染み。珊瑚の椅子に腰掛けている美雪のそんなようすはとっても可愛らしい。淡いピンクの二枚貝の胸飾り。長い黒髪は艶やかで、珊瑚と真珠の首飾りや耳飾といっしょに、水の動きにあわせてゆらめいている。
「お好きなのよって……美雪。けどなぁ。いくらなんだって、オレがやることなすことことごとく突っかかってきやがって、挙げ句の果てに、手を出そうとすんだぜ。あれはないよなぁ」
 海王明智に抱きしめられてキスをされるのは、日常茶飯事だった。
「オレ、男だぜ?!」
「しかたがないじゃない。生まれる前からはじめちゃんってば海王さまの許婚者って決まってたんだから。先代のオババが、健やかな王妃さまがお生まれになられますようにって祝福をしたって言うのに、生まれてみればはじめちゃんってば、男なんだもん。少しくらい海王さまにやさしくしてさしあげたってバチは当たらないと思うのよ」
「なんだよそれ〜! オレが悪いってか。オレが悪いっていうのか?!」
 美雪に突っかかる。
「悪いに決まってるじゃない。はじめちゃんが女の子じゃなかったばっかりに、今の海王さまは男のお妃をお迎えにならなければならないのよ」
「いや、だからさ、別に、オレに固執せんでもええと思うんよ」
「どこのことばよそれ! 固執なさるわよ。わたしたち普通の人魚族は寿命だって100年くらいじゃない。けど、海王さまは違うんだよ。海王さまとお妃さま。おふたりだけは、ずーっとずーっと、わたしたちが死んじゃった何世代も後になるまで海に還られることはないんだよ。そうしないと、次の海王さまってお生まれになられないんだから。それくらい長生きするのって、淋しいのに。だから、海王さまの伴侶に決められたひとには、海王さまと同じだけの寿命と不老の祝福がかけられるんだよ。オババの一世一代の祝福なんだから。それ、もう、はじめちゃんにかかってるんだからね。他の人にかけられないんだよもう」
「なんだよ、それ〜!」
 オレが望んだことじゃないじゃんかよ。
「そんなの呪とおんなじじゃんか」
「何が呪なんです」
 涼やかな声音がはじめの背後から耳を射抜き、いつの間にやら肩に手がかけられた。
 ギクンとはじめの全身が強張る。
「海王さま」
 美雪が優雅に腰を折る挨拶をする。
「七瀬くんは相変わらず可愛らしいですね」
「ありがとうございます」
 美雪が頬を染めて恥らう。
「はじめは何を言って七瀬くんを困らせているんですか」
 声はやさしそうだが、手を掛けられている肩が痛い。ぎゅうと、きつく握りこんでくるのだ。
「な、」
 一方的に困らされてるのはオレのほうなんだよ〜と、主張しても、この場にはじめの味方はいない。
 いや、より正確に言うなら、この世界にはじめの味方はいないのだ。
 まさに四面楚歌。
 この世界のシステムそのものが、はじめを困らせるために存在しているかのように感じてイジケてしまう。
(オレどっかに行っちまいたい)
 世をはかなんだとしても、しかたがないと思うのだ。
 そう。
(オレは、女の子が好きなんだよ!)
 いつも喧嘩ばっかりしているが、幼馴染みの美雪のことをほのかに思っていたりするのだ。
 なのに、口にすることすらできない。
 いつだって、海王――明智が、自分のまわりに目を光らせているのだ。
 その理由が、抜き差しならない祝福とやらのせいだというのは判ったが。
 どうして、その祝福が自分に降りかかったのだろうと考えると、虚しくて仕方がない。
「今日は城に来る約束でしたでしょう」
 いつまで経っても来ないから、迎えに来たのですよ―――と、明智がささやく。
「忘れていたのですか?」
 じっとりと、明智がはじめを覗き込む。
 覗き込んでくるまなざしは、ガーネットの色。
 はじめの胸に揺れる真珠や珊瑚の首飾りの中、ひときわ暗い光を放つ赤い宝玉。
 忘れていたのじゃなく、忘れたふりをして行かないつもりだったのだ。しかし、それは、端からお見通しなのだろう。
 明智のまなざしの奥深くに、ぞっと背筋が震えるような何かを見たとはじめは思った。


※ ※ ※


 海王の私室に通されたはじめは、出された菓子をぱくついていた。
 男ではあるが、未来の王妃である。
 もてなしは最高のものだった。しかし、一心不乱に菓子をぱくついているかに見えるはじめの内心は、複雑だった。
 だって、ここに来ると名前で呼ばれない。少なくとも明智以外のもの達は、『王妃さま(確定)』と、呼ぶのだ。それは、本心からなのか、女ではなかったことに対する皮肉なのか、わからない。だけに、つい深読みをしてしまうはじめは居たたまれない気分になってくるのだった。
 明智の迫力に圧されて、ここに来てしまったが、どうせなら美雪と一緒に海上に出て空を眺めたかった。
 海の底とは違う、未知の世界。そこの住人達を乗せた船という乗り物が、時折り波を蹴立てて進む。
 はじめはそれを見るのが好きだった。
 何もかもが決められていて、しかもそれに逆らうことは許されない。そんな海の世界とは違い、きっと素晴らしいところに違いないと思うのだ。
 すっかりテーブルの上の菓子を食べつくしたはじめは、暇を持て余した。
「いつまでひとのこと待たせんだよ」
 無理矢理引っ張ってきておいて、それで顔を見せないというのは失礼じゃないか。
 しばらく無言のまま何事かを考えていたはじめは、ポンと手を打ち鳴らした。
「もう城に来たんだし、約束は果たしたよな。うん。いつまでも来ない明智が悪いんだ」
 と、独り語ち、自分を鼓舞する。
 ドアを開けたはじめは、
「王妃さまなにか?」
 衛兵と顔を合わせることになった。
「え? いや、べつに……明智が来ないなと思って」
(王妃〜? いくらなんでもその言い方はないんじゃないかぁ)
 内心で脱力しながら、言い訳をするはじめに、衛兵がにっこりと笑う。
「海王さまでしたら、もうすぐお見えになられますよ」
「あ、そう」
 ドアを閉めたはじめは、ドアに背もたれて部屋の中を見渡した。
 自然、視線は窓に向かう。
「あそこから出るしかないよな………」
 独り語ちて、窓に近寄って開く。
 外の海水が、生ぬるくなっていた室内の水と入れ替わる。
 王の私室は王宮の三階にある。眼下に広がるのは、深く切れた海溝で、断崖絶壁を越えた向こう側には峨々(がが)とした岩や珊瑚の林が広がっている。その向こう、珊瑚の林を抜け、海草の森を抜ければ、人魚の暮らす町なのだ。
 ふわんと浮き上がるように、全長三メートルはあろうかという竜宮の使いが海溝から現われ、窓から外を見ているはじめの目と鼻の先をひらひらとくねるような泳ぎで横切ってゆく。
 断崖絶壁に王宮が建っていることにどんな理由があるのだろう。
(浮力があっから、別に窓から出たって怪我もしないと思うんだけどな)
 よっこらしょとかけ声をかけてはじめが窓枠に足をかけた。
 その時、
「何をしているんです!」
 明智の声が部屋に響き、焦ったはじめがバランスを崩した。
「うわっ」
 窓の外に頭から落ちかけて、はじめは断崖絶壁に王宮が建つ理由を知った。
 突然頭上から襲いかかってきた水圧が、はじめを海溝の底へと沈めようとする。
 どんなツワモノもその底がどこまで続いているのか知らないという、深淵の底へと落とされれば、おそらく、死んでしまうだろう。
 そう思って目を閉じる。
 脳裏を駆け巡るのは、生まれてから十七年間の記憶だった。
「まったく、君は」
 呆れたような声が耳もとでして、恐る恐る目を開けた。
「げっ」
 目の前にあるものに思わず身を引こうとしたが、それは、がっしりと抱え込まれるように抱きしめられていて、できなかった。
 誰に?
 言わずと知れた、海王明智――に、である。
「げっとはなんです。げっとは! 助けてあげたのですから、お礼でしょう」
 深紅の瞳が、近づいて来る。
 そうして、はじめが反論する前に、しっかりと明智はキスを掠め取ったのだ。
「まったく!」
 椅子に腰かけさせられて、はじめは不貞腐れていた。
 頭上から降ってくるのは、明智のお説教である。
「窓から出ようとするなんて、未来の王妃という立場にあるひとのすることとは思えませんね。それに、私が間に合ったからよかったようなものの、間に合わなければ、君は間違いなく死んでいましたよ」
 そう言われて、返す言葉もない。
 突然頭上から襲い掛かってきた、あの凄まじいばかりの水圧を思い出して、はじめは震えた。
「あれは、仕掛けなのか?」
「そうですよ。窓から出ようとしたものは、皆、深淵の底に落ちる仕掛けになっています。もちろん、人魚だけにかぎってですが」
「なんで、そんな」
「ここは王宮ですよ。守りは完璧です」
 そんなものなのか………と思いつつ、とりあえず助かったことにほっと胸を撫で下ろしたはじめだった。が、それは、早すぎた。
「まだ聞いていませんでしたね」
 いつの間にか背後に回っていた明智が、耳もとで囁いた。
「?」
「どうして、窓から出ようとしたんです?」
 明智のいつもより低いトーンの響きに、はじめはその場に凍りついた。
 淡々とした言葉の底に、明智の怒りを感じたような気がしたのだ。
 背後から、明智の腕が抱きしめてくる。
 胸元にまわされた明智の掌の感触に、慄く。
 全身が小刻みに震え、冷や汗がしとどに滴り落ちる。
「私が来るのが待ちきれなかったから?」
 肯定しようとしたはじめに、
「それなら、ドアから堂々と出ればすむことですよね。衛兵に言付けを頼めば、私はすぐにここに来ましたよ」
「………………」
 冷や汗ばかりが流れ落ちる。
「それとも………逃げようとした? 一応城に来るという約束は果たしたから……とか?」
 ぎくんと、はじめの全身が、震える。
「やはり、そういうことですか。逃げようとしたのですね。………私から」
 抱きしめている腕が、ぎりぎりと、胸を締めあげてくる。
 苦しくて、怖くて、この場から逃げ出したい。
 しかし、明智の絞めつけてくる腕のせいで、立ち上がることさえできない。
「そんなに、私のことが、嫌いですか?」
 逃げる方法をめまぐるしく考えていたせいで、はじめは、明智のこの言葉を聞き逃してしまった。その上、考え出した逃げる手段にダメ出しをしたはずみで首を横に振ってしまった。
 それは、タイミングから考えれば、明智の問を否定したことになる。
 すなわち、『オレは明智のことが嫌いじゃない』と、そう言ったととれる。しかし、はじめは、必死になって逃げ出すことばかりを考えていたせいで、自分の犯したミスに気づいてはいなかった。
「嫌いじゃないということは、好きととっていいのですね」
 気づいた時には、遅かった。
「は?」
 ぽかんと口を開いて、いつの間にか目の前にいる明智の顔を見上げたはじめは、これこそ逃げ出すチャンスだと気づくのが遅れた。
「嬉しいですよ」
 明智は、満面の笑みをたたえてはじめを見つめている。
「はい?」
 近づいて来る明智の胸に両手を当てて突っ張るが、そんなもので抵抗できるはずもない。
「ひゃっ」
 腋の下に明智の手が当てられる。そのまま掬い上げるように抱き上げられて、明智の向かう先を知ったはじめが暴れ出す。
「やだっ」
「怖がらないで。やさしくしてあげますから」
 うっとりと囁く明智の言葉に、血の気が引く。
「やだっ! 明智なんか嫌いだっ」
 しかし、はじめの言葉は最早ストレートに明智には届かない。
 一旦こうだと思い込んでしまった明智にとっては、否定の言葉も愛しいひとの照れゆえの睦言にしか聞こえない。
 はじめを抱いたまま、明智は寝室のドアを開いた。


 かすかな音を立ててドアが閉まる。


 後には、はじめの悲鳴だけがかすかに聞こえてくるばかり。


 数日後、明智とはじめの婚儀が盛大に行われた。


おわり
start 12:49 2001/09/21
up 10:18 2002/07/15
あとがき
 一年近く寝かしていると、ネタが変わってしまいました。
 ほんとは高遠くんが陸の大魔法使いで、海王の明智さんとはじめちゃんを取り合いする話になるはずだったのですが………。文章も統一感がないです。なんか、ごめん、尻切れトンボな変な話になりました。
 少しでも楽しんでもらえると嬉しいのですが、どうでしょう?
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