おともだち 3




 もうじき十二月だった。
「木枯らしが身に染みますね」
 独り語ちた高遠が、大学病院の門をくぐり抜けた時だった。
「たかとーっ」
 聞こえるはずのない、懐かしくも愛しい声が、彼の耳を射抜いた。
「はじめくん?」
 見回すかぎりの視界に、四つ年下の親友の姿は、やはり、ない。
 知り合って、三年めの夏、――九才になったばかりのはじめは、大学卒業と共に、家族に連れられて、日本に戻ったはずである。
「馬鹿ですね」
 自嘲の笑みが、口角に苦い。
「高遠が馬鹿だったら、人類全部馬鹿だよな」
 それだったら、平等でいいか。
 そんな、笑いを含んだ声が、背後から聞こえてきた。
 振り向いた高遠は、そこに、
「よっ」
 夢にまで見た、愛しい少年の姿を見出したのだ。
 少し照れたような表情をして、高遠を見上げる、褐色の双眸。
「もどっちった」
「はじめ……くん?」
 高遠の金のまなざしが、戸惑ったように、揺れた。
(痩せましたね………)
 ついと、高遠の白く繊細な指先が、はじめの頬に、触れた。
「な、なんだよ」
 ふと逸らせた視線の先に、見覚えのある女性が、自分に向かって頭を下げているのを捉えた。彼女は、はじめの母親で、高遠は、何かがあったのだと、瞬時にして悟っていた。
「最近、寝てませんね、君」
 たちまち膨れっ面をする。
「だって……寝れねーんだもん」
 ひときわの強い風が、街路樹の葉を落とし、コートをはためかせた。
「ここは寒いですからね。僕の部屋にでも、場所を移しましょうか。ココアを淹れて、あたたまりましょう」
「うんっ」
 数ヶ月前よりも痩せた頬が、寒さからではなく、赤く染まった。
「じゃあ、お母さんに、許可を貰ってこないとね」


「それを? 君は本気ですか?」
 バターを少し落としたココアを一口すすって、はじめが口にした一言に、高遠の印象的な金の双眸が、大きく見開かれた。
「うん」
 両手でマグを掴むように握り、昔風の緞子張りのソファに腰をかけたはじめは、両足を揺らしている。
「本気」
「ご両親は?」
「かまわないって」
 軽く返されたその言葉に含まれているだろう、葛藤を、高遠は、感じていた。
 確かに、高遠は、最近、大学病院勤めの傍ら、催眠術を学んでいる。そう、はじめにメールした。
 それが、まさか、こういうことになろうとは。
 はじめがぽつぽつと語った、日本での生活は、思った以上に、はじめに負担を強いるものだった。
 いくらイギリスの大学で学位を取っていようと、日本に戻ったはじめは、たった九才の少年なのだ。そうして、日本の教育制度では、九才は、九才、小学校四年生でしかありえない。これまではじめが培ってきた知識はすべて、制度の前に否定されたも同じことだった。帰国子女の上に、すでに大学を卒業した頭を持っている。なんでも平等を謳い文句にしているらしい義務教育の教室で、はじめは、異質だったのだろう。クラスメイトにいじめられるほどに。そうして、それを、担任が気づかない振りをしていたほどに。
「無視されるのは、別に、かまわないんだ。けど、力でこられっとな、どうしても、適わない。情けないんだけど……やっぱ、教授に言われたとおり、体力つけとけばよかったなって、思っちゃった。後の祭りなんだけどさ」
 けろりと軽く言うはじめだが、二週間ほど前まで、入院していたという。一月入院するほどの大怪我を追ったはじめに、担任は、それまでの事なかれ主義を悔いたそうだが、遅すぎる。はじめは、学校に行きたくないと、退院した後も、家にこもっていたそうだ。
 そうして、冬休みに間があるという、晩秋に、イギリスに、やってきた。
「高遠に会いに来たんだ」
 言われて、嬉しくないわけがない。
「催眠術って、どう?」
「楽しいですけど」
「お願いがあるんだ」
 マグの上に、はじめの褐色の双眸がある。
 物怖じしたような、期待に満ちたような、そんな、表情に、コクリと、高遠は唾を飲み込んだ。それは、予感めいたものだったろうか。それでも、高遠には、
「僕が、はじめくんのお願いをきかなかったことがありますか?」
「でもさ………」
「多分、君が言い出そうとして言えないでいるその先を、僕はわかっている――と、思いますけど」
 はじめの褐色の目と、高遠の金のまなざしとが、しばし、沈黙のうちに、合わさる。
「そっか。やっぱ、たかとーだな」
 詰めていた息を吐き、すっかり冷えてしまったココアを一気に飲み干したはじめは、手の甲で、口を拭った。
「ウェットティッシュはここですよ」
 悪い――と、手渡された不織布で、はじめは、口と手とを、拭いた。
「しかたありませんね。ほかならぬはじめくんのお願いですし。本当に、後悔しませんね」
 諦めを胃の深いところから吐き出して、高遠が確認を取る。
 こっくり――と、深く首を縦に振った。


 日本での冬休みが終わる三日前まで、はじめは、イギリスに滞在した。
 その最後の日、高遠は、はじめの“お願い”を、叶えたのだ。
『催眠術で、こっちの記憶、全部消して欲しいんだ』
『消すといっても、完璧に消去してしまうわけではありませんよ、わかってるでしょう』
『うん。とにかく、義務教育の間だけでいいんだ。どこからが浮くのかっていうのが、わかんねーからさ、とりあえず、手当たり次第に消しとけば、なんとかなるかなって。ごめん、高遠のことも消すことになる。………呆れてる? 怒ってもいいんだ。勝手なヤツって、嫌ってもいい』
『いいえ。僕が、はじめくんを、嫌ったりするわけないでしょう。やっぱり、辛かったんですね』
『…………うん』
『じゃあ、とりあえず、封印しますよ。僕を見てください』
 薄暗い部屋の中で、高遠は、はじめに、催眠術を施した。

 解呪の、キィは、高遠本人。

 いつか、日本で、僕と再会したら、その瞬間、はじめくんの封印した記憶は、蘇ります。
 それまで、ほんの少しの間の、お別れです。
 薄暗い室内で、ソファに眠る幼い親友のくちびるに、そっとくちづけを落として、高遠は、部屋を後にしたのだった。



 高遠が日本に客員教授として招かれるまで、五年の歳月を要した。
 それは、また、別のお話である。

おわり




start 10:12 2005/04/22
up 12:27 2005/04/22


あとがき

 イギリスの医学制度(いえ、まぁ日本もあんまり知りませんが)は知らないので、突っ込まないでね。
 すっかり、高遠くんは、はじめちゃんラブですね。
 これで、『プロフェッサー』に続くわけです。
 少しでも楽しんでくださると嬉しいです。
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