神霊




 なにから話そうか。



 オレは、御簾のこちら側で、溜息をつく。
 御簾越し見えるのは、黒い背広を着た、どこかで見たことがあるような男とその背後に控える二人。控えているのは、男のボディーガードってやつなんだろう。オレの周囲にもいるからな、わかる。
 ああ、また、溜息が………。
 三宝の上、紫のてらりと光る袱紗の上に、札束が五つ乗っかってる。
 それを、オレが座ってるところから一段低いところに座ってた、白い着物に水色の袴姿の男が、進み出て、受け取る。
 ああ。
 オレの背後に、間違いようのない気配が現れるのを感じて、オレは、また、溜息をついた。あいつの放つ気が濃厚になってゆくのを、オレは、背中でひしひしと感じていた。
 ぴりぴりと、後頭部から頭頂にかけて、痛いくらいだ。
 首筋は鳥肌立ってるし、背中には、脂汗。
 イヤだなぁと思ってると、平伏してた男が、顔を上げた。
 感じないやつが羨ましい。そんなことを、オレは頭の中でつぶやいていた。と、顔を上げた、親父より歳嵩に見える男が、
「託宣を」
と、オレにとっての審判を下したのだった。


 オレの家は、昔から占術で食ってきた。
 いや、街頭に立ってる易とか、星座占いとか、タロットとか、そういうメジャーな方面じゃなくってな。
 どっちかっつーと、重い、硬い、商売だ。
 顧客が、政治家とか、どこぞの旧財閥のだれそれとか、そういうのばかりだから、占うことそのものが、重く、苦しいと言うかなんと言うか。一歩間違えば、呪殺を依頼してきそうな面々なんだ。ま、実際そういう依頼は、別の家系に行くんだろうけどさ。
 ともあれ、オレには、そういうことは、関係ないって、思ってたんだ。
 あの日まで―――――――。
 なぜって、オレんちは、代々女系家族で、相続人は女だったから。
 そんなわけで、跡取りは、十年上の姉さんに決まってたんだ。
 オレは、だから、毎日の厳しい修行とか、朝晩の我が家の神霊への祭りごととかとは、基本的にノータッチできてた。
 ふつーに学校に通ってたし、友達とばかやって騒いだりもしてた。オレとしては、毎日決められた時間に起きて、神棚に手を合わせて、そうして――なんていう煩わしいことなんか、したくなかった。
 なんたって、土日は、朝寝で決まり――だよな。
 オレは、それまで、オレんちの神棚に手を合わせたことすらなかったんだ。
 なのに。
 それは、青天の霹靂だった。
 家の奥、いつもぴたりと白木の戸が閉められているその前を通るのが、オレは、ずっと、物心ついたころからイヤだった。
 日本家屋の奥の奥ってなると、やっぱり、薄暗いどころの話じゃなくて。中庭に面している障子が開いているって言うのに、なんか、こう、背中がぞくぞくすると言うか、ひんやりとしたものを感じるような気がするというか。
 だから、なるたけ、そこを通らないで、玄関を出るように、オレはしてたんだ。幸い、家は広いし、言ってみれば客商売ってやつだからな、玄関までのルートが一個だけってわけじゃなかった。そんなわけで、誰に言われるでもなく、オレは、商売に必要なほうには近づかないようにしてたんだ。
 けど。
 焦ってたというか、びっくりして、我を忘れてたんだろうなぁ。
 オレは、珍しくお袋に呼び出されたことで、あせって、いつもとは違う方向に向かっちまったんだ。気づいたときには、遅かった。
 なぜって、姉さんが、突然、失踪したんだ。
 いや、正確じゃないな。
 姉さんは、ボディーガードのひとりと、駆け落ち――しちまったんだよ。
 え?
 うそっ。
 なんでっ?
 家中がそんな感じでさ。
 お袋は髪振り乱して、黒服たちに姉さんをなんとしても探し出すんだとか、命じてた。
 けど、連れ戻しても、駄目なんじゃないのか?
 よく知らないけどさ、やっぱこう、神霊に仕える巫女って立場の姉さんが、だぜ? 男と駆け落ちともなると、やっぱ、その、巫女の条件の純潔っつーのかなぁ、それは、やっぱ、なくなってるんじゃないか。
 どうなんだろ。
 姉さん――とは、歳も離れてるし、あんま、仲良くなかった。っつーか、ほとんど顔を合わせることなんかなかったしな。ちっこいころは、そりゃあ、羨ましかったさ。ちやほやされてるって思ってたからな。オレは、いらない子なんだって、拗ねもした。けど、歳食ってくるとさ、姉さんの肩にかけられてるいろんなもんが見えてくる。だからって、オレとしては、姉さんは大変だなぁと、思うだけだ。だって、なにができる? オレには、何もできないんだ。オレが女ならともかく。そう、親父と同じく、オレは、ここにいても、ここにいない。いてもいなくても変わらない、そんな存在だったんだ。
 ここは、生まれ育った家だけど、オレには居場所なんかないような、そんなな場所だ。けどさ、誰もオレに出てけなんて言わない。そりゃあ、一応は、ここの長男だからなぁ、言えないわな。この家にとってのオレの存在価値って言うのがあるなら、それは、誰かと結婚して、この家の跡取りを作るってことだけなわけで。それは、この家にいなくてもできることだし。とりあえず、衣食住には困らないから、大学卒業まではここにいて、それからのことは、それまでに決めればいいやと、オレは、オレなりに腹をくくってたりしたわけだ。
 なのに―――――――だぜ?
 なんで、こうなるんだろう。
 白木の戸の向こうに、何か、強い気配を感じて、オレは、怖さに腰を抜かした。
 笑うなよ。
 マジで、怖いんだから。
 いや、オレ、視るだけは、視れるひとなわけよ。視れるけどそれだけってやつだけどな。だから、ここ、通りたくないんだよな。
 そう。
 なんつーか、さ。
 祀ってるのは、神霊とはいってもさ、祟り神を崇めて、それで、神さまになってもらってるとか、そういうパターンだったりするわけよ。
 だから、朝晩の供物や祭祀は欠かせないわけで。
 今朝は、姉さんがトンズラしちまったから、たぶん、祭ってないんじゃないか。と、いうことは、だ。戸の向こうから、冷や冷やとした気配を漂わせてるのは、怒れる神ってわけでさ。
 誰が、そんな恐ろしげなものと、朝っぱらから、対面したいよ。
 せっかくの夏休みだってーのに。
 ねーさん、恨むぜ。
 畳敷きの廊下を尻でいざりながら、オレは、冷や汗を流してた。
 声なんか出やしない。
 ごつんと、庭側のガラス窓にぶつかって、オレは、やっと、少し落ち着いた。で、柱に手をかけて、立ち上がろうとしたんだ。
 けど――――
「ひっ」
 やっと出たのは、情けない、悲鳴だったんだ。
 戸の隙間から、もやもやとしたエクトプラズムみたいなものが、染み出してきた。
 霧が立ち上がるとでも言えばいいのか。奇妙な、重力に逆らった光景を、オレは、ただ、こわばりついたまま、見てた。
 オレの耳には、中庭に面してるガラス戸がたてる、ガタガタって音だけが、こだましてた。
 霧が、オレを観察してる。
 どこに目があるのかなんてわかんないけど、霧全体が、オレを見てるのが、わかるんだ。
「ひっ」
 ひたり――――と、霧が、オレの顔に、首に、剥き出しの腕に、絡みついてきやがった。
 ぞわぞわと、冷たい感触が、オレのあちこちを、試すかのように、触ってくる。
 気色悪い。
 何を考えてるのかわからないだけに、怖さばかりが、湧き上がる。
 ああ、誰でもいいから、助けてくれ。
 いつもなら、神主みたいな格好をした男や巫女装束の女たちが、この辺にはいるんだ。オレにはわからないけど、いろんな仕事があるらしい。
 けど、今日は、いない。
 姉さんを探すのに、駆り出されてるんだろう。たぶんだけど。
 誰でもいいから助けてくれ。
 姉さんのせいで、オレが殺されたら、誰か、悲しんでくれる人がいるんだろうか。
 一足飛びに、そこまで思考が飛んじまう自分が、なんか、哀れだ。
 悪友どもは、少なくとも、葬式では泣いてくれるだろう。さすがに、そこまで、薄情じゃないはずだ。
 親父――は、同士がいなくなったって、少しは、寂しがってくれるだろう。
 けど、お袋は? 姉さんは? どうなんだろう…………。
 じわり――なんだか、絡みついてるものが、きつくなった気がする。
 いやだ。
 食われる?
 それとも、絞殺? いや、この場合も絞殺っていうのか?
 この奇妙な思考は、現実逃避だったんだろう。
 怖さにまじめに向き合いたくなかったんだ。
 オレは、窓と窓の間の木の柱に、必死こいて爪を立てている。
 けど、ひんやりとした弾力を持つものが、力まかせに、オレの全身を、引っ張ったんだ。
 音をたてて、爪が、柱を掻き毟る。
 木の柱に、オレの爪あとが、ささくれになって残った。
 その時だ。
「はじめっ」
「親父っ」
 非日常の光景に、真っ青になって立ち尽くす親父に、オレは、手を伸ばした。
 親父が、駆け寄ってくる。
 真っ青な顔をして。
 親父がオレを助けてくれようとしてる。
 それだけで、オレの全身から、一瞬だけ、緊張が、解けた。
 途端。
「うわぁ」
「はじめっ」
 親父の手と、オレの手が触れそうになった。
 けど、結局、オレは、霧に引きずられてしまったんだ。
 そうして、気がついたとき、オレは、白木の戸の内側に、いた。
 どうして内側かってわかったかっていえば、簡単だ。どんなに近寄りたくなくても、正月の間だけは、一族郎党全員が、ここに集まって、新年の寿ぎを交わすことになってるからなんだ。毎年オレにとっちゃ地獄の正月なんだよな。ま、お年玉がかなり集まるのが、唯一の楽しみってか。
 まぁ、それはともかくとして。
 もやもやとして、それでいながら、弾力のある、冷ややかな霧――みたいなものが、オレのからだの上にあった。
 重い。
 冷たい。
 気色悪い。
 怖い。
 ざわざわと、全身が、鳥肌立つ。
「うわっ」
 冷たい感触が、全身を、這い回るんだ。
 なんだよ、これ。
 なんで、こんな目に。
 やっとのことで自分を見れば、オレは、ほとんど、服を着ていない。
 なんだよ、これはっ。
 ほぼ全裸に近いオレのからだを、動けないようにして、霧みたいな怒れる神が、オレを、押し倒してる……………。
 人の形すらしていない、不定形のアメーバーみたいなものが、オレを………。
 頭の中が、真っ白になる。
 と、オレの中心だけが、やけに熱を持って、凍えたみたいになってる全身に熱を伝える
 それで、意識を吹き返したオレは、
「ひっ」
 逃げようとした。
 天井向いてるからだをよじって、必死こいてうつぶせになろうとした。そうして、とらわれてる下半身を、引っ張り出そうとしたんだ。
 渾身の力を振り絞ったさ。
 このまま、得体の知れない怒れる神とやらに、最後までされてしまったんじゃ、さすがに、立ち直れない。そう、感じたからだ。
 だって、いくらオレでも、うち神さまの性別くらい、知ってる。
 うちの神さまは、男神なんだっ!
 いくら不定形でも、アメーバーでも、神さまでもっ、性別男――に、襲われるだなんて、男にしてみたら、たまったもんじゃない。
 そうだろ?
 けど、そこまでだった。状況を理解した途端、オレは、動けなくなった。
 そう。
 オレの――は、その、いたずらされてるまっ最中だったんだ。っていうか、口淫ってやつをされてる状況っていうのが、一番近かったのかもしれない。
 動いたら、もしかして、噛み千切られちまう?
 自分で想像したことに、全身が、こわばりついちまったんだ。
「いや……こんなん、イヤだっ」
 情けなくもあっけなく、涙がこぼれる。
 あんまりだ。
 もう、何がなんだかわからないみたいな感じで、頭の中がぐるぐるしてたオレの耳に、突然、喉の奥で噛み殺した笑い声が、聞こえてきた。
 馬鹿みたいに涙をこぼしてるオレの目の前に、口の端を歪めて、笑っている男の顔があった。
 オレは、また、天井を向いてたんだ。
 金色の目が、オレを見下ろしている。
 黒い髪が、乱れて、オレの頬に触る。
「ひぅ」
 オレの目元に、歪められたくちびるが触れた。
 からだを縮こまらせたオレの耳元で、
「アメーバーと同列に思われるのは、本意ではありませんからね」
 怒っているような、面白がっているような、声だった。


 そうして、どうなったか――って?
 冒頭に戻ってくれれば、わかるだろ。
 姉の不始末は、弟が償うものですよ―――――とか、なんか、やくざみたいなことを言って、そうして、あいつは、オレを、犯した。

 ぼろぼろに犯された姿のまま、オレは、白木の戸の奥で、発見された。
 親父は複雑な表情だったけど、お袋は、あからさまに、胸を撫で下ろしたんだ。
 あいつが、この家を見捨てなかったことを、お袋は、瞬時に、理解したらしい。
 そうして、その、代償もまた、お袋は、わかっていたに違いない。お袋は、オレを所望したあいつに、否と、拒絶する振りすら見せないで、オレを、差し出した。お袋にとって大切なのは、家だけなんだ。わかっていたことだったけど、いざ思い知らされると、やっぱ、めちゃくちゃショックだった。

 オレは、あれ以来、家の外には出ていない。
 いつも、誰かが、オレの周りにはいて、そうでなくても、どこからか、あいつがオレを見張ってるんだ。
 逃げないように、逃がさないように。



 男が帰ってゆく。
 訳知り顔の、神主姿の男が、三宝をかかげて、部屋を後にする。
 残されたオレの背後で、冷気が熱に変わる。
 あいつが、人形をとったんだ。
 そう思う間もなく、後ろから、抱き竦められた。
 途端、オレを捕らえるのは、ジンとした、熱だ。
 全身を駆け抜ける、抗いようのない熱に、オレは、全身の力を、抜いた。
「いい子ですね」
 満足そうな、あいつの声に、オレはゆくりと目を閉じた。



おわり

start 17:26 2006/08/14
up 21:37 2006/08/14
◇ いいわけ その他 ◇

 いつにも増して、擬音や擬態語の多い話ですvv
 しかも、微妙に、触手ネタ――かもしれないxx う〜ん。エッチな話と言うのを目指して、相変わらず玉砕の魚里なのです。
 少しでも楽しんでいただけると、いいんですけどね。
 微妙かなぁ。
 いつものことながら、イヤ――とか、いう言葉しか話さない、うちのキャラvv

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