はじめちゃんの災難 |
クスクスクス……… 闇の中で誰かが笑った。 楽しそうに。 「せんぱい。こっちこっち」 ハンディカムを抱えて手を振ってくる佐木竜二に、金田一一は溜息をついた。 「まーったく」 しぶしぶ山道を登るはじめだった。 「いーじゃないですか。たまにはぼくにつきあってくれたって」 インターネット上のミステリーサイトで面白いネタを見つけた――と佐木が言ってきたのが一週間前だった。 (わ〜ざわざ高校まできて、パソコンの蓋を開けるなっつーの) 『ほら、せんぱい。ここですよ…』 (ゲッ) 佐木が指で示した先を何気なく読んで、はじめは思わずのけぞった。 とある山奥の一軒宿。そこに泊まった人たちは不思議な体験をするという。 これまでに起きた怪異の一覧をサッと目で追って、 『なんだよこれっ。この節操のないキャストはっ』 はじめは叫んだ。 死んだ恋人に逢ったというものもいれば、自縛霊に殺されかけたというものも。はては、さまざまな妖怪を見たなどという客まで現われる始末だった。 (う〜) はじめは内心でうめいた。 だいたい、ミステリーはミステリーでも、ホラー系のミステリーは、守備範囲外なのだ。 『面白そうでしょう。行ってみません?』 『やだ』 『どーしてです? いいじゃないですか。温泉もあるし、山の幸満載の夕食ですよ』 『ぜ〜ったい、やだっつーの』 山の幸の夕食にぐらりとよろめきかけたものの、気を引き締める。腕組みをしてきっぱりと言い放つ。ここで甘い顔をしては、佐木の要求はエスカレートする一方だ。その行き着く果てを考えて、ブルルと、はじめは頭を振った。 と、佐木がにっこりとほほえんだ。 『わかりましたよ。せんぱい、もしかして、お化けとか怖いんでしょう』 『ばっ』 思わず耳まで熱くなる。 『わかりました。せんぱいが怖いんなら、行くのやめますね。怖いんじゃかわいそうですもんねぇ………』 その台詞にカチンときて、思わず、 『怖いわきゃねー。行くよ。行きゃーいいんだろ』 と、喚いていた。 クスッと佐木の目元が弛んだのを見て、 (しまった! やられた) と思ったが、すでに後の祭りだった。 「せんぱいとふたりっきりなんてはじめてですね」 指摘されて、そういえばと思いいたる。 佐木と一緒の時といえば、美雪や二三、五木さんや明智さん、剣持のおっさんとかもいるそんなシチュエイションばかりだった。 「あっ! あそこですよ。ほら、<温泉宿まほろば>って看板が出てます」 「うわ。すげーな……」 一泊二食で五千円。そんな破格の宿泊費と、怪異の噂から、はじめはもっと寂びれた宿だと考えていた。しかし、目の前に“デン”といった擬音がふさわしいように立ちはだかるのは、言ってみれば昔の庄屋屋敷のような立派な門構えだった。 開いている門をふたりがくぐった時、カラスが一声大きく鳴いた。 飴色に磨きこまれた薄暗い廊下を仲居に先導されてゆく間も、人の気配すら感じられなかった。 「オレたち以外に泊り客いないのか?」 ひそと佐木に耳打ちする。 「そんなことないと思いますけど…」 小声で佐木が返す。 「普通温泉があったら、もっとにぎやかじゃないか」 それこそ、はじめ得意の卓球台があったり、小さいながらもゲームコーナーがあったりして、客はそこで時間を潰していたりするのだ。 「でも、ホールにお客さんらしい人がいたじゃないですか」 思い返してみれば、玄関とホールとをかねたスペースに浴衣姿がちらほらとあった。 「そういや、そうか………」 はじめが首を傾げたとき、 「こちらがお部屋でございます」 通された部屋も、二間続きの立派なもので、中庭がよく見える。 くねった松。しっとりと緑の苔。日本庭園のお約束、なだらかなカーブを描く築山や石灯籠。朱塗りの小橋がかかった池には、錦鯉が泳ぐのだろう。 用意されていた茶請けの菓子をほおばりながら、はじめは居心地の悪さを感じていた。 (落ち着かないな………) 「せんぱい、温泉行きましょう」 佐木がはしゃいだように提案する。 「佐木、おまえ、何も感じないのか?」 「何をです?」 「いや、いいんだ。温泉、先に入ってこいよ」 「え〜? せっかく一緒に来たんですよ? 一緒にはいりましょうよ」 子供っぽい仕草で肩を掴む佐木に、はじめは肩の力を抜いた。 「わーった。これ食い終わったらな」 土産のサンプルでもあるのだろう饅頭をもごもごと口いっぱいにほおばりながらはじめが応えると、佐木がぴょんと隣に正座する。 期待に満ちたまなざしが向けられ、少しばかり居心地が悪い。まるで主人に「待て」と命じられた大型犬がお座りをしているようだ。もっとも、シェパードやドーベルマンという精悍なイメージではない。山岳救助犬のようなどっしりと頼りがいのあるイメージでも、ない。それでも、自分よりも少しだけ高い身長と可愛い上目遣いのせいか、佐木のイメージは大型犬なのだった。 (犬づくしでまとめると、剣持のおっさんは、ちょっともっそりしたところとかアイリッシュ・ウルフ・ハウンドってとこだよな。二三はキャンキャンうるさいからマルチーズかヨークシャー・テリア。美雪は、シェットランド・シープドッグってとこ。五木さんは、顔がいかついからグレートデンとか。ダルメシアンは可愛すぎかぁ………。ドーベルマンってほど格好よくないしな。明智さんは、アフガン・ハウンド? ボルゾイなんかいかにもお高くとまってますって感じでぴったりかな) 考えているうちに、さっき感じた落ち着かなさというか居心地の悪さをすっかり忘れたはじめだった。 見つめてくるまなざし。 息苦しい。 はじめがそう思ったとき、佐木の顔が近づいてきてくちびるの端にくちづけられた。 電光石火のはやわざに、怒鳴ることも忘れて真っ赤になる。もっとも、それは、饅頭が喉に詰まったせいでもあったが………。 鎖骨と鎖骨の真ん中の少し下あたりを力まかせにたたきながら、湯飲みに手を伸ばすはじめだった。 胸を撫で下ろすはじめを見ながら、佐木は深い溜息を洩らす。 「せんぱい………」 明智を出し抜いて、ふたりきりで一泊とはいえ旅行ができたのに。 自分の気持ちを知っているはずなのに、はじめのこのロマンティックとはほど遠い反応が、悲しかった。 「ばっか・やろ」 涙で潤んだはじめのまなざし。 上気した頬。 ドキドキしてくる。 (ああ……やっぱりせんぱいが好きだ) さっきの茶でまだ湿っているくちびる。掠め取ったくちびるとは逆の端に、餡がついている。 (どうしよう……………) カァ〜ッと、馴染みのある熱が下半身を直撃した。 「せんぱい」 「うわぁ」 どさっと、畳にひっくり返る。 柱で後頭部を打たなかったのは、不幸中の幸いだった。それでも、この状況は……。 「さっ…さきっ!!」 畳の上に押し倒されてぎゅうと抱きしめられている。 痛いくらいだった。 「犯罪ですよ………」 しゃがれた声が耳朶を掠める。 見下ろしてくるメガネの向こうの瞳が大型犬の精悍さを宿している。獲物を見つけた猟犬の、侵入者を見つけたガードドッグの、燃えるようなまなざし。 「は…犯罪は、おまえだ」 (セクハラだぞ) 「うっ」 ペロンと、くちびるの端を舐められた。 「お弁当つけて言っても、迫力ないですよ」 クスクスと笑う。 「ちゅ・ちゅーぼーのくせ…にっ」 (なまいきだっ) 佐木の腕が痛いくらいに巻きついてくる。 「そんな意地悪ばかり言ってるとこうですよ」 佐木のアップが視界いっぱいに迫ったと思えば、熱が降ってきた。 思わず食いしばったくちびるの合わせを、舌の先がチロチロとくすぐる。じんわりと背筋を這いずるくすぐったさに、 「うーうーうー」 意味をなさない罵声をあげ、 佐木の背中を叩く。と、罰だというように軽く下くちびるに噛みつかれた。 思いもよらない佐木の行動に、ビクンとはじめの全身が跳ねのけぞる。同時にからだの中心に灼熱が宿った。 「フフッ。せんぱい可愛い」 くちびるがはなれた。が、怒鳴れない。酸欠寸前の金魚のようにパクパクと空気をむさぼるのが精一杯のはじめなのだった。 「せんぱい………」 かすれた佐木の声。 (返事してなんかやるもんか) はじめは瞳をきつく閉じた。 からだの中心に宿った熱を散らそうと、ほかのことを考える。 強く拒絶できないのは、負い目のせいなのか。 佐木の兄、事件に巻き込まれて殺された彼。ビデオを抱えてはついて来るヤツを鬱陶しいと思ったことはあったが、それでも、友達だったヤツを嫌っていたわけではない。ヤツの撮った映像のおかげで推理のヒントを得たことだって一回や二回じゃなく…。 あの時、ヤツの死体を見た時、自分の目を信じることができなかった。―――そう。後ろからひょこひょことヤツがついてくることは、もうないのだ。そう思ったら、犯人が憎くてどうにかなってしまいそうだった。 普通なら恨まれても文句は言えない。なのに、夢枕にヤツが立ち、『金田一のピンチをビデオに収めるのだ』と言ったとか言わないとか。健気なまでにそれを守って、そうして、離れた中学から不動高校まで足を伸ばしてくる佐木なのだった。 佐木に告白されたのは、明智にムリヤリ抱かれてしまった数日後だった。 『好きです。明智さんなんか問題にならないくらい、せんぱいのことを独り占めしたいんです』 キスマークを指の先で押さえられて、そうして告白された。 『君をわたしのものにしてしまいたい。君のからだも、心も、なにもかも。それができるというのなら、キャリアなんか捨てたってかまいませんよ』 明智の告白も、思い出される。 (ムリヤリ抱いておいて、そんなこと言われてもなぁ…) 『どっちを選ぶんです』 そう言って二人に迫られたのは、まだ記憶に新しい。 けれど、明智も佐木も選ぶことができなくて………。 結局いまだにドロヌマの三角関係が続いていたりする。 (オレは、美雪のことが好きなはずなんだがなぁ………) 近頃では、美雪が草太と出かけても、焦らなくなっていた。 二三には、『変なはじめ』とか『美雪ねーちゃんを草太に取られっぞ』などと言われている。 (そんなこと言われてもなぁ…) どうすればいいのかわからなくて。 (なんか間違ってるよな。オレこのままじゃ……………) 「せんぱい。なにを考えてんですか」 そんなことを呑気に考えている場合じゃなかったと、佐木の喉に絡んだ声に現実に立ち返った。 「明智さんのことじゃないでしょうね」 そっぽを向いて目を閉じたままのはじめに、佐木は不安になったのだ。 それでも、一旦芽生えた欲望は冷めなくて。このまま一気に最後まで突っ走ってしまいたい。 明智に勝てる要素など、はじめに対する想いしかない。 それだとて、五分五分なのかもしれなくて。 そのうえ、はじめが自分を選ぶという保障は、まったくないのだ。 嫌われていないだけ、マシなのかもしれない。だから、嫌われそうなことは、しないにこしたことがない。 わかっている。それでも………。 (でも、明智さんには抱かれたんだもんな…) 明智は、はじめのすべてを知っているのだ。 それを考えるだけで、カッと頭が煮立つ。と同時に、下半身も熱をはらむ。 (せんぱいが自分から…ってわけじゃないのは知ってる。…………けど……) 同じくはじめの選択を待つ身としては、不公平だと思うのだ。 はじめの喰いしばったくちびる。 なめらかな顎のライン。 後頭部から服の襟へと消える首筋。 眉間に刻まれた、皺。 頬に散った紅。 はじめのすべてが、妖しく佐木の目を誘う。 「せんぱいが、好きです。ぼくがせんぱいを愛してるって、覚えておいてくださいね」 そう言うと、佐木ははじめの耳のつけ根にくちびるを落とした。 きつく吸って、佐木はからだを起こした。 はじめの耳のつけ根には、ほころびかけた梅のつぼみのようなマークがくっきりと刻まれている。 それを確かめて、佐木は立ち上がった。 「風呂、先に入ってきます」 言い捨てると、佐木は逃げるように部屋を出て行ったのだ。 佐木の足音が遠ざかってゆく。 「はぁ……」 ごろんと寝返りをうち、はじめは盛大な溜息をついた。 ズキズキと疼く耳の後ろに手をやり、 「佐木のヤロー………」 毒づく口調にも覇気がない。 煽られた熱が生々しく佐木の思いの丈を伝えてくる。 「なんだかなー」 起き上がる気にもなれなくて、はじめは天井を見上げた。 竹の繊維か何かを細かく裂いて編んだ天井の細工を見ていると、焦点がぼやけてくる。 そうして、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。 からだのあちこちをくすぐられているような感触。 くすぐったさに身じろいだ刹那、はじめの眠りは破れた。 薄暗い闇。 (ゲッしまった! 晩飯食いそびれた?! ウソッどうして??) 「な・んだ?」 庭に面したガラス窓から、常夜灯の青白い光が差し込んでいる。 「佐木?」 だと思った。 痩せぎすのシルエットの顔の部分が、光を弾く。 痩せぎすでメガネをかけているといえば、佐木しかいない。それに、ここには佐木と泊まりに来ているのだから。 ひやり…と、首筋に絡みつく手の感触。 冷たくかわいた感触に、はじめがピクンと震える。 「よせ・よ………」 さっきまで出ていた声が、出ない。 絡む手を離そうとして、手が動かないことに気づいた。 それどころか、全身が動かない。 (え?) (なんだよ、これ) からだを捻ろうとしたが、麻痺したように少しも動かないのだ。 じわりと、背中に冷たい汗がにじむ。 ここに泊まりにくるきっかけを思い出したのだ。 (あ…) ガクガクと全身が震え出す。 死んだ恋人や百鬼夜行。そうして――幽霊に殺されかけた。 (だれか…!) 佐木は無事なのだろうか。 (佐木っ) グッと首を絞めつけられる。 ただでさえ暗い視界が、闇の中ににじんでゆく。 苦しい。 息ができない。 ガンガンと頭の中に、鐘が鳴るような音が響く。 こんなところで死ぬのだろうか。 (イヤだっ) 死んでしまったら、…会えない。 佐木にも明智さんにも、美雪にも二三にもおっさんや五木さんやおやじやおふくろや………。 (死にたくなんか…ないっ!) こなくそとばかりに全身に力をこめる。 その時――― クスクスクスと、かすかに記憶にあるような笑い声がはじめの耳を射た。 (この笑い声………) 独特な、ひとを見下すような、冷たい声の主は…。 (げっ) 「高遠っ?!」 魔法が解けるように呪縛が解ける。 ばっと起き上がったはじめは、自分の上から瞬時にして降りた相手を指差し名指しした。 当の相手は髪をかき上げメガネを胸ポケットに戻す。どこか気障な一連の動作の後に、 「ご名答。久しぶりですね、金田一くん」 まだクスクスと笑っている。 「脱獄しただなんて、聞いてないぞ」 「おや。そうですか?」 高遠が面白がっているようなからかっているような表情で、はじめを見つめる。 「なんだってこんなところにあんたがいんだよ」 「脱獄したからですよ」 (く〜っ) フルフルと震えるはじめに、 「会えて嬉しいですよ」 にっこりと笑いかける。 「ひとの首を絞めておいて、よく言うよ」 「おや? お気に召しませんでしたか」 「どこの誰が、殺されかけて喜ぶんだよ」 「そうとも限らないんですけどねぇ」 一見人畜無害そうな表情から、いったい誰が彼を『地獄の傀儡師』と呼ばれる殺人者だと思うだろう。 「どこのどいつだよいったい」 (腐ってる) 「親愛の情なのに………クスクス」 わざとらしく肩をすくめる高遠に、思わず噎せるはじめだった。 捕まえなければと思うのに、遊んでいるようでいて隙のない相手に手も足も出ない。 「捕まえないんですか?」 そんなはじめをからかうように、高遠が言う。 「どーせ逃げる準備は万端なんだろ」 ふんっと吐き捨てる。 「ご明察」 「あんたいったいこんなところでなにしてんだよ」 「それをぼくが答えるとでも? 言ってみれば商売敵の君に?」 切れ長の瞳がかすかに剣呑な色を醸す。 切れ味のいいナイフめいたまなざしが、ヒヤリとはじめの首筋を撫で落ちる。凝視するはじめの視線の先で、人間らしい感情を失くしてしまった瞳が、ふと人間臭さを取り戻したように見えた。 「オヤオヤ、君も、隅に置けない。青春ですね」 「なんだよそれっ」 突然の話題の転換に、怒鳴るはじめだった。が、ついっと迫ってきた高遠に、壁に縫いとめられる。 「な、なんだよ…」 「こんなことをするのは、女の子じゃないですよねぇ」 ツンと、耳のつけ根の下あたりを指の先でつつかれて、「へっ?」とマヌケな顔をする。 「キスマーク、ですよね。これ」 「あんたになんかカンケーないだろっ」 カーッと赤くなるはじめに、 「相手は、あのボーヤですか。君が好きなのは幼馴染みの女の子だとばかり思ってましたけど?!」 高遠のからかうような声。 キスマークを隠すように思わず反対側にそっぽを向いたはじめだったが、痛いくらいに高遠の視線を感じていた。 首から上が熟れた桃のように染まってしまったはじめに、むくむくと高遠の悪戯心が首をもたげる。 健康そうに陽に焼けた首筋がほんのりと上気するさまは、からかいがいがあるようで、 (楽しめそうですね………) 耳朶に息を吹きかけてみた。 「ちょっ」 思わず正面を向いたはじめの目の前で、高遠の赤い舌が見せつけるようにチロリと高遠自身のくちびるを舐める。 艶やかでいながら恐怖を誘う光景に、はじめの全身が震えだす。 そんなはじめを色の薄い瞳で見下ろし、 「なにすんだよっ」 「やめっ」 高遠は、はじめにくちづけた。 高遠のくちびるの感触。血の味がするような気がして、はじめは戦慄する。 侵入してくる舌。あふれそうになる唾液。軽く甘噛みしてくる歯。 すべては敵―ライバル―地獄の傀儡師のものなのに。背筋に怖気が生じると同時に、快感までもが芽生えてくる。 そんな自分に涙がにじんできたころ、やっと高遠のくちびるが離れた。 そんなはじめを見下ろしながら、 「まだまだ、うぶなんですね」 罵ろうにも口を開けば、しゃくりあげてしまいそうで。 楽しそうにつぶやく高遠に殴りかかろうとする。しかし、両手は疾うに壁に縫いつけられている。高遠に押さえ込まれて、暴れることすらままならない。そんな自分に腹が立って腹が立って、どうにかなってしまいそうだった。 クスクスとまだひとの悪い含み笑いをこぼしながら近づいて来る高遠の端正な表情を、はじめはキッと睨みつける。 高遠が、そんなはじめの首筋にくちびるを落とし、きつく吸い上げた。 「せんぱい?!」 悲鳴じみた佐木の声。 浴衣姿にタオルを首にかけた佐木が、青褪めた表情で立っていた。 「せんぱいをはなせっ」 佐木が高遠に適うわけがない。飛び出してくる佐木に、佐木の兄の死に顔が過ぎる。 「佐木! よせっ」 掴みかかろうとする佐木から鮮やかに身をかわし、 「ナイトくんの登場ですか。お遊びはタイムリミットですね。それじゃ金田一くん、またお会いしましょう」 そう言い残し、高遠が身を翻す。 同時に闇が退いてゆく。 気がつけば、周囲はまだ夕間暮れの鋭い日の光を宿していた。 「大丈夫ですか」 震える声で、佐木が気遣う。 「ああ…大丈夫だ……でもちょっと」 壁に背中を預け、ずるずると畳に腰を落とす。 佐木が手にしたタオルではじめの汗を拭う。 「お…お水がいいですね。それと布団をしいて………」 佐木がばたばたと焦るのを見ながら、喉に手をやる。 熱をもって痛い。 「サンキュ」 コップを取り上げ一気に飲み干す。 少し仰のいたはじめの喉。佐木の瞳が大きく見開かれ、その場に凝固する。頽折れるようにぺたんと座り込んだ佐木が、手を伸ばして喉に触れてくる。そっと、しかしその手の震えがわかるくらいに。 「おい? なんだ? どーした」 「手の跡が」 明らかに首を絞められたのだとわかる痣が、はじめの首の周りを赤く彩っている。 (それに…) 佐木がつけたのとは反対の耳のつけ根に、色鮮やかなキスマークがつけられている。あきらかに見せつけるそれにぶるぶると震え、佐木は、これまで見たことがないくらい真剣な表情で、 「地獄の傀儡師! ぼ、ぼくのせんぱいにっ」 うめく。 「ぼくがこんなところに、面白半分に来ようなんて言ったからですね………」 しょんぼりとうなだれる佐木に、 「そんなこと考えるんじゃねーよ」 「せんぱい」 がばっと顔を上げた佐木の真っ赤な顔の中の涙で潤んだまなざしが、はじめを凝視する。心配で今にも泣きだしそうな佐木の顔なんか、いつまでも見ていたくなかった。 「オレの記録を撮んだろ? ネットに事務所まで勝手に開いてんだったら、こんなもんくらいで狼狽えんなよ」 ついでにゴンと軽く拳固をくれてやる。 「……痛い。…せんぱい…………」 「あ〜あ、腹減った。メシどんなかな〜」 ぐぐぅと座ったままで伸びをして、はじめは立ち上がった。 「どこ行くんです?」 焦る佐木の声に、 「温泉」 短く答えるはじめだったが、 「ぼくも行きます」 追いすがる佐木に呆れた視線を向ける。 「いまさっきはいってきたばかりだろーが」 「そんなのとっくに冷めちゃいましたよ。せんぱい一人にするほうが心配ですからね。イヤだって言ったって、ついてきますからっ」 ぐゎしっっと、二の腕を両手で抱え込まれる体勢に苦笑しながら、 「わーったってば。わかったから、腕を離せよ」 「ほんとですね?」 「ほんとほんと」 じゃあと、腕を離した佐木だった。 その後ふたりは、ごく普通に温泉宿を堪能し、翌日にはチェックアウトを済ませた。 おしまい
|
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||
う〜ん、さて、誰が一番災難だったでしょう。
やっぱりはじめちゃんかな。 佐木くんかもしれないですね。しばらくはじめちゃんは許してくれないでしょうし。
美味しいとこだけ取ってった明智さん。確信犯と見た。最初にリサーチ済みなのよね。