手まり唄

『くぐつと血色の薔薇を抱き
       闇の公子は眠ります
 けれども用心
     ご用心
 公子が目覚めた暁は
       村が血に染む最期の日
 公子は昔を忘れない
 母を亡くした悲しみに
       狂える公子は人を裂く』




◇◇◆◇◇




 窓から風にのって聞こえてくる歌声に、
「なんつー手まりうただよ〜」
と、金田一はじめは、頭を抱えて寝返りをうった。
「悪夢見そうだ………」
 視界いっぱいに、毛の塊が、伸びきっている。
 はじめは、顔のまん前で上を向いて長々と伸びている三毛ネコを指先でつついた。
 山間部にあるこの田舎の村にやってきた最初の日にも、この手まりうたは聞こえていた。
 むかしから伝わる童謡にはあんがい血みどろのものも多いものだが、薔薇とか公子とか含まれている 素材から考えれば、そんなに古くはなさそうな唄である。
 海抜数百メートルという地形のために、このあたりの気候は、夏とはいえ比較的涼しい。縁側のガラ ス窓を全開にしておけば、昼寝にはちょうどよい。
 蝉のラブコールも、下界よりは勢いがないような気がする。
 ちりん――とひとつ、風鈴が音を響かせた。
 昼寝にはちょうどいい条件を備えている場所に大の字に伸びているはじめだったが、どうも、眠れな い。
 ぱたり。
 ぱたん。
 数度寝返りを繰り返し、結局寝つづけることをあきらめたはじめが起き上がる。
「う〜」
 その場に胡座(あぐら)をかいて頭を掻き毟る。
 枕元においてあったうちわを手にしてくるくると回していたが、よじれて大きく開いていた浴衣の胸 元を直して、立ち上がった。
「出かけてくる」
 玄関で家の奥に向かって声をかけると、奥から顔をのぞかせた家人が、慌てて止めようとする。そん な家人を尻目に、はじめは戸をくぐる。
 もの言いたげな家人の視線を嫌というほどに感じながら、はじめは無理に笑顔を作った。
「すぐかえるって」
「では、お気をつけて」
 見送る家人に手を振って、はじめは外に出たのだった。
 檜の木立がどこまでも続いている一本道を、群落の方向とは逆に進む。
 樹木のかもす心地好いかおりに、はじめの鳶色のまなざしが、はんなりと弛んだ。
 やがて、鳥居が見えてきた。
 例の手まり唄が、大きくきこえてくる。
「いるいる」
 はじめの笑みが、深くなった。
 鳥居をくぐり、石畳の参道を進むと、広々とした境内にたどりつく。
「おっす。フミ!」
 見慣れた髪形を見つけたはじめは、手を振って呼びかけた。
 背中を向けてまりを突いていた小学校中学年ほどの少女が振り返り、
「なんだ〜はじめかぁ」
と、返した。
「あいかわらず生意気な口きくな」
「尊敬できる人だったら、きちんとするもん」
「そういうの、鼻持ちならないって言うんだぞ」
 フミの頭をくしゃくしゃとかき回しながら、顔を覗き込む。
「もーっ。そんなことすっからだよっ」
 べーだ―――と、舌を出すフミに、はじめは、笑った。
「楽しいな。おまえといると」
「わたしは楽しくないやい! あっち行け!」
 エイエイッとばかりにはじめの脛を蹴る真似をする。
「降参! こうさんだって」
 逃げるはじめをフミが追いかける。
 微笑ましげな光景が、ふと翳ったのは、新たな人物の登場のせいだった。
「フミさん。神主がお探しでしたよ」
 袴姿の青年が、フミを手招く。
「じゃあな。はじめ」
 固く無表情になったフミが、そう言って踵を返す。
「おお」
 去ってゆく小さな後姿を見送っていたはじめは、次の瞬間思わず身を引いた。
 心臓が大きく脈を刻む。
 目の前に、薄い褐色の瞳があった。
 否。
 整いすぎるほどに整った白い顔が、あったのだ。
 二ッ――――とばかりに口角を引き上げた赤いくちびるが、爬虫類めいて見えた。
「こんなところで、油を売っていていいのですか?」
 どこか嘲るような口調に、
「別にいいだろ」
 ぞわぞわとするものを感じながら、それだけを返した。
「時間は、過ぎてゆきますよ。こうしている間にも―――ね」
 奥歯にものをはさんだようなネットりとした喋りに、
「オレの勝手だっ」
 それだけを返して、はじめは踵を返したのだった。




◇◆◇◆◇




 フミと出会ったのは、偶然だった。
 七月にはいったばかりの、この村にある金田一家の別荘に、はじめが到着した時である。
 車の前に飛び出した少女が、フミだった。
 舗道はされているものの車二台がやっとすれ違えるだろう幅の車道の中央近くで立ち竦んだネコを救 おうと、果敢に飛び出したのだ。
 運転手もネコに気付きスピードを落としていたから、大事にはいたらなかった。それでも、充分心臓 には悪い出来事だった。
 止まった車から慌てて降りたはじめは、ネコを抱きかかえて『ごめんなさい』と言った幼い少女を見 て、おどろいた。
 なぜなら、その子の顔は、父と離婚してはじめを置いて出て行った母によく似ていたからだ。
 ―――つまりは、母親似のはじめにも似ているということだった。
 しかも、名前まで、二、三と書いて、フミ――これ以上の因縁はないだろうと思えた。
 もしかして、父親違いの妹ではないかと思わないこともなかったが、知るのが怖くて、確認はしなか った。
 自分と母に似た少女は、とても幸せそうだ。だから、それで充分だった。
 それに、フミといると、気が楽だった。
 何にも知らない、幼いがゆえの傲慢さやこどもらしさ、そうして、底抜けの明るさが、いまのはじめ には、まぶしく、そうして、心地好かったのだ。
 フミは飼えないからと、ネコをはじめに預けていった。
 その三毛の仔猫は、今は、はじめの膝の上で、ゴロゴロと喉を鳴らしてご満悦の態である。
(フミは可愛いけどなぁ………あいつがいかん)
 爬虫類めいた雰囲気の優男を思い出して、はじめの顔が歪んだ。
 神社の禰宜(ねぎ)だとは思うのだが、どうも、存在自体が、胡乱(うろん)に思えてならない。
(胡乱……そう、んでもって、不遜なんだよな)
 禰宜が最後に言った、何もかもを見通しているのだとでも言いたげなことばが、脳裏によみがえる。
 疾うに押し込めたはずの不安が、今にも心の奥で鎌首をもたげそうで、はじめは手にしていた団扇で 膝を叩いた。と、
「うわ、こ、こら痛いだろ」
 それまで膝でくつろいでいた仔猫が飛び起き、はじめの膝にネコキックをおみまいしてきたのだ。
 仔猫の爪は小さいながらも鋭くて、容赦がない。
 首根っこを捕まえて、顔の前にぶら下げると、牙を剥く。
「ケダモノめ」
 軽くネコの眉間を指先でつついて、はじめは、畳に下ろしてやった。
 その時、
「え?」
 カンカンカンカン―――と、気ぜわしいほどに鳴り響く半鐘の音に、はじめは立ち上がって庭から外 を見やった。
 遠く、薄暮が赤く染まり、煙が黒々と立ち込めていた。
(火事………。いや、それより、あの方向は…………)
「フミッ」
 庭下駄を突っかけて、はじめは駆け出していた。

 到着した消防車からホースを持ち出した隊員達が、放水をし始めた。
 何度も休み休みそれでも走りつづけたはじめが火事の現場にようやくたどり着いたとき、神社の境内 のその裏にある神主の家は、もはや焼け落ちる寸前だった。
 ざわつく黒山のひとだかりを掻き分けて、はじめは、やっと、目当ての少女を見出した。
 ぼうぜんと火事を眺めている少女に、はじめの心が痛んだ。
「フミ、大丈夫か」
「はじめ………」
 大きな鳶色の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ち、煤で汚れた頬に筋を描く。
「じーちゃんが……」
 フミが、泣き崩れた。
 フミを抱きかかえ、はじめは何度もフミの背中をさすったのだった。

 結局フミの家は全焼し、焼け後からは、神主と禰宜のものと思われる死体が見つかった。

 フミには祖父のほかに係累はいない。
 養護施設に入るしかないだろうとささやかれていたフミを、はじめは引き取ることを決めた。それは 、母に似た少女に対する感傷かもしれなかったが、親しくなった少女が独りになったのを見ていながら 、どうして放って置けるだろう。
 未青年のうえに、十七才でしかないはじめである。法律上、それは、あまりに無謀なこととしか思わ れなかった。しかし、金田一家の力を持ってすれば、少女の一人を引き取るくらい、簡単なことだった 。
 金持ちの坊ちゃんの我儘、気まぐれ――と、暗に謗られはしたが、そんなことは、はじめにとってど うでもいいことだったのだ。
 こうして、フミは、金田一フミとなったのである。


 はじめは優しくて楽しかった。だから、あんなにも怖くてならなかった祖父の死や自分の家が焼け落 ちるシーンを夢に見ることも減っていった。そうして、五日が過ぎた。
 夏休みである。
 この休みが終われば、自分はこの村から出るのだろう。はじめの本当の家族と対面することを思えば 、億劫だ。人見知りなどしないように思われがちだが、初対面の相手というのは、誰だって、苦手だと 思う。
 しっかりと出された夏休みの宿題をすまそうか、サボろうか、案外身近な問題に悩んだフミははじめ の部屋に向かった。
(まだ寝てたりすんのかな)
 寝汚いというのか、はじめは朝の十時前に起きていたことがない。
 使用人である家人は、主人であるはじめのすることに、基本的には注意をしないから、一日中寝巻き のままでいたりもするのだ。
(そういえば………)
 ふと、今更な疑問が湧いてきた。
 それは、
(はじめってば十七才だって言ってたよな。ってことは高校二年だよね)
ということだ。
(夏休みのずいぶん前からこの村に来てたけど………さぼり?)
 夏休み前の高校生は、たしか期末試験とかいうのがあるはずで、そう簡単にはサボれないのではなか ったか。
 首を傾げたフミがはじめの部屋の前に来た時だ。
「No!」
 鋭い声だった。
 この単語くらいなら幼稚園児でも知っている。
 はじめのものとは信じられない、鋭く切羽詰ったような声が、障子の向こうから聞こえてくる。それ は、すべて、外国語らしきものだった。相手のことばが聞こえては来ないことを考えると、電話で喋っ ているのだろう。
 フミにはわからなかったが、なめらかなイントネーションの外国語の連なりは、微妙に普通の英語と は発音が異なっている。俗にクイーンズ・イングリッシュもしくはキングス・イングリッシュと呼ばれ る、イギリスの上流家庭で用いられているものだった。
 なんだか、意外だった。
 自分を相手にバカばっかり言っているような印象の、はじめだったのに、この流暢過ぎる外国語はど うだろう。外国語がしゃべれるというだけで、はじめの印象が、ころっと変わる。それは、おそらくは 、フミだけではなく日本人にはよくあることだったろう。
 がちゃんと、受話器が下ろされる音についで、かすかな溜息らしきものとなにかが倒れるような軽い 音が聞こえてきた。
「はじめ」
 恐る恐る声をかけると、
「おう」
 フミの知るはじめのいつもの声が返ってきた。
 それに安心して、フミは、障子を勢いよく開けたのだ。
 後頭部で腕を組み寝転がっていたはじめが、腕を解いて起き上がる。
「どしたんだ、おまえ?」
「あの……あのさ」
「そんなとこ突っ立ってないで、こっち来て座れよ」
 フミが、ぺたんと畳に座る。
「夏休みの宿題?」
「ああ、そういや、そんなのもあるんだな」
「わたしって、転校するんだよね?」
「あ? ああ、そうだな。こっちにいたけりゃいてもいいけどさ、やっぱ、保護者がいねーとな。なん たって、おまえって、まだ小学生だし」
「とりあえず、片づけといたほうがいいかな?」
「転校早々恥ずかしい思いしたくなけりゃ、やっとくっきゃないんじゃないか?」
「めんどーだね」
 あーあと、伸びをしかけたフミだったが、
「そーいや、はじめが勉強してるとこ見たことないけど、宿題は?」
 気になったことに触れてみた。
「ない」
 けろりと返したはじめに、
「そんなわけないだろっ」
「ないんだからしかたがないだろう」
「あー! わかった、サボるつもりだな。いーけないんだ」
 いーけないんだいけないんだ―――と、歌声で糾弾してくるフミに、
「あのな、フミ。ほんと、オレには、しなきゃいけない宿題はないんだよ」
 はじめて聞いた真剣なトーンの声に、フミの歌が途中でやまる。
「………はじめ?」
 はじめは、笑顔だ。
 いつもとおなじ、邪気のない笑い顔でフミを見ている。けれど、なぜだろう、フミには、はじめが今 にも泣きだしそうに見えてしかたがなかったのだ。
 気まずい。
 なにか、自分は、はじめの触れて欲しくないところに触れてしまったのだ。それがわかったから、
「あ、あのさ………」
 謝ろうとしたのだ。
 しかし、
「はじめさま。お客さまがお見えです」
 障子の外からかけられた家人の声に、フミは謝るタイミングを逸したのだった。


 はじめの知り合いだという、リチャード何とかは、ほっそりとした外見を裏切る健啖家だった。
 はじめと喋りながら、よく食べよく飲みよく笑う。
 ふたりの間で交わされるのは英語なので、フミにはまったく理解ができない。
 いったいどんな知り合いだ――と、疑問はあるものの、二十近い年の差があるだろうふたりの間には 、ある種の馴れ合いのような雰囲気があった。
 ―――そう、学校の先生たちの間にある、なんというのだろう、年の差は差として、よく似た雰囲気 をまとっているあれである。
(同僚とかって感じかなぁ)
 同僚というのも妙な印象だが、それが正しいとしたら、いったい何のだろう?
 箸で刺身を摘んだまま、フミは、青い目で金髪の男を観察する。
 フミの視線に気づいたリチャードが、屈託のない笑顔を向けた。


 風呂から上がったはじめが部屋に戻ると、リチャードが待っていた。
 はじめが深い溜息をつく。
 どったりと畳に腰を下ろし、口を開きかけたリチャードに先んじて、
「いいか、オレは、戻らないからな」
と、牽制する。
 もちろん、英語である。
「なぜだ。あれだけ夢中だっただろう」
「だが、完成した」
「だから?」
「終わっただろう」
「だから、突然退職届を出したのか」
「そうだ。もう、あそこで、オレがすることは、ない」
「そんなわけがあるか。暇なら俺のプロジェクトを手伝ってくれ。あれは、複雑すぎて、俺一人じゃ手 におえない。だから、俺は、こうしてきたんだ」
「ニック」
 リチャードの研究内容を、はじめは知っている。それが、とても難しいものであることも。しかし、 リチャードなら、それをやり遂げられるということもまた、はじめには、わかっているのだ。
「オレが手伝わなくても、おまえだけで完成させられる研究課題だ。違うか」
 鳶色の瞳に見つめられ、リチャードは、息を呑んだ。
 真摯なまなざしだった。
「所長が、おまえに戻ってきて欲しいといっている」
「知ってる。今朝、電話があった」
「だったら! みんな、おまえに帰ってきて欲しがっている」
 青いまなざしが覗き込んでくる。胸が痛い。
「無理だ」
「なぜっ」
「無理なんだ………」
 歳相応の歳若い少年の顔をして、はじめがリチャードを見上げる。
 その、あまりに稚い表情が、リチャードの胸に、不安な鼓動を刻んだ。
「はじめ……おまえ、なにを隠してる」
 リチャードのそのことばに、はじめの肩が大きくぶれた。
 リチャードが、はじめの頼りなげな肩を握りしめようと、手を伸ばした。
 カン!
 大きな半鐘の音を皮切りに、これでもかといわんばかりの勢いで、鐘の音が村に響き渡る。
「火事だ……」
 立ち上がったはじめが、庭に面した障子をひらいた。
 夜空が、赤く、照らし出されていた。




◇◆◆◆◇




 五日前に火事があったばかりだ。
 ざわめく野次馬たちにまじって消火作業を眺めていたはじめは、ふと、見覚えのある顔を見たような 気がした。
 あれは―――
 白い、爬虫類めいた、端整な、顔。
 神社の火事で、死んだはずではなかったか。
 焼け跡から見つかった二体の骸は、間違いなく、神主と禰宜(ねぎ)のものだったと聞いている。な のに、ひとごみに紛れ込んでいる、白い顔は………。
(笑ってる?)
 濃い朱色を宿す薄いくちびるがめくれあがり、能面のように不気味な笑みを形作っている。
 はじめは食い入るように、多くの野次馬がつくる人垣越しに、その男を凝視していた。
 と、ふいにその色の薄い瞳が、はじめを捉えた―――ように、見えた。
 ぶつかりあう、二対の視線。
 ぞわり。
 はじめの背中を、冷たいものが駆け抜けた。
 暗い、喜悦。恐ろしいくらいの、憎しみが、禰宜に似た男の瞳の奥で、蠢いている。
 救いのない憎悪が、じわりと、はじめを捉えた。
「ハジメッ」
 はじめにつきあって来ていたリチャードが、咄嗟に手を差し出し、はじめを支えた。
 からだが傾ぐ。
 気が遠くなる。
 リチャードに礼を言おうと見上げた視界は、白く、もやっていた。
 そのまま、はじめは、意識を手放したのだ。




『くぐつと血色の薔薇を抱き
       闇の公子は眠ります
 けれども用心
     ご用心
 公子が目覚めた暁は
       村が血に染む最期の日
 公子は昔を忘れない
 母を亡くした悲しみに
       狂える公子は人を裂く』


 どこからともなく、記憶にある手まり歌がきこえてくる。
 欝蒼と繁る、檜の連なり。
 檜の林の中を貫くように、一本の道が、白く浮かぶ。
(ああ、フミん家につづいてる道だ)
 この先は神社の鳥居だ。
 十メートルほど先を進むのは、白い上着に浅葱色の袴姿。――疾うに焼け死んだはずの、禰宜だった 。
 ふわりふわりと、まるで何かに操られているかのように、禰宜が進む。
(なんで? オレ)
 はじめは、どうして自分が禰宜をつけているのか、その理由に思い至らぬままに、導かれるように、 すらりとした後姿を追いかけていた。
 左右に整然と並んでいる檜の梢が、頭上に迫るかの錯覚があった。
(?)
 はじめは立ち止まった。
 禰宜の向かう先に、一軒の、荒れ果てた家屋が見えたのだ。
(だいたい、神社の本殿のあたり――だよな)
 独り語ちる。
 かやぶき屋根が今にも崩れそうな古い民家は、崩れ落ちていないのが、不思議だった。
 ひびが入り、割れ落ちた、うっすらと曇ったガラスが矩形に区切られた枠にかろうじてへばりついて いる、危なっかしげな戸口が、梁をかろうじて支えている。そんな印象を受ける、傾いだ家屋の戸口を 律儀に引き開けて、禰宜がふわりと土間を進む。
 なぜだか、ついてゆかなければならないような強迫観念に囚われて、はじめもまた、木屑が降りかか る戸口を抜け、腐り体重を支えなさそうな框(かまち)に上がった。
 腐った畳にずぶりと足が沈む感触に、はじめの眉間に皺が刻まれる。
(うわ………ぞわぞわする)
 危なっかしくあちこちで足を腐った畳に取られながら、それでもどうにかこうにか、まだ見えている 禰宜の後姿を追いかけた。
(もしかして……わざと、か)
 はじめが見失わないギリギリの速さで、禰宜は進んでいる。
 その証拠に、はじめが畳にてこずっていると、禰宜の足は弛くなるのだ。
  やがて、禰宜はぴたりと足を止め、はじめを振り返った。
(うわっ! サスペリア………)
 古いホラー映画を咄嗟に思い出すほどに、それは、突拍子もない動きだった。
 百八十度、くるんと、禰宜の首から上だけが、もげてしまいそうな動きで、回ったのである。
 ニヤリ―――と、薄いくちびるが、笑を刻んだ。
 薄い色の瞳が、薄暗い屋内の、朽ちた天井の裂け目からの光に、刹那の輝きを宿す。
 それは、このまま逃げ出してしまいたいと切に願ってしまう、恐怖を煽りたてるばかりの、微笑だっ た。
  ゆらり、禰宜の肘から下が、からだに垂直にもちあげられる。そうして、そのまま、ひらひらとゆ らめく。
 おいで――――と。
 抗いがたいなにものかに引きずられるように、はじめは、意識とは反対に足を進ませた。否、正確に は、引きずられたのだ。
 そうして、床下にぽっかりと開いた穴へと、はじめは入っていった。
 禰宜はいつの間にか消えていた。
(ああ、これって、天然の洞窟だ)
 奥へと向かって少しずつ下っている洞窟を、ごつごつとした岩の質感を頼りに、はじめは、ただ先へ と進む。
 そうして、やがて、少し広くなっている場所へとたどり着いた。
 だいたい四畳間くらいの広さだった。高さは、二メートルあるだろうか。
 岩や土の圧迫感に息苦しさを覚えて、はじめは少し屈みこんだ。
 そうして、そこだけスポットライトを浴びたようにぽっかりと浮かび上がったのは、ひとりの、痩せ さらばえた人間だった。
 敷きっぱなしなのだろう、汚れた布団に、横たわっているのは、ばさばさの黒い髪、頬のこけた、ど うやら、男のようである。
 近寄ってよく見れば、薄い胸は上下している。
 かさかさに渇きひび割れたくちびるから押し出され、吸い込まれるのは、浅く、荒い、息。
 枕元の欠けた湯のみに、いつからか水が注がれていないのか、乾ききっている。それは、その隣の急 須もおなじことだった。蓋を開け放ったまま置かれている急須の中には、茶葉すら入ってはいない。
「おい」
 そっと、額に触れてみる。
「ひどい熱だ」
 そう言ったはじめは、自分を見つめている瞳に気づいた。
  熱に潤んでとろりとした、金色の、まなざし。
 細い腕が、力なくはじめに伸ばされる。
 憐れなほどに乾いたくちびるが、音のないことばを紡ぐ。
 水がほしい―――と。
「わかった」
と、応え、湯飲みと急須に手を伸ばした。しかし、どうしても触ることができず、手は、ただ虚しく空 を掻くばかりだった。
 弱々しく息を繋ぎながら金のまなざしではじめを見つめる男と茶道具とを、途方に暮れて見つめるは じめは、ガチャリという音に、我に返った。
 はじめの背後――はじめが入ってきた時には何もなかったはずのそこには、いつの間にかがっしりと した骨組みの木の柵があった。
 中年に見える女と、はじめよりも年下だろう少年とが、はじめの横に立ち、男を見下ろしていた。
 ふたりには、はじめは見えていないようだった。
「遙一」
 女が、片膝をつき、男に声をかけた。
 少年は、所在なげに、柵に背もたれている。
「苦しい? そう。お水が欲しいの。―――もちろん、お腹も減っているわよね。あげても、かまわな いのよ。お薬もね。ええ。姉、あなたのお母さまは、元気よ。もちろん、この十年変わらず、あなたを 捜してはいるけれど………。でも、あなたは、見つからないわ。見つかるものですか。ここは、神域で すものね。たとえ、あなたを探すという理由からでも、こんな奥まで、踏み入っては来ないわ。そうし ていれば、十年前に、あなたは疾うに見つかっているわ。けれど、決まりを破る勇気、あの女にも、こ の村の誰にも、あるものですか。一生、あなたは、ここにいるの。あなたのお母さま、姉さまなど、死 ぬほど苦しめばいいのよ。いつだって、我儘で、勝手で。たった一つ。たった一つしか、違わないとい うのに。姉さまは、高遠の後継ぎだからと、大切に育てられたわ。けれど、わたしは………。ああ、詮 のないこと。いまでは、わたしが、高遠の当主の母親。ええ。そう。わたしが一言言えば、姉さまは、 家から追い出されて、飢え死にしてしまうでしょう。ひとりで生きてゆく甲斐性などあるものですか。 だから、わかっているわね」
 激情にかられて一気にまくしたてる女に、かすかに、遙一と呼ばれた男が、頷いたように見えた。
 その後のふたりの遣り取りは、閉ざされている弱った男と閉ざしている側の会話ということを別にす れば、呪い師とそのマネージャーのようなものだった。
 だれそれの盗まれたものは誰が取ったのか、もしくは、どこかに置き忘れているのではないか。縁組 の吉凶。雨乞いの成否。その内容は、身近な辻占のようなものから、株価の変動まで、さまざまなもの だった。
「英機。あなた、聞いているの。あなたの託宣になるのですからね」
「わかってるって。今までだって、ちゃんとやってきてるだろ」
「そうね。いまでは、あなたが、高遠の当主ですものね」
 そう言うと、女は、愛惜しくてならないとばかりに、英機を抱き寄せた。
「じゃあ、お水と食べ物、それにお薬は後で届けますからね」
 そうして、ふたりは、再び鍵の音を響かせて、そこから出て行ったのである。
 はじめも出て行きたかった。
 水を求めて苦しんでいる男に、手を差し出すこともできない自分が辛かった。だから、この場を去り たかったのだ。しかし、どうやっても、この場所から出てゆくことができない。
 はじめは、虚しく、ただ、男の苦しみを見ているよりなかったのである。




◆◆◇◆◆




 その夜、焼け落ちたのは、村長の屋敷であった。
 村長の、無惨な遺体が発見されたのは、その翌朝のことだった。
 神主の死、村長の死、二つの死は、村の八十才以上の年寄りたちに、じわりとした恐怖を覚えさせて いた。
 それは、八十年ほどむかしに起きた事件のせいだった。


 八十年ほど前、この村で、背筋が逆毛立つような事件がおきた。
 片田舎で起きた事件は、まだ封建色濃い時代、新聞沙汰にもなりはしなかった。なぜなら、事件に関 わった村の有力者たちだけで、事件は内々に処理されたからだ。
 事件の舞台となったのは、高遠という家であった。
 当主が行方不明になり、その後家人が惨殺された高遠家は、この村全体を所有する、庄屋だった。
 そうして、当時少年や少女であったろう村人たちが今にいたるまでそれを忘れずにおぼえている理由 ―――それは、高遠に伝わる伝説のためだった。

 高遠の祖先は、天人であるという。

 天から舞い降りた天人が、飢饉に苦しむ村人を救い、村人たちの中心であった若者と恋に落ちた。そ うして、天人は天に帰らず、若者との間にこどもを為したのだ。しかし、ひととの交歓は、天人には禁 忌であったらしい。子を産んだすぐ後に、天人は、解けるように消えたのだという。
 どこにでもある、天人女房のバリエーションだ。しかし、この村の場合は、少し違った。その子孫で ある高遠の直系は、現実に不思議な力を持っている。
 見えないはずのものを見る。手を使わずに、ものを動かす。いろいろある力のうちで、もっとも怖れ られたのは、これはいつの時代にも高遠直系のものたちが『そんな力はない』と否定した――――ひと を呪う力だった。
 高遠の力は、村人たちにも恩恵をもたらしていた。しかし、同時に、恩恵を被れば被るだけ、怨み妬 みの心がつのることもまた否定できない事実だった。
 はたして、八十年前の当主は、先祖がえりと呼ばれるほどに、不思議の力を自在に操っていたのだ。  時に当主は、十三才。名前を、高遠遙一といった。
 先代は既に亡く、遙一の肉親は、母親だけだった。
 高遠の家族構成は、都会での事業に失敗して身を寄せていた遙一の母の妹家族を含めて六人。それに 、代々仕えている乳母や爺やなどの使用人を入れると数十人にのぼった。
 遙一はまだ少年だったが、突出する能力を得た代わりのように、床に伏していることが多かった。
 当初、失せもの捜しなどで遙一を頼ってきた村人たちをさばいていたのは、遙一の乳母だった。 が、いつのまにか、叔母に代わっていた。
 そうして、気がつけば、病身の遙一の世話で忙しい母親に代わって、叔母――松谷修子(まつたにし ゅうこ)――が我が物顔で、家を取り仕切るようになっていたのである。
 そんなある日、高遠の家から遙一が突然消えた。
 からだが弱く、常に褥(しとね)に伏していた当主の失踪は、事件の可能性ありと村の駐在たちを慌 てさせた。
 母親と乳母をはじめ、古くから代々高遠家に仕えているものたちは、必死になって当主の行方を求め た。
 しかし、一週間が経ち十日が過ぎ、ついに一ト月になっても、遙一の手がかりすら得られることはな かった。
 病みやつれた遙一の母親が、床につき、いつしか、身を寄せていた松谷一家が、高遠の当主のように 振舞うようになったのだ。これに反感を抱くものもいたが、松谷の嫁は遙一の母親の妹である。表立っ てとがめだてするものなどはいなかった。
 それに、修子の次男――英機(ひでき)が、突然、直系のみが持つはずの力に目覚めた。
 未来を見通し、見えないはずのものを見るようになったのだ。そうなっては、もはや、反対もできよ うはずがない。なぜなら、高遠の当主は、祖先の力を受け継いだものがなるというのが、暗黙の了解で あったのだ。それに、下手に逆らって、呪われでもしたら、ことである。
 いつしか、村の支配者は、松谷家にとって代わられてしまっていた。
 そうして、十年が過ぎた。
 今では、松谷家は押しも押されもせぬこの村の支配者だった。
 誰も、異を唱えるものはいない。
 そうして、彼らは、ほしいままに振舞った。
 彼らに追随するものだけを大切にする。
 小作人や使用人たちは虐げられたが、それでも、異は、表立っては、出てこなかった。
 英機の力は遙一を彷彿とさせるもので、村人たちは、呪われるのをなによりも恐れたのだ。
 どんなに苦しくとも、命あってのものだねだ――――と、彼らは、小さくなっていたのである。
 英機に力があるかぎり、彼らは、松谷に反旗を翻すことはできない。
 英機とその家族は、それを知っていた。
 力があるかぎり、彼らを虫けらのように扱うことができるのだ。
 だから、より一層のこと、力を誇示して見せた。



 金色のまなざしが自分を見ていることに、はじめは気づいた。
 熱に潤んだ、金の瞳。
 辛そうな息。
 水はまだ来ない。
 可哀相だった。
「ごめんな。オレ、なんでだか、ここから動けねーし、あんた以外に触れねーんだ」
 彼以外のものに触ることができれば、出てゆくことができれば、水を汲んできてやることだって飲ま せることだってできるのだ。
 涙がこみあげてくる。
 悔し涙なのか、憐れみの涙なのか。
 どちらにしても、自分が泣いたりするのは、おかどちがいだ。
 苦しいのも、辛いのも、目の前で苦しそうな息をしている、彼なのだから。泣く資格があるのも、彼 だけだ。
 グッと腹の底に力を入れ、はじめは、必死で涙を堪えた。
 ひたり―――
 手に何かが触れた。
 見れば、憐れなほど痩せた手が、床についたはじめの手の甲に触れている。
 熱い。
 そういえば、彼にだけは触ることができるのだったなと思いだす。
 かすかに、彼が笑んだような気配があった。
「あんた……」
 咄嗟にこぼれ落ちた涙を、慌てて拭う。
 バツの悪さに少しだけ位置をずらし、はじめは、彼の額にそっと、手を伸ばした。
 燃えるような熱さだった。
 気持ちがいいのか、息が、少しだけ、ゆるやかなものへと変化する。
 ゆっくりと、彼の額を撫でる。
 乾いたくちびるが、「ありがとう」と、ことばを紡いだように、見えた。
 感謝されるようなことなど何もしていない。
 なのに、彼は、はじめを安心させるようにやわらかく笑んで見せ、そうして、疲れたのだろう、瞼を 閉じたのだ。
  はじめは、ただ見ているだけしかできない自分に、強烈なもどかしさをおぼえずにはいられなかっ た。
 せめても――と、はじめは、彼の額をさする手を止めようとはしなかったのである。


 どれくらいの時間が過ぎたのだろう。
 まだ、彼に水や食べ物は届けられない。
 少し前に見た光景を思い出せば、酷い状況に彼を陥れていても、彼の助けが必要不可欠だろう。彼が なければ、おそらく、あの女の計画は、頓挫するにちがいないのだ。計画をつづけてゆくためには、生 かさず殺さず、彼をここに閉じ込めていなければならないはずである。食事や水は、不可欠だ。それな のに、今だ届かないということは、何か突発的な事件があったのにちがいない。それが、彼にとっての 幸運なのかどうかはわからないが、
(このままじゃ……)
 死――の一文字が、はじめの脳裏にちらつきはじめていた。
 胸が、締めつけられるように、痛んだ。
 まだ生きたいだろう。
 なのに、いのちは、もぎ取られようとしている。
 たとえ、逃れようのない宿命ではあっても、まだ、若者のうちに、死と顔を合わせなければならない 苦痛は、はじめもまたよく知っていた。




◆◆◆◆◆




 辛そうだがそれでもその奥に、もどかしそうな表情を宿して金色のまなざしが、はじめを見上げてい た。
 熱に潤んだ金の瞳を、はじめは静かに見下ろす。
 何もできない。ただ、彼の額に手を置くくらいである。
 くやしい――と思う。
 手をこまねくしかない自分が、なさけない。
「っ」
 突然、彼のからだが大きく痙攣をした。
 張り裂けそうなほど見開かれたまなざしが、虚空を睨みつける。
 思い切り突き出した両の手が、がたがたと激しく震える。
「おい」
 舌を噛んではことだと、口をこじ開け指を突っ込む。
「くっ」
 乾いた歯列が力まかせに噛みしめられ、差し込んでいる二本の指に激痛が走る。
 このままでは食いちぎられる―――そんな恐怖が脳裏を過ぎったが、それよりも問題なのは、突然暴 れだした彼のことである。
 こんなに激しく暴れたのでは、 ますます体力を消耗してしまう。それは、彼の場合、いのちの危機 に直結しているだろう。
「おいって! そんなにあばれっと死んじまっぞ」
 彼のからだが震えるたび、噛みしめられた指が、引き攣れ痛む。
 骨が砕けそうだ。
 もがれそうだ。
 それでも、はじめは指を引き抜こうとはしなかった。
 ジンジンとした痛みが、熱が、二本の指から伝わる。
 肉が断たれ、血が出ているのが、わかる。
「ひっ」
 変な声が出たのは、痛かったからだ。
 ぬるりとぬめる、間違いなく彼の舌が、傷を舐めた―――のである。
「ちょっ」
 やめさせようとして、硬直する。
 ギリ……と、厭な音がしたような錯覚があった。
 歯に、力がこめられたのだ。
 痛いというだけのものではない。
 怖かった。
 あまりにも唐突な変貌に、この男に――今にも死にそうだった彼に、食い殺されるのではないかと、 非現実的な妄想が、頭の中を駆け巡る。
 非現実的ではあるが、ありえないともいえない。なぜなら、今、自分がここにいることがすでに、非 現実だからである。
 いつもとは違って霞のかかったような頭でも、それは、感じられる。
 理由も必然性も、すべてを明らかにするには、あまりにもデータが不足しているが、それでも、自分 がいるのが自分が属する場所ではないということだけは、明白だった。
 脂汗が、全身をしとどに濡らす。
 痛くて痛くて、怖いのに、怖くてたまらないのに、逃げようという気だけは起きないのだ。
 それは、もしかすると、彼に対する、憐憫や同情のせいなのかもしれなかった。

   ぴちゃぴちゃと、湿った音がする。
 痺れたような指の傷を、灼熱の舌が舐って(ねぶって)いた。
 不思議と恐怖は失せ、逃げようという気は起きなかった。
 上半身を起こして自分の腕を捕まえている男の後頭部を見下ろしながら、
(熱い……)
 痛みよりも、熱のほうが勝る。
 男が傷口に時折り犬歯を立てる。その瞬間爆ぜるように震えるはじめの指の傷口から、新たにあふれ 出す血を、彼は、まるでそれが甘露ででもあるかのように舐め啜るのだ。

(血なんか飲んだら、ふつー吐くぞ………)
 ぼんやりとそんなことを考えながら、はじめは、男のほしいままにさせていた。
 これで彼の渇きは癒えるのだという、安堵が、あった。
 どれくらい、血を分けてやれば、この男は満足するのだろう―――血をすべて飲まれるのではないか という一抹の不安はあったが、不思議と、恐怖を感じてはいない。
 どこかに、そんなことはないという、確信めいた予感があった。
 はじめは、男の頭に手を置いた。
 拭うくらいは面倒を見ているのか、不潔な感じはない。まるで、膝にあがってきたネコを撫でるかの ように、はじめはやさしく手を動かした。
 不意に、湿った音がやんだ。
 はじめは、最初それには気づかなかった。
 貧血を起こしているのだろう、上手く動かない脳が映す画像が何を意味しているのか気づいたのは、 数秒後のことだった。
 腕は痺れ伸びきっていた。それでも、たった二本の指にぱっくりと開いた傷口がじくじくとした熱を もち脈動しているのが感じられた。
(ああ、やっと終わったんだ)
 そう鈍く思いながら、痩せこけた白い顔の中に狂おしく底光りのする一対のまなざしを、自分の血に 染まった赤いくちびるがことばを紡ぐのを、見下ろしていた。
 くぐもった声が、低く、告げた。
「すみません」
と―――――。
 彼のそのことばを最後に、はじめは、意識を失ったのである。


 入れ替わりのように意識を失った少年を、そっと床に横たえ、彼――高遠遙一は、立ち上がった。
 突然どこからともなく現われた少年が、自分だけにしか見えていないことには、気づいていた。
 そうして、なぜだか、少年はほかには触れることができないというのに、自分にだけは触れることが できたのだ。
 額をそっと撫でてくれたやさしい感触と、自分のために泣いてくれた少年の涙を流すまいとする紅潮 した表情を思い出し、遙一の目元が、かすかにやわらいだものへと変化した。しかし、それは、わずか の間のこと。すぐさま、厳しくひきしまり、瞳の中に、思い詰めた色が凝固した。
 遙一は苦しい息の下、見てしまったのだ。
 見えるはずのないものを。
 決して見たくはなかった光景を。
 ―――それは、母親の、死の映像だった。
 それが、病んだ自分が描いた妄想などでないことが痛いくらいにわかっていた。
 そうであったほうがどれほどかましだったのにちがいない。しかし、自分のこの力が、誤まることな どありはしないこともまた、遙一は、誰よりも知っていたのである。
 叔母は、自分を騙していたのだ。
 母の死に顔は、苦しんで死んだもののそれだった。
 美しかった母の顔は、頬がこけやつれ果てて、満足に食べてはいなかったにちがいない。
 どうして、誰よりもやさしかった母が、苦しんで死ななければならないのだ。
 その苦しみは、自分の不意の失踪のゆえなのだ。
 ほんの刹那のこと、自分を呪った。
 自分の力をもまた、遙一は呪った。
 それが、きっかけだったにちがいない。
 刹那に爆発的な激しさで自分自身を呪った結果、彼の中で、何かが変貌を遂げたのだ。
 どうすれば、この、やつれ弱り果てた自分を癒すことができるのか、遙一は知っていた。
 なぜ知っているのかなど、関係ない。
 今の遙一がほしいのは、怒りを向ける矛先であり、怒りの爆発に絶えうることができるだけの力強さ だった。
 自分が震えていることにさえ、遙一は気づいてはいなかった。
 突然こじ開けられた口から押し込められたもの、それに喰らいついたのは、それが、とてもいい匂い をさせていたからだ。だから、歯を立て、貪りついた。
 口の中いっぱいに、熱く迸るもの。それが、なによりも自分を癒してくれるものだと、遙一には、わ かっていた。
 食道を通り胃の腑におさまるとろりと甘いそれ。
 全身が、カッと燃え上がる。
 だらだらとした病の熱とは異なる、鮮烈な焔がからだの奥底に宿った。
 渇きが、餓えが、あんなにも自分を捕らえて放さなかった倦怠感が、嘘のように消えてゆく。
 もう、夢中だった。
 それが、なんなのかは、問題ではなかった。
 ただ、一頭のケダモノのように、何度もそれを噛み破り、あふれ出す新たな甘い汁を啜った。
 最後の一滴まで、飲み干してしまいたかった。
 それをしなかったのは、頭に置かれた手の感触のせいだったろうか。
 逃げようともせずただ自分に身をまかせて頭を撫でるその感触のやさしさに、遙一は我に返ったのだ 。
 ケダモノと化したような己を恥じる気持ちがあった。しかし、激情は激情として、彼の中にもはや根 ざしてしまっていた。
 だから、遙一は、少年に、礼とも謝罪ともつかないことばをかけ、そうして、立ち上がったのだ。

 遙一は、苦もなく自分を閉ざしつづけていた地下を抜け出し、真直ぐに家へと向かった。




◇◇◇◇◇




 駆り立てられるようにして、遙一は高遠に向かった。
 遅きに過ぎることはわかっていた。
 それでも、逸る心を抑えることなどできはしない。
 それに、おそらく、そう長いこと存在してはいられないだろう。
 飢渇のままにあの少年の血をすべて啜ってしまっていれば、自分は存在しつづけることができるにち がいない。
 しかし、あれだけの血では、足りない。
 何を為すにも充分ではないのだ。  効率よく、総てを済まさなければならない。
 誰にも見咎められることなく母の骸(むくろ)と対面し、見開いたままの瞼を、そっと閉ざす。
 どんなにか会いたかったろう。
 やさしかった母に、どんな罪があったのか。
 燃え滾る怒りは、心を冷たく凍りつかせる。
「おかあさん」
 ようやく押し出したひとこととともに、にじんだ涙が一粒だけ、母の頬を濡らした。


 その日、近所の子供をふたりつれて川釣りからの帰途、松谷の次男英司(えいじ)は遙一を見かけた 。
 この十年行方不明だった年長の従兄弟である。
 遙一よりも二つ年下の英司は、この十年遙一がどういう状況に置かれていたのか、知らなかった。
 優しく接してくれた従兄弟である。しかし、その白皙の美貌とあいまって、不思議な力を持つという 年長の従兄弟は、彼にとって近寄りがたい存在でもあったのだ。
 なのに、なぜ、その、痩せた青年を遙一だと思ったのか。
 それは、直感だったのだろう。
 英司もまた、不思議な血に連なるものにはちがいないのだから。
 どこに行っていたんだとの問に、遙一は、ただ、どうしても帰れなかったんだと、そう言って微笑ん だ。
 その笑みに、剣呑な、光を見たと背中を粟立てた。
 と、薄い色のまなざしが、すぐ目の前にあった。
「英司……」
 耳元でささやかれた声は、やわらかかったが、同時に冷たかった。
 覗き込んでくる、鋭い視線が、英司を惑乱する。
 それは、疾うに折り合いをつけたはずの、心の傷を、こじ開けた。

 都会にいたころは尊大で、それで憧れるに足った父だった。
 母は弟ばかりをかまっていて淋しかったが、ねえやが優しくしてくれたし、仲のいい友達もいた。学 校も楽しくて、それなりに、楽しい毎日を送っていた。
 幸せだったのだ。
 父が事業に失敗するまでは。
 たくさんの借財を肩代わりしてくれたのは、母の姉だったらしい。
 そうして、母の実家があるこの村に来た時は、父は怒りっぽく、母は一層のこと弟にべったりだった 。
『田舎になんか帰りたくなかった』
 折りにつけそうつぶやく母に、使用人達は冷たい視線を向けた。それは、母の息子である自分たちに も向けられた。
 居場所がなかった。
 村に遊びに出かけても、嘲われているかのようで、仲間に入れてもらう勇気も出なかった。
 弱かったのだ。
 そんな自分に優しくしてくれたのは、母の姉だという伯母と、自分にとって従兄弟にあたるという高 遠の当主だけだった。
 けれど、一日の大半を床に伏している遙一は、その色の薄い目でなにもかもを見通しているかのよう で、怖かった。
 おいで――と、笑んで手招きされても、素直に近くにまで行けなかった。
 どこにも居場所がないようで、ひとり膝を抱えて過ごしたのだ。
 弟はもとより自分など眼中になく、見下しきった目で自分を見た。
 憎かった。
 何が理由なのか、母の愛情を独り占めにする弟も、弟だけを猫かわいがりする母も、事業に失敗して 酒びたりになって暴力をふるう父も。
 そうして、こんなところで膝を抱えている自分自身も。
 どうして、誰も自分を見てくれないのだ。
 淋しくて、許せなくて。枕を濡らす日々がつづいた。
 そうして、松谷の長男は与太郎だとささやかれるようになった。
 もう、どうでもよかったのだ。
 吹っ切れたというわけではない。
 なるようになる。
 それは、投げやりな思考だった。
 いつしか、考えることも放棄していた。
 ふらふらと日々を過ごして、気がつけば、二十を過ぎていた。
 子供たちには人気があったが、大人たちは影響を受けてはことだと、顔をしかめて遊んではいけない と嗜めた。
 見てくれだけはよかったせいか、それとも、今では海棠の実権を握った母のおかげか、金離れがいい せいなのか、女に不自由をしたことはない。
 父の醜態を見て育ったせいか、酒にだけは手を伸ばそうという気は起きなかった。そのぶん、女に金 を使った。
 どうせ、自分は、遊び人の与太郎なのだ。そう、自嘲しながら脂粉にまみれても、心の底の虚しさが 癒えるはずもなかった。
 それでも、どうすればいいのかなど、わからなかったのだ。

  「おまえが憎んでいるのは誰」
 ささやかれることばが、頭の中を占拠する。
「憎んでいるのは………オレが憎いのは…………」
「癒されるためには、なにが必要か…………」
「知ってる」
 手にしていた釣竿と魚篭(びく)が、音を立てて地面に落ちる。魚篭から転がり出た岩魚が、苦しげ に濡れた地面で跳ねた。
 機械仕掛けのように、ギクシャクと、松谷英司は高遠の家に向かった。


 クスクスと狂ったように冷たく嗤う、夕闇に赤く染まった痩せた姿を、忘れ去られたふたりの子供が 縮こまって見ていた。

 そうして、その夜、高遠家の惨劇が起きたのである。

 その日、高遠家では、当主の秀樹の誕生の祝いに、盛大な宴がもうけられていた。招かれていたのは 、日頃から松谷におもねっていた村長をはじめ村の金持ちたちだった。
 命からがら逃げ出した村長と下役五名は、すぐさま駐在所に逃げ込んだ。
 知らせを受けて駆けつけた駐在も、あまりのありさまに、ことばがなかったという。
 血に染まっていない場所などないような、そんな高遠の家屋敷に散らばる死体の数は、十を越えてい た。
 血にまみれていない死体は、先代の母親ただひとりだけだった。この惨劇よりも早くに彼女は死んだ のだと思われた。そう。松谷たちは、死んだ彼女を弔わず、当主の祝いをおこなったのだ。
 犯人が英司だと告げた、殺されずにすんだ六名と、逃げる英司を見たという村人からの報告に、山狩 りがおこなわれたが、彼らが見つけたのは、禁足の林の奥、忘れられた廃屋の地下の二体の(むくろ) 骸だった。
 ひとつは、松谷英司のもの。
 そうして、もうひとつ、あきらかにこの場に閉ざされていたのだろう、痩せさらばえた、それでもし ばらく前までは生きていたのにちがいない、男の遺体。―――それが誰のものであるのか、疾うに高遠 から暇を出されていた先代当主の乳母によって明らかになった。
 十年前に失踪したと思われた、先代当主、高遠遙一の憐れな姿だった。
 ―――村人は、ここにいたって、松谷の罪を知ったが、既に遅く、直接の罪びとたちはすでに、この 世のものではない。
 肝を冷やしたのは、松谷に与(くみ)し、殺されずにすんだ六名と、用があったばかりに宴に参加で きなかった者たちだった。
 高遠の伝説とあいまって、次は自分が殺されるのではないかと、怯えた。
 そうして、それは、現実のものとなったのだ。


 村の誰かのこどもがささやく。
「あすこに松谷のえーちゃんがいたよ」
「うん。ぼくも見た」
「あたしも」
 翌日には、村の誰かの無惨な死体が発見された。
 それは、間違いなく、生前松谷に与したものだった。
 死人相手に、なにができるのか。
 加持祈祷がおこなわれたが、こどもが松谷の長男を見なくなることはなかった。
 いつしか、松谷のえーちゃん――すなわち、松谷英司は、高遠遙一の恨みによって現われるのだと、 哀れな傀儡なのだとささやかれるようになった。
 やはり、高遠の当主は、ひとを呪う力を持っていたのだ。そうして、最期の高遠の当主は、死んだ後 に恨みを晴らすべく松谷英司を操っているにちがいない。
 もはや、誰も、高遠遙一の名を口にするものはいず―――闇の公子と畏怖をこめて呼ぶようになった 。
 闇の公子は、彼の復讐の手先として、松谷英司を操っているのだ。
 村人たちは、闇の公子の怒りをなだめるために、彼が十年間閉じ込められていた廃屋を取り壊し、彼 とその母親とを祀る神社を建てたのだ。
 松谷に与した前非を悔いたものが、自ら神主に名乗り出た。
 以来、災厄はぴたりとなりをひそめた。
 それでも、ひとびとは、怖れるのだ。
 松谷に与したものがすべて殺されていないことを知るからこそ、再びの闇の公子の目覚めを怖れつづ けているのである。




◇◇◆◇◇




 ニックことリチャード・ニクソンは、呆然とはじめを見下ろした。
 火事現場で倒れたはじめを背負って帰ってきたあと、家人が延べた布団に彼を横たえた。
 思ったよりも軽い体重に、不安を覚えなかったといえば、嘘になる。
 視線の先、いつもの彼とはかけ離れた、血の気の失せた白い顔が、そこにはある。
 布団の上、はじめの意識は戻らない。
 たまさかのこと苦しげな息をつくはじめの額に脂汗がにじむ。
 ニックの頭の中には、先ほど帰っていった村の老医師のことばがあった。
『精密検査をお勧めします』
 この家を取り仕切っているだろう男に何かを告げていた老医師から、聞き出したのは、たどたどしい 英語でそれだけだった。
(これが理由か、ハジメ)
 ニックの眉間に縦皺が刻まれる。
 老いた村の医者に不安を抱かせることが、はじめにわからないはずがない。ラボでは、彼を補佐に研 究主任を務めていたハジメである。
 研究所を辞めたあと、病院に入院するでなく鄙びた田舎で過ごしているということは――――
 明るくなにごとにも前向きな少年が、何を思ってここにいるのか。
 そこまで考えて、ニックは不吉な予感に背中を震わせた。

 はじめ………

 うるさい。

 はじめ………

 うるさい。オレは眠いんだっつーの。

 眠りを妨げる声に寝返りを打つ。その衝撃に、はじめは目覚めた。

「はじめっ!」
「ハジメ」
「あ……」
 声を出そうとして咽(むせ)こんだはじめの背をさするのは、小さな掌(てのひら)だった。
 喉が痛い。
 差し出された湯飲みに手を伸ばす。
 上半身を起こされて、口もとに湯のみがあてられた。
「ゆっくりだ。ハジメ。でないと咽る」
 渇いてひりつく口と喉を、なまあたたかな白湯(さゆ)がうるおしてゆく。
「サンキュ。フミ、それにニック」
 目にかかって煩わしい前髪を掻きあげながら、背中をさすってくれたフミと白湯を飲ませてくれたニ ックとに礼を言う。
「で、オレ、どーしたんだ?」
 記憶は、火事場に駆けつけたところで、終わっていた。
 いや、そこで、見知った顔を観たような、気がする。
 ―――あれは、死人(しびと)ではなかったか。
 フミの祖父と一緒に、焼け跡から発見された、神主。
 ぼんやりと、いつしか夢とも現ともつかない記憶を検証していた。と、
「ばか、はじめっ。心配するじゃんか。突然倒れたりしてっ。そいで、それで、三日も目を覚まさない んだから」
 しゃくりあげるフミの髪を撫で、
「ああ、ごめんな」
 はじめが笑んだ。
 日本語でのふたりのやりとりはわからないが、『ごめん』くらいは、理解できる。
 たった三日でやつれ青褪めたはじめの顔に、やわらかい笑みが宿った。
 それを見て、ニックの心臓が、大きな鼓動を刻んだ。
「お医者が精密検査って言うし、滅茶苦茶心配したんだからな」
 フミの髪を撫でていた手が、ふと止まった。
「そっか………」
「町の病院行くんだろ?」
 心配そうに見上げてくるフミの顔を見下ろして、補遺s 「行かないよ」
「え?」
 鳶色の瞳が大きく見開かれた。
「行く必要はないんだ」
 フミの瞳が不安に揺れる。
「なんで? 行かないと。悪い病気だったら怖いじゃんか」
 食い下がるフミに、はじめは、溜息をついた。
「あのな、フミ。村の開業医にわかるようなことが、オレにわからないわけがないんだよ」
「へ?」
「日本に帰ってくるまで、オレは、いろんな病気の治療法を研究するところで働いてたんだよ」
 湯飲みを取り上げ、今度は一息に呷(あお)った。
「働いてたって?」
「これでも、オレって、かなり優秀な研究者だったんだよな」
「研究者? はじめが?」
「そ」
「うそっ」
「うそついてどーすんだよ。こんなこと」
 フミが信じられないとばかりに、まじまじと見上げてくる。
「じゃあさ、じゃあさ、病院に行かないでいいってことは、お医者の看立て違いってことだよな?」
「そう――」
「よかったぁ」
 フミが全開で安心したように笑う。その笑顔を見て、はじめは、口をつぐんだ。
 ――――そうだったらどんなにいいだろう。
 「はじめの目が覚めたって言って、お粥でも作ってもらってくるね」
と、安心したのだろう、フミが部屋を出てゆく。その背中を見送りながら、はじめは、忘れようとして いた記憶を思いだす。
 看立て違いであったら、今ごろ自分はここにはいない。
 研究所を辞めることも、中途半端に日本に帰ることもなかったろう。
 あの日、自分の体調の異変に気づいたとき、すべては手遅れだと、同時に悟った。
 どうしてオレが。
 信じられなかった。
 信じたくなかった。
 いのちの有効期限がそれほど残されてはいない。なのに、それを知って自暴自棄になるような質では なかったらしい。呆然とした時が過ぎ、何をしても無駄だと認め、やりのこした研究を完成させること に集中した。それ以外にもやらなければならないことがあった。
 研究が完成したのは、ほんの二十日ばかり前のことだ。そうして、何も言わず、ただ、辞表を提出し た。
 ニックが休暇中でよかったと思った。
 ニックが休暇中でければ、理由を根掘り葉掘り聞かれ、自分はすべてをぶちまけていただろう。
 案の定、休暇が終わった後だというのに、こうしてここまで追いかけてきたではないか。
 日本に帰って最初にしたこと、それは、祖父に、金田一の後継者の地位を降りると告げることだった 。
 二十二才までは帰らないと常々公言していた自分の突然の帰国に、祖父は驚いた。
 そうして、その理由を説明した時、祖父の顔色が紙のようになったことを、忘れてはいない。
 戦後の財閥解体後に、立て直した金田一グループの総帥が、あんなにも感情を露わにしたのを、はじ めて見た。
 自分は、もう、跡取ではいられない。
 信じられないと言う祖父に詳細な説明をし、新しい後継者を決めることを勧めた。――もっとも、勧 めなくとも、責任感から祖父は動くだろうとはわかってはいたのだけれど。
 そうして、この地に来たのは、ここが、金田一の人間に忘れられていた別荘だったからだ。
 慌てた祖父が、使用人をはじめの出発に先んじて送り込んだが。
 静かに過ごせると、そう考えたからだったのだが、
(まぁ、最初の思惑とはちょっちちがってっけどな)
 しかたがない。
 なにもかもが思い通りに運ぶはずはないのだから。
 それに、気はまぎれる。
「ハジメ?」
 ああ、ニックがいたっけなと、声の主に視線を向け、
「な、なんだよ」
 焦った。 ニックの指が、目の前に迫っていたからだ。
「じっとして」
 カッと、頬が熱くなる。
 いたたまれない。
 なぜなら、ニックに、指先で頬を拭われたからだ。
 いつの間にか、泣いていたのだ。
 醜態だった。
 ごしごしと寝巻きの袖で、乱暴に涙を拭くと、はじめは、夏の肌布団を頭から被ったのだった。

 チリンと、風鈴が、ひとつ鳴った。





つづく

from  12:10 2003/06/13
to  13:00 2003/08/27
remake 13:47 2003/11/03

あとがき

 多分、ああやっぱり。て感じの展開ですね。
 こうなるとは。なんともはや。
 いえ、最後まではじめちゃんの告白はおのこししておくつもりだったのですよ。でも、まぁ、さっさ とばらしておいたほうがいいかなと思い直してみました。
 少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。
 長く無責任に放置プレイしていた、長編。これから最後までがんばります。
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