アリス |
歩くたびに長いスカートが、ばさばさと音をたてる。 その音を聞くたび、ぶーっと、むくれてしまう。 「まって」 「まってくださいよ〜」 後からついてくるのは、あたしの召使たちだ。 そりゃあね。 一月ばかし前のこと、ず〜っと孤児院にいなきゃなんないんだと思ってたあたしのとこへ、 『探しました』 って、すっごい上等ってわかる紺の上下を着た男の人がやってきたときは、と〜っても、うれしかった。 あたしに家族がいたんだって。 探していていくれたんだって。 あたしのお父さんとお母さんは、別に駆け落ちしたとかってドラマティックなことはなかったらしい。ず〜っと好きあってて、ハッピーウェディング。誰もがうらやむ仲のいい夫婦だったって。 なら、どーして? と、詰め寄ったあたしに、男の人――家の弁護士だって――は、浚われたんだって、教えてくれた。あたしは、家族で遊びに行った先で、誘拐されて、身代金を払ったのに、戻らなかった。 そうして、父も母も祖母も、あたしのことを探してくれていたのに、父と母は、事故で、仲良く、帰らぬ人になってしまった。三年前のことだったんだって。 その時は、悲しいとは思わなかった。だって、会ったことも記憶もない、他人みたいなふたりだから。でも―――― 気がついたときには、孤児院にいたから、あたしはあたしの本当の名前なんか知らなかった。 院長センセがつけてくれたっていう名前は、スカーレットって、この孤児院の中じゃしゃれた名前のほうだけど、名づけの理由が、この赤毛だと知ったら、なんだかな〜と、やさぐれちゃう。だって、まんまなんだもん。も少し、こう、院長センセがひそかに愛読してるゴシック・ロマンのヒロインの名前でもいいのにって思ったりした。だって、ね、ドラマティックな気がするじゃない。だから。 でもしかたないのかな。友達のグロリアなんて、クリスマスの夜に拾われたから、グロリアなんだって。クリスティンとかクリスティナとかクリスって名前はもういっぱいだったからって理由でよ。 それはともかく、弁護士さんが、あたしに、 「アリスお嬢さま」 と、言ったときから、あたしの名前は、スカーレットじゃなくなった。両親がつけてくれた、アリスって名前の十才の女の子になった。 アリス・リデル・ミッドランドが、あたしの本当の名前なんだって。 なんかとっても、くすぐったかった。 アリスなんて、……とっても可愛い名前じゃない! ―――――涙が、このとき、初めて流れた。ああ、本当に、お父さんもお母さんも、あたしのことを思っててくれたんだなって、そう感じたら、たまらなかったんだ。 しゃくりあげだしたあたしを、弁護士さんも院長センセも、静かに、見守っていてくれた。 孤児院の友達たちと、さよならするのは、とっても辛かったけど、家族にあえるんだっていうワクワクのほうが、強かった。 一部屋に何十人もの女の子たちが一緒になって寝る孤児院の寝室、そこで、消灯後に、いつかはお父さんやお母さん、数歩譲っておじいさんやおばあさんが迎えに来てくれるんだって、そんな夢みたいな話をしていたことが、現実になるなんて、この国中にあるの孤児院の子供たちを集めたって、一握りいるかいないかに違いない。 あたしを乗せた馬車が、ガラガラと音を立てながら、石畳を疾駆する。 おニュウの帽子を風に飛ばされそうになりながら、窓から顔を出して、あたしは、いつまでも、孤児院の友達に手を振っていた。 一流ホテルに泊まりながら、二週間もかけてやっとついたのは、お城のような、大きなお屋敷だった。 黒い錬鉄の門扉には、金と黒で造られてる紋章が仰々しく飾られている。門番が開いてくれたそこを馬車はくぐり、森の中をず〜っと進む。 「ここはもう、ミッドランド家の敷地ですよ」 と、弁護士さんが説明してくれた。 でも、敷地って、も少し、こう、慎ましやかな広さのことだと思う。だって、馬車の前を、鹿や狐やウサギなんかが、何度も平気で横切ったりするんだよ。 これじゃ、森だよ! ふつうだと森の中に家があるんだけど、じゃなくて、森ごとの広さが、柵に囲われてるってことなんだろうか。 びっくりしてると、森が突然途切れて、視界が開けた。 なだらかな丘陵地帯は、どこもかしこも緑色で、ところどころに池まである。白や黒や茶色い点々は、もしかして、 「馬や、羊や牛の放牧地です。お屋敷の食卓に供される肉や乳製品などのほとんどが、自家製となっておりますよ」 「はぁ」 これまで泊まったホテルなんかも、すっごく豪勢だったし、桁違いのお金持ちなんだとは思ってた。けど、ここまでなんて、なんか、うんざりだ。だって、きっと、いろいろうるさいことを言うんだよ。マナーとか、マナーとか、マナーとか。 そりゃ、おばあさんに会えるのはうれしいけど、でも、なんか、堅苦しそうで、めんどくさそうで、いやだなぁ。 「お屋敷の周囲には、孔雀もおりますし、小鳥専用の禽舎もあります。犬や猫も、たくさんおりますよ」 「ほんと?」 「はい」 犬や猫や小鳥……それは、孤児院では、憧れだった。 自分だけの、あたたかでやわらかい生き物。 どんなに欲しくっても、でも、もちこんじゃいけないものだった。そう、孤児院の経営はいっぱいいっぱいで、これ以上かわいそうな子供たちを受け入れることはできないんだって、シスターたちが嘆いていたのを聞いたことがある。それで、子供の情操教育にいい影響を与える生き物を飼うことができないんだって。 だから、拾ってきた猫を、元の場所に返してきなさいと言われても、反論なんかできなかった。 そんなわけで、犬猫がたくさんいるって聞いた途端、あたしは、さっきまでのいやな気分を忘れることができたのだ。 案の定、石と木でできた大きなお屋敷は、お城と呼んだほうがいいみたいだった。 入った瞬間、これだけで孤児院の敷地よか広いってくらいの、吹き抜けのホールが、あたしを迎えてくれた。 ずらりと、床に敷いてある絨毯の両側に、並んでる召使たち。 びっくりした。 ず〜っとむかしには、本当に、お城だったって聞いた時は、もう好きにやってって感じで、どうでもよくなったけど。 通されたあたしのだっていう部屋は、自分だけの居間や書斎、寝室や遊びの部屋に召使の控えの間までがワンセットだという、ばかばかしいくらいに広いんだ。全部の部屋は、ドアを開けるだけで行き来できるようになっている。 可愛らしい家具や調度品も、きっとめちゃくちゃな値段がするんだろう。 一個売ったら、孤児院がかなり助かりそうだななんて、つい考えちゃう。動かせたらの話だけどね。思いついて持ち上げようとしてみたんだけど、だめ。めっちゃくちゃ重いの。 傷つけたりしたら怒られそうだな。 それに、ぜったい、幽霊やお化けが出そうだった。 やだな〜。 だって、あたしって、苦手なんだ。夜はいっつも、グロリアと一緒にシャワーを浴びて、夜中のトイレにだって、一緒に行くくらいだもん。 こんな広いとこでひとりっきりなの? 途方にくれるって、きっとこういうこと言うんだ。 やっとこさでたどり着いた、あたしだけの寝室――ここだけで、孤児院のベッドルームくらいあるんだよ――で突っ立っていると、 「おじょーさまっ」 「よくご無事でっ」 と、声が聞こえた。 振り返って、 「!」 あたしって、気が狂ってる? そう思った。 だって、あたしの目の前にいるのは、ネコと、イヌだったから。 ううん。ふつーのネコとイヌじゃない。 ネコとイヌとが、レースとベルベットの紺色の上下を着て、ブーツを履いた後ろ足で立ったままあたしを見上げていた。 青灰色のネコは緑の目、金色のイヌは茶色の目。どちらの目からも滝みたいな涙が流れてた。 ハッハッ……と舌を出したままで、あたしよりかずっと大きな金のイヌが、あたしを抱きしめた。 足元には、青灰色のネコが、擦り寄っている。 そ、そりゃーね、イヌもネコも大好きだわ。けど、これってどーよ。あたしがすきなのは、ふつーの、地に足ついてるイヌとネコであって、後ろ足で立てったり人間のことばをしゃべる、非現実的なのじゃない。 そういうと、イヌとネコが、滂沱と涙を流した。 「そんな」 「私らの存在理由は、おじょーさまだけですのに」 「ん。おじょーさまのためだけに、先代さまが、私らを選ばれたんですよ」 そんなこといわれたって、困る。 そりゃ、あたしだけってとこには、惹かれたわ。 孤児院には、あたしだけのものなんてなかったから。 でも………。 だって……………。 そんな……。 期待に満ちた目で見つめられて、 「名前は?」 訊かずにいられなかったのだ。 そのひとことで、ぱっと、二匹の顔色が、明るくなった。 イヌとネコの顔色? ――なんて突っ込まないでね。何でだかわかっちゃったんだから。 イヌの名前が、ゴルディで、ネコの名前が、シルヴェスタ。 毛の色そのままかいっ! て思った。二匹の名前をつけた人も、スカーレットって名前をあたしにつけた、院長先生なみのセンスだったんだな。けど、もういいやって思った。 こんな奇妙な生き物がいるんだから、名前の一つや二つ、なんだってかまわないやって気分だったのだ。 「お腹が減ってるでしょうけど、もうしばらく、我慢くださいね」 「さ、お着替えを」 「しましょうしましょう」 そう歌うように言って、二匹は、ピンク色のドレスを着せてくれた。 踝(くるぶし)までの裾の、フリルやリボンがたくさんついた、可愛らしいドレスだった。 「さあできました」 「よくお似合い」 「では、行きましょうか」 「どこに?」 そう訊くと、 「おじょーさまの」 「おばーさまのところ」 「ですよ」 そう言って、ドアを開けてくれたのだ。 ひょこひょことばさばさと、前を行くシルヴェスタとゴルディの尻尾が揺れる。 緑の絨毯が引かれたろうかの左右には、ずらりとドアが並んでいる。その突き当たりの、彫刻が施された両開きのドアの前は、ちょっとしたホールみたいになってて、ステンドグラスから、色とりどりの光が入ってくる。太陽の光の赤や青や黄色に、三セットのソファとテーブルとが染まっていた。 お茶してるみたいだった。 おいしそうだなと、サンドイッチやスコーンをみて、お腹が小さく鳴った。 やっぱりまだらに染まってソファに腰掛けてた知らないおばさんやおじさんたちと、あたしよか年上だろう、こどもたちが、その音で顔を上げた。全部で、八人だった。 ちょっとふくよかな小母さんが、あたしを見て、目を剥いた。 口元にレースのハンカチを当てて、空いてるほうの手で、隣のすっごく大きな小父さんの膝を叩いた。やっぱりその人も、ギョッとなったみたいだった。 全部で十六の目が、あたしを見ている。 居心地悪かったけど、さっさと先にゆく二匹に遅れをとってはいけない。 ドアの前で手招きする二匹に、追いつくと、二匹は力を合わせて、ドアを開けた。 「おじょーさまっ」 二匹がとめるのも訊かず、ベッドにダイブ。 ふっかふかの羽根布団が、あたしを包み込んでくれた。 ころんと寝返りを打って、天蓋を見上げる。 とっても大きな溜息が、ほとばしった。 「つっかれた〜」 いや、ほんっとうに、疲れたんだもん。 あの部屋での、クラウディアおばあさんとの再会は、とっても感動的だったんだけど。 (その後がなぁ………) グレイの髪の上品そうなおばあさんは、病気だとかで、ベッドから出られない。 それでも、細いしわしわの手で、あたしの手を握って、泣いてくれた。 あまり長いこといると疲れるからって、お医者や看護婦に追い出されたけど、それでも、とっても、不思議な気分に浸れたのだ。 (幸せってこんなかなぁ) あたし、あのおばあさんは、好きだな。 うん! けど、問題は、おばあさんの部屋の前にいた人たちだ。 「好きになれな〜い!」 これだって、婉曲な言い回しだ。 ほんとうは、だいっ嫌いだ〜と、叫びたいんだもん。 まずは、おばあさんの弟だって言う、オズワルドでしょ。そんで、そのこどもが、アルフレッドとシャーロット。ふたりとも、あたしよりも六才と五才年上だ。 で、あたしのおとーさんだっていう、エドワードの妹、メリィ・アン叔母さんとその旦那さんのオスカー叔父さん。その子供の、エミリィとマシュウ! 双子で、十二才、でもって、本当にやなやつらなんだ。 最後に、ロジャー。やっぱり十二才の彼がなんなのか、あたしにはよくわかんない。だって、誰も説明してくんなかったんだもん。 この八人が、あのときドアの前でお茶してた人たちなんだけど――さ。 嫌味でたまんない。 まったく。 さっきまで食事だったんだけど、食堂でさ、やさぐれちゃったよ、あたしってば。 す〜ぐに、『お育ちが』とか言ってくれちゃうメリィ・アン。 だま〜って暗く凝視してくる、オスカー。 お酒ばっかり飲んでる、オズワルド。 ツンと澄ましてるシャーロット。にやにやと笑ってるアルフレッド。 エミリィとマシュウなんて、ふたりで顔をあわせてくすくす笑うばっかりだし。 ロジャーは、何考えてんだか、黙々と、晩ご飯食べてた。 いちいち突っ込まれるので、なんか、スープくらいしか食べれなかった。 「あ〜ん、おなか減ったよ〜」 じたじたとベッドの上で足をばたつかせてると、ノックの音が。 「はーい」 起きたくなかったけど、どうせお風呂にはいるし、よいしょって起きてドアまで行った。 銀の葡萄の細工がしてあるノブをひねって、ドアを開けると、誰もいなかった。 「?」 エミリィとマシュウのいたずらかなぁ……なんて思って、踵を返しかけて、あたしはそれに気づいた。 ドアの左右に、ネコ足の飾り棚があって、あたしの知らない花がいけてある。その、花瓶の脇に、ナプキンに包んだ何かがあった。 取り上げて、ナプキンを開くと、 「サンドイッチ!」 ハムと卵の匂いが、鼻をくすぐる。 薄いパンを持ち上げてみると、ハムと卵ときゅうりのピクルスが挟んであった。 「誰だろ?」 廊下を端から端まで、サンドイッチを持ったままで歩いたけど、誰の姿もなかった。 誰か知らないけど、足が速いんだ……。 「ま、いっか………」 サンドイッチはとってもおいしかった。 半月は、どたばたと慌しくすぎた。 おばあさんのお見舞いをして、おとうさんとおかあさんのお墓――敷地の中にある、すっごく大きな霊廟だった――におまいりした。 そうして、広い敷地の探検だ。 家の中、外、たくさんある。 そうして、珍しかったことや楽しかったことを、おばあさんに、報告する。 叔母さんたちの嫌味にも慣れた。 ひもじくなることもないし、召使も慣れれば可愛いし、ネコやイヌを部屋につれて戻っても何にも言われないし、好きなだけ、本を読んでても、絵を描いてても、文句を言われない。ず〜っとそんな毎日だったらいいな〜と思ってたら、その人がやってきた。 マナーと勉強の先生だって。 叔母さんが紹介してくれた、キャサリン・オズボーンという女の先生は、全身灰色で、見ただけで性格がわかる――ような気がした。 とっても堅苦しい! 朝ごはんの最中から、それははじまった。 いつもの食堂じゃなく、おばあさんのお部屋で、一緒の食事。それは、うれしい。けれど、オズボーン先生は、ビシバシと厳しい。 ちょっとでもマナー違反をすると、「ちがいますよ」と、冷たい声が降ってくる。 おばあさんが、楽しそうに見ていなければ、あたしは、とっくにやる気をなくしたに違いない。 言葉遣いにも厳しくて、おばあさんなんて呼びかけようものなら、「アリス!」と、間違いを指摘される。 自分のことを「あたし」と呼ぶのにも、チェックが入る。 「あたしじゃありません。わたしですよ」 でもね。 ず〜っと、「あたし」って言って来たのに、いまさら「わたし」なんて、舌がもつれちゃうよ。 冷たい、灰色の目が、高いとこからあたし――もとい、わたしを見下ろすと、しゅんとなっちゃう。 一日の大半を、オズボーン先生と過ごすのは、はっきり言って、苦痛だった。 それでも、その甲斐があったのだろう。 夕食をとる食堂――朝昼晩、全部、食堂が違うんだよ。笑っちゃうよね。――で、めっきり、叔母さんのいやみを聞かなくて済むようになった。 ま、相変わらず、彼らと一緒にテーブルを囲むのは、楽しくないんだけどね。 味がわかるようになっただけでも、進歩ってことだとおもう。 おばあさん――もとい、おばあさまが喜ぶからがんばったんだけどね。 まだまだ、でっかいネコをかぶってるくらい無理があるんだけど、ここがあたし――わたしの家なんだから、まいにちやってればそのうち、身につくだろう。 そうして、ストレスを溜めながら、オズボーン先生と、顔を突き合わせてた。 気分転換は、スケッチしに庭に出るときや、乗馬の練習くらいだった。 乗馬はねぇ、最初はお尻が痛かったけど、だんだん、楽しくなったんだ。馬――これもあ……じゃない、わたしの馬! ホワイト・ダンサーは、真っ白の、とってもきれいな馬。たてがみも尻尾も、どこも真っ白で、目だけが、やさしそうな褐色をしてる。わたしは、一目で、ホワイト・ダンサーが大好きになった。これには、ゴルディもシルヴェスタも文句ありありだったんだけど、ね。曰く、 『私たちのときは、嫌がったくせに』 でもね、仕方ないと思うんだ。 犬と猫が後ろ足で立って服を着て、しゃべってるんだよ。 オズボーン先生なんて、彼らを見た途端、卒倒しちゃったくらいだし。今でも、オズボーン先生は、彼らを見るたび硬直して、そわそわする。だから、先生と一緒にいるときは来ないでねってお願いしたんだけど、それが、また、気に入らないらしかった。 to be contenued
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夢で見たのがベースです。とってもきれいだったシーンがあるのですが、そこまでたどり着けるのか、少々不安です。少しでも、楽しんでいただけるとうれしいです。お、終われるかな?