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 ここは尋の家だった。過去形で「だった」のだ。尋だけを残して家族が亡くなったのは、ひと月ほど前のことである。その悲しみが簡単に癒えるはずもないというのに、親戚を名乗る見知らぬ三人が尋の家だった瀟洒な家に我が物顔で乗り込んできた。わずかに四歳の少年に、彼らに対抗するすべはありはしない。家を出たくなかったが、保護者がいなければ施設に行かなければならないと説明されてもいた。それを避けるためには嫌だと思ったとしても彼らを保護者として受け入れるよりなかったのだ。彼はどうしようもなく幼かったからである。その結果、今では家の全ては彼らのもの同然になり、尋は屋根裏部屋へと追いやられていた。衣類はもとより、部屋も、お気に入りだった戦隊ものの人形も、その戦隊ものを録画したDVDも、その主題曲をやっと弾けるようになったピアノまでもが、偶然にも同い歳だった流空(るうく)のものになってしまったのだ。
 幼稚園も金がかかると辞めさせられた。
 食事さえも日に一度あるかどうかの毎日に、尋は確実に痩せ衰えていた。
 今や尋の手の中にあるものといえば、家族の写真が貼られた一冊のアルバムと「お守りだから肌身離さずにいなさい」と赤ん坊の頃から身につけていた綺麗なトップがついたネックレスだけだった。
 それなのに。
 指が無意識に架空の鍵盤を叩く。
 父がピアニスト、母がバイオリニストのためか、いつも響きの良い音色にあふれていることが普通の家族だった。
 二十も離れた姉がバイオリン、弟である尋がピアノを弾いた。まだ尋は童謡の主旋律を雨だれのように拙く弾くていどだったが、どちらがどちらを弾くと決められていたわけではなかったが、尋は白と黒の鍵盤が奏でる音がとても好きだった。
 堅苦しく考えることはない、好きな音楽を好きに楽しめばいいという両親の教育方針で、大好きな戦隊ものの主題曲の主旋律を探り探り弾くようになった。鍵盤に向き合って音階を探ることがとても楽しくて、同時に歌を合わせるのも好きだった。
 けれど、もう一月近く、ピアノには触れていない。
 歌を口遊さもうものなら怒鳴られ、下に降りてピアノに触れば蹴られた。
「ピアノひきたいなぁ………」
 力なのない声が乾いてひび割れたくちびるからこぼれた。
 どうしてこんなことになったのか。
 尋は毛羽立って肌触りの悪い毛布をからだに巻きつけ、いつからあるのかわからないマットレスにうずくまった。屋根裏にあるものといえばそれくらいだったのだ。
 空腹と癒しきれない渇きにそっと屋根裏から階下に降りた尋を見つけたのは、流空だった。
「おまえなんでここにいるんだっ」
 胸を突かれてダイニングの壁にぶつかった瞬間、呼気が止まる。はずみで着たきりのTシャツの襟首からこぼれ出たネックレスの輝きに、目敏い流空が気づかないはずもなく。
「なんでこんなんもってるんだよ」
 引っ張ってまじまじと見やるその目が、嫌な色を帯びてゆく。力加減さえなく引っ張られるチェーンが後ろ首に食い込んだ。
「みなしごのくせにこんなんもってるなんてナマイキ」
「オレがもらってやる。こんなんおまえにはもったいない。おまえなんてここにいられるだけでもじゅうぶんすぎるのに」
「よこせ」
 引っ張られる痛みからよりも、家族と交わした「肌身離さずにいなさい」という約束を守ろうという無意識から、手が動く。
 気がつけば流空を突き飛ばしていた。
 聾がわしい音がして背中からタンスにぶつかる。
「このやろっ」
 衝撃はそれほどではなかったのだろう、すぐさま反撃に出てきたその手が尋の肩を掴み、激しく揺さぶった。
 壁に後頭部がなんどもぶつけられる痛みに涙があふれ目の前が白く歪む。
 ブチリと嫌な音がしたと思えば、白茶けた視界に千切れたチェーンが光を弾いていた。
 複雑な模様を編み込んだ金の篭の中、緑の光彩が黒色の中に印象的なブラックオパールにも似た石が揺れている。石が篭の中で揺れるたびに響く音色が、その場には似つかわしくないドルイドベルの奏(かなで)のように高く澄んで響いた。
「ゲットだぜっ!」
 流空が、にやにやと嫌な笑いを顔いっぱいに貼り付けて、ひときわ強く尋を突き倒す。壁に弾かれた勢いでサイドボードの角に尋のこめかみが傷つけられる音が鈍く聞こえたが、お宝を手にいれた流空は気にかけることもなく背を向けた。
 甲高い声が聞こえたと思えば、リビングから流空の両親が現れた。下卑た印象のふたりは尋を汚いものを見るかのように見下ろし、母親の方が尋の脇腹をひと蹴りした。
 大人の容赦ない蹴りに呻きと胃液と鉄臭いなにかがこみあげてくる。
「なんだってここにあんたがいるのっ」
「降りてきたらお仕置きだって言ったよね」
「汚いっ」
「汚したらさっさと掃除なさいよっ」
「まったく、役に立たない穀潰しがっ」
 襟首を掴まれて、猫の仔のようにぶら下げられ、放り投げられる。何度目になるのか判然としない衝撃に、意識は焼き切れかけていた。



to be continued
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