太陽のかけら



 かけ流していたテレビから聞こえてきた、単語が遙一の記憶をノックした。
   P・G――
  『いつか、一流のドール・メーカーになって、ヨーイチにマジック用の人形を作って あげる。だから、有名になっても、他のドール・メーカーに人形を依頼しちゃダメよ。ずーっと、ずーっと、ヨーイチに人形を作るのは、わたしだけなんだから』
   そう言ってほほえんだ、金の髪の少女。
   ギリシア神話の太陽の女神。ディアナやアルテミスほどには有名ではない女神ではあるが。その名をもつ少女にふさわしい、波打つ金の髪が輝く。
   まだ拙いマジックの、たったひとりの、観客。

  『だから、ヨーイチにそっくりな人形も作らせてね』
   フィービー・ガートランド。
   ハイド・パークで出会った2才下の少女は、緑の瞳を輝かせてそう言った。
   幼い日の、他愛のない約束。
   捨てたはずの記憶だった。
   それまでのすべてを捨てて、そうして、地獄の傀儡師となったのだ。
   思い出すだなどと。
   テレビには、フィービー・ガートランド人形展のようすが映し出されている。
  (フィービー、あなたは自分の夢を叶えたのですね…)
   遙一の白い手が、彼の薄いくちびるに触れる。
   何気ないその仕草。
   眇められたまなざしが、彼が現実を見てはいないことを告げていた。
   大学へ進学しろと言う父との決裂。
   下町の酒場などで、ささやかなマジックショウやカクテルをつくって貯めた金。それを掴み、イタリアへと旅立ったあの日、見送ってくれたのはフィービーだった。
   緑の瞳に涙をためて、
  『がんばってね。いつか、きっと一流のマジシャンになるって。そうして、わたしに人形を作らせてね』
   フィービーはそう言って、自分から遙一のくちびるにくちびるを重ねた。
   ささやかな、触れるだけのくちづけ。
   すぐに少女は離れた。ピンク色に染まった頬。目もとの朱が、瞳の色を深くしていた。そうして、
  『あなたが、好き』
   いつもの”Like” を ”Love”に変えたあの瞬間、幼馴染みの少女はひとりの女性へと変貌を遂げた。
   もう一度重なりあう、くちびる。
   今度は、遙一から。
   やはり、触れるだけのくちづけだった。
   そうして交わした約束は、
  『一流のマジシャンになったら、君にプロポーズをしに戻ってくるよ』
   果たされなかった約束。
   あれが、フィービーとの最後の記憶だった。
  (今のわたしは、マジシャンどころか一介の犯罪者ですから)
   そう、果たさないままで切り捨てた想いは、彼女の名前とともによみがえった。
   よみがえったのは、甘く苦い感情。
   中途半端に切り捨てていたせいで、いっそ生々しく遙一を苛む。
  (逢うことがなくても…それでも、君のことを愛しています)
   インタビューを受けている、まだ少女の面影を宿すひとりの女性。 
  (勝手です、ね。今の今まで忘れていたというのに)
   遙一のくちびるが、皮肉な笑みを描いた。
  『では、ガートランドさんが日本での人形展を計画された理由は、初恋のひとを忘れられないからなのですか?』
   アナウンサーの女性のどこかはしゃいだようなトーンの声。通訳がぼそぼそと英語で告げる。
  『はい』
   懐かしい、フィービーの声。
  『初恋のひとは、日本人だった?』
  『そうです』
  『できれば、お名前を教えていただけませんか。もしかしたら、初恋のひとが見ているかもしれませんよ』
   興味津々といったようすのアナウンサー。
   アップになる、フィービーの白い顔。
   しかし、フィービーは首を振った。
  『いいえ。内緒です』
   いっそきっぱりと切って捨て、一体の人形を取り上げた。
   黒い燕尾服にステッキとシルクハット。
   片目にモノクルをかけている青年の人形。
  『今は、この子が、わたしの恋人なんです。マジシャンと、言います』
   そう言うと、にっこりとほほえんだ。
   それはあの頃と変わらない、屈託のないほほえみ。
   ことばの接ぎ穂を失っていたアナウンサーが息を吹き返す。
  『…ガートランドさんが男性型の人形を作られるのは、はじめてですよね』
   陶磁器で作られた、小作りなヘッド。
   黒い髪、琥珀色の瞳。
   人形のガラス玉の瞳が、一瞬きらめいたように見えた。
  『作品としては、古い人形なんです。男性型の人形ははじめてで、多分、これが最後になると思います』
  『それは、残念ですね。この、マジシャンを見れば、作ってほしいという依頼が殺到するでしょう』
  『願いがかなえば、作ってもいいなと考えています。けれど、無理でしょう』
   淋しそうな響きの声。しかし、既に遙一の耳には二人の、否、フィービーの声は届いてはいない。
   遙一は、食い入るように、人形を凝視していた。
   フィービーが抱えている人形。
   マジシャン―――
   それは、彼以外の誰でもない。
   彼女が知るはずのない、今現在の彼自身。
   知る者が見れば、そうとらえるだろう。
   彼女は想像だけで作りあげたのだろうけれど。
   逢いたい思いがつのってくる。
  (ダメだ)
   逢えるはずもない。
   首を振る。
   想いを打ち消すように。
   遙一の手が、テレビのリモコンに触れる。
   ぷつっ
   かすかな音をたてて、テレビが消えた。
   シンと静まりかえった部屋。
   遙一の心が、揺れる。
   そうして、どれくらいの時間が沈黙に鎖されただろう。
   ピンポーン
   鳴るはずのないチャイムが鳴った。
   訪れるものなどいないはずの、隠れ家。
   何かの勧誘だろうか。
   応対するつもりなど、端からない。
   なのに、何かに操られるかのように遙一は立ち上がっていた。
   魚眼レンズで外を確かめもせずあまりに無防備にドアを開け、遙一はその場に固まった。
   太陽を映したような、金の髪。
   見上げてくるまなざしは、緑色。
   作る人形にも似た小作りな顔。
  「フィービー…」
   驚愕を覚える間もなく、
  「ヨーイチ!!」
   抱きついてきた女性。
   その、現実味のない軽さ。
   ふわりと鼻先をかすめる、甘いかおり。
   くらりと遙一の視界が揺れる。
  「逢いたかった。ずっと…」
   緑色した瞳が潤み、涙が流れる。そのあたたかさ。
  「さがしてたの。ずっと。逢いたくて」
   何も喋ろうとしない遙一に、
  「逢いたくなかった…の?」
   からだを離し、うなだれる。
   突き放すなら、今だ。
   そう。
   本当に彼女のためを思うなら、突き放すべきなのだ。
   自分のような犯罪者と関係を持つのは、彼女のためにはならない。
   使い古された、言い回し。
   しかし、陳腐になるくらいには、真実で。
   フィービーの腰にまわそうとした手を、渾身の力で押しとどめる。
  「ああ」
   しわがれた、声。
   自分は今どんな顔をしているだろう。
   フィービーの驚愕に引きつった表情に、似ているだろうか。
  「帰りなさい。帰って二度と僕に近づかないよう…」
   フィービーが首を振る。
   イヤイヤをするように。
   涙が顔を汚し、稚い少女の面影を強調する。
  「帰らない。知っているの。ヨーイチ、あなたが今何をしているのか……」
  「!」
   遙一が衝撃から立ち直るよりも速く、
  「でも、いいの。あなたが何をしていようと、あなたの行方が知れないままより酷い
   ことなんて、わたしには、ない」
   そう叫ぶと、遙一の顔を引き寄せた。
   思いの丈のこもった、深いくちづけ。
   遙一の腕が、惑う。
   フィービーの細い腰を抱き寄せようとして、止まる。
   それを数度繰り返し、ついに遙一は、折れた。
   官能に折れたのではない。
   くちづけにこめられている想い。その深さ真摯さにこそ、惑わされたのだ。
  「フィービー?」
   ベッドの上で、遙一は目覚めた。
   返事はない。
   見れば、そこには、ただシーツが乱れているだけで。
   フィービーはいない。
   先ほどまでフィービーはたしかにいた。
   腕の中に。
   甘やかなかおりも、しなやかな感触も、いまだ腕の中に生々しい。
   なのに、まるで、夢であったのだと言いたげに、部屋の空気はフィービーの気配を伝えてはいない。
   隠れ家の中をすべて捜したが、どこにも、フィービーの存在の欠片すら残ってはいなかった。
  「………夢?」
   だとすれば、いったいどこからが夢なのか。
   踵を返した遙一の視界の隅に、何か黒いものが映った。
  「?」
   シーツをめくり、信じられないものを見出す。
   それは、一体の人形。
   黒い燕尾服にシルクハットとステッキ、モノクルをかけている。
   小作りな顔は、遙一によく似ている。
  「マジシャン………」
   そう、フィービーの作った人形。
   背筋を駆け抜ける戦慄。
  「まさか…」
   マジシャンを掴むと、遙一は隣室のテレビをつけた。
   かすかな音とともに、テレビが明るくなる。
   リモコンでチャンネルをせわしなく変える。
   まさかと思った。
   そんなことが、と。
   しかし、遙一の不安は的中した。
   Phoebe Gartland―――
   ロンドン在住の有名な女性人形師の死。
   無表情なままで、ニュースキャスターは原稿を読んでいる。
   遙一は、ただ、信じられない思いで、テレビを凝視していた。
   数日後、フィービー・ガートランドの墓には、深紅の薔薇が手向けられていた。
   風にそよぐ薔薇のはなびらが、まるで誰かの涙のように地面に降りそそいでいた。
 
The End
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