その闇の深きこと




 毎日、眠れない。
 いや、正確に言うなら、眠りたくないのだ。
 眠れば、あの悪夢がやって来る。
 闇の中、細い首にロープを巻きつけ、笑っている金目の男。
 彼が、手招くのだ。
 そうして、気がつけば、あの器用な手に首を絞められている。
 苦しさにもがき、荒い息のまま目覚める。その繰り返し。
 眠れるはずがない。
 無理矢理連れて行かれたメンタル・クリニックで処方された催眠導入剤など、見るのも厭だった。
 両親の心配はわかるが、気をまわしている余裕などなかった。
 家にいても、気が塞ぐばかりだ。母親の心配そうな気配も、今は、鬱陶しい。
 気分転換にゲーセンに出かけたはじめだったが、寝ない食べないでは、遊びに費やすエネルギーすら枯渇気味で、すぐにグロッキーになってしまった。
 家にいるのも、ゲーセンで遊ぶのもだめとなれば、どこに居場所があるだろう。
 美雪の家は、だめだ。みゆきの心配そうな顔も、今は見たくない。ほかの友人たちも、夏休みであるから、誰も彼もバイトや遊びに余念がない。しばらく警視庁には近づきたくないとなれば、ゆく場所も限られる。小遣い銭も心許ないと、無料でパソコンやビデオなどが利用できる図書館を選んだのだが、クーラーのよくきいた図書館で、つい転寝(うたたね)をしてしまい、魘(うな)された。それどころか、悲鳴をあげて目を覚ましたのだ。しかたないとはいえ、他人の迷惑になるからと追い出されてしまった。
(う〜しんどい)
 太陽は凶悪で、日陰を選んで家に向かっていたのだが。
 ふと、
(へ?)
 はじめの足が止まった。
(ここ……どこだ?)
 茹であがりそうな陽射しの中、蝉の声すら聞こえない。
 逃げ水にゆらぐ道は、アスファルトではなく、使い込まれ磨り減った石畳。
 家の近所にこんな道はない。
 いったい?
 きょろりと見渡したはじめは、
(いてっ)
 思わず自分の頬を抓った。
 道しかないのだ。
 目の前にしか、ない。
 背後には、なにもない。
 ただ、触れると染まりそうな、どってりとした闇が、退路を断つかのようにわだかまっているばかりである。
(行くしかないってことか)
 なにも考える気力すらない。
 投げやりな気持ちのまま、はじめは、石畳の上を歩いた。

 どれくらい歩いたか。
 単調な石畳以外何もない景色とも呼べない景色の連なりに、思考が麻痺してゆく。
 やがて、てらりと艶やかな質感の緑の葉におおわれた、丈高い塀が行く手を遮った。
 ざわめく葉のみっしりと繁った塀の中央ほどに、鉄らしい格子があった。
 ぼんやりと突っ立っていたはじめは、
「よく来てくれましたね」
 突然背後からかけられた声に、身を竦めた。
 皮肉気に語尾を跳ね上げたイントネーションには、聞き覚えがある。
 しかし、もう決して聞くはずのない、声だ。
 麻痺した思考が、警鐘を鳴らす。
 振り向いたはじめの目の前に立つ、金の目をした美貌の青年。
 彼は危険だと、鳴り響く警鐘は、しかし、麻痺した思考に更なる麻痺を与えたに過ぎない。
「君を待っていたのですよ」
 はじめの肩に手がかけられた。
「オレを?」
「ええ」
 にっこりと笑んだ白皙の中、ねつい光を宿した金のまなざしが、はじめの鳶色の瞳を覗き込む。
「僕の招待に応じてくれたのでしょう?」
(誰だった?)
 目をすがめ、金の瞳を見上げる。
 ともすれば、考えることを放棄しそうな頭を振り、金のまなざしを見つめた。
「こんなところにいつまでもいては、熱射病で倒れてしまいますよ」
 心配しているようでいて、この状況を楽しんでいる。―――そんなイントネーションが、はじめの耳に届く。
「さあ」
 肩にかけられたままだった手が、するり――とはじめの手を握った。
 はじめは、そのひんやりとした手の持ち主を思い出すことができないまま、繁った葉の奥へと足を踏み入れたのだ。

 ざわり――と、緑の葉が、身を捩じらせた。



◆◇◆




   クスクスクス………
 薄暗い部屋の中、押しひそめた笑い声がこぼれ、砕けた。
 がらんと寒々しい部屋は、闇に閉ざされている。
 突然漆めいた雲間から月光がこぼれ、床の上にフランス窓の影を落とす。
 かすかに闇を押し退けた銀のはかない光の中、大きな窓が、姿のない誰かに押開かれた。
 とたん、ひんやりと少しだけ湿気をはらんだ薔薇の香が、なにもない室内に漂いはじめた。


 どうすれば君を僕のものにできるだろう。
 くるくるときらめく鳶色の瞳を、表情豊かなその顔を、僕だけに向けさせるには。
 なによりも、次々と興味を変える回転のよいその頭の中を、僕だけで埋めてしまうには、本当に、どうすればいいのだろうか。
 いつしか、自分のものにしてしまいたいと、相容れない存在の彼のことだけを、まるで片思いのように、心に、脳裏に、思い描きつづけた。
 常にそんなことを考えていた。
 そんな自分がおかしくて、興味深くて、そうして、信じられなかった。
 通常の方法では、あの聡い少年を捕らえつづけることはできない。
 ならば――と、彼が選んだ手段は、過(あやま)つことなく、金田一はじめを捕えることに成功したのだった。



◇◆◇




 プチンと音をたてて弾けた足の爪が、漆黒の毛皮に飛んで落ちた。――そんな、夜だった。
 昼の名残りの生暖かい空気が、開け放った窓からアスファルトの埃くささとともに入り込んでくる。
 どよどよと肌を湿らす空気が疎ましい。
 しかし、はじめの部屋に、クーラーはない。
 ただでさえ寝苦しい熱帯夜、一台の扇風機では、そのうちからだをこわしてしまうぞ―――と、何度も母に言ったのだが、返ってくるのは、『それくらいのことであんたが体調崩すはずがないでしょ』などという、にべもないものだった。
 眠いのに、悪夢ばかりを見て、何度飛び起きただろう。
 眠りたくない。
 眠る時は束ねていない、中途半端な長さの髪の毛が首にへばりつく感触に、吊るされる夢を見る。
 それは、あの男の死のせいだ。
 今日の昼、遅い昼食を摂りながら見るともなく見ていたテレビに、そのニュースは流れた。
 まさか――と思った。
 嘘だろ―――と、何度も同じ内容を追いかけ、剣持に確認をとった。
 あの男が、自分が捕まえたあの男が、逃げもせずに、死刑になるだなんて。
 心の奥で、あの男は脱獄をするにちがいないと確信していた自分に気づいて、はじめは愕然と目を見開いた。
 あの男は、他人に死をふりまくもの。
 死と寄り添い合いながら、あの男と彼自身のいのちが潰えることとは、はるかに隔絶されていると――――そう思い込んでいたのだ。  あの男―――地獄の傀儡師、高遠遙一である。
 刑が確定したことを、はじめは知らなかった。
 剣持も明智も、自分には教えないほうが良いと考慮してくれていたのだろう。が、それ以前に、興味がなかったと言っていいかもしれない。
 謎を解き、捕まえる。興味があるのはそこまで。
 罪を犯したのだから、償うのはあたりまえのこと。漠然とそんなふうに思っていたのだ。
 だから、今日、はじめて、はじめは自分の行為に恐怖した。
   あの男、ひとをたくさん殺し、あまつさえ、ひとを殺人へと駆り立てた、悪夢のような男が、この世を去ったのだ。
 自分が、あの男の首に、ロープを巻きつけた。
 そんな錯覚さえあった。
 見えないロープを、あの細い首に、この手で………

 不眠症を患い、青白い顔をして無理に笑うはじめを、剣持が痛ましそうに見やる。
 食も、以前からは考えられないくらい細くなっていた。
 はじめの両親から相談を受け、もともとが不器用な彼が思いついたのは、せいぜい飯を奢ってやるかということくらいだった。そうして、はじめから話し出すのを待てばいい。
 まだ剣持は軽く考えていた。
 携帯で『おごってやるから出て来い』と、少し前なら一も二もなく飛びついた誘いに、はじめは逡巡すらした。
 そうして、待ち合わせの喫茶店で、久しぶりに年下の親友を見た剣持は、こいつはいかん―――と、うすら寒い危惧をおぼえずにはいられなかったのだ。
 刑事ですら、割り切ることが難しい時がある。
 ましてや、思春期只中の青少年では、自分が断罪を下したと思ってしまっても無理はない。
 おまえのせいじゃない―――そんなひとことで救われるような、そんな軽いダメージであろうはずもなく。
 こればかりは、時が解決するのを待つしかないことだった。
 ドツボまで落ち込めば、なんといっても柔軟な精神の持ち主だ。以前のはじめに戻るだろう。
 そう。それは、正しい見解だった。
 はじめの両親にだとて、わかっていたはずの。
 しかし、剣持が自分の懐を気にしながらも食事を奢ったその数日後、はじめは、失踪した。
 慌てた両親が剣持を呼び、なにがしかの手がかりがないかとはじめの部屋に入った彼らは、雑然と乱れた机の上に一通の手紙を見つけ、呆然となった。
 それは、死者からの手紙だった。

END


from 10:58 2003/09/11
up 12:57 2003/09/12

あとがき

 多分、ああやっぱり。て感じの展開ですね。
 しかし、ちょっちわかりにくい構成かもしれない。わざとにこう並べてみたんです。
 最初っから高遠くんは死んでるし……しかも、受刑で(-_-;) 顰蹙ですよね。でも、逆に、こうなれば、はじめちゃんの思考からなにから、全部ひっくるめて彼のものになるかも知れない。そうですね、中井英夫さんの『薔薇の獄』っていう耽美短編に触発されました。
 少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。
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