たとえば、それが  3




 ここは大公の威光を笠にファリスが言い切る。
 主張するのが貴族であっても位の低い家格のものであれば断罪されるだろうが、ジャヴァ大公の庇護を受ける者という事実がそこに介在すれば、たとい黒を白にすることであれ、容易い。
 であればこそのファリスの明言であった。
「う、うむ………」
 事実、王太子の口調が歯切れの悪いものへと転じる。
 しかし、アグリアの絹に強い羨望を持つミュケイラにとって、それは逆に火に油を注ぐものとなった。
「わたし、聞いておりません。それに、たとえお父様の庇護を受けているとはいえ、家名がないのは事実でしょう! 家名がないのなら、お父様の養子になっていないってことじゃない! ただ世話になっているだけの平民じゃない! アグリアメタクシは平民が着るものじゃないのよ」
 甲高い糺弾の叫びが、まるでトオルを鞭打つように響く。
 痛みのために皮膚の内側で激しく脈動する血管が、ミュケイラの叫びの強弱に慄く。
 痛い。
 糸切り歯が噛み締めたくちびるに深く食い込む。
 痛みはそのせいなのだと、きつく目を閉じる。滲む涙をこするために手を持ち上げることさえままならないままのトオルに、容赦のない糺弾が滔々と紡がれる。
「わたしに! それは、わたしが着るべきものよ。あんたが着るからわたしが着れないのよ! ええ! そうに違いない。わたしが着るものをあんたが横取りしているのよ。だから、だからお父さまは必要ないなんていうのよ!」
 一旦火のついたミュケイラの雑言はとどまらない。アグリアの絹に対する彼女のこだわりは、ひとかたならぬものだったのだ。
「ミュ………ミュケイラ………………」
 そのため、それは王太子が気を取り戻すまで続けられた。
「あっ。わ、わたしつい」
 両手で口を隠して、恥じらいを見せても、今更ではある。
 百年の恋も醒めようというものだが、それでも、
「殿下っ」
 周囲の目を気にしてだろう王太子が優しくミュケイラの肩に手を乗せる。それに促され、ミュケイラは我に返った。
「はしたないところを」
「アグリアの絹がそれほど欲しいというのなら、私が贈ろう」
「ほんとうに?」
「嘘などつかぬ」
「殿下っ!」
 場所を忘れて王太子に抱きつくミュケイラに、
「伯父上も冷たいことよな、我が子の婚約式のドレスにただの絹を使えとは」
 肩を竦めてため息をついて見せた。
「わたし、お父さまにはきらわれているような気がします」
「私が知る限り昔から他人に興味がないようではあったよ。だからこそ、都合が良かったのだ。言ったろう」
 ミュケイラの顎を指一本で軽く持ち上げて、その赤みの強い瞳を覗き込む。
「え、ええ。そう、そうでした」
「私以外に興味を向ける必要はないだろう」
「そうでしたわ。私が想うのは、王太子さまだけですもの」
「私が愛するのも、ミュケイラ、お前だけだ」
「嬉しい!」
 そのまま抱き合うふたりに、周囲が慌てるが、王太子の護衛が遅まきに人払いを始めた。



「トオルさま。失礼いたします」
 脂汗を流すトオルをそっと抱き起こしファリスが懐から薬を取り出す。それをトオルの薄く開かれたくちびるに含ませる。
「お可哀そうに」
 思わず内心を吐露してしまうほどに、トオルのくちびるには自身噛み破った後が生々しく血をにじませている。その血と脂汗を拭っている間に、儚い眉間に刻まれた皺が消えてゆく。
 荒い息が通常のそれに立ち戻ったのを確認してファリスがトオルを抱えたままその場を去る頃には、王太子とミュケイラのふたりの姿はその場にはなかった。
 
 
つづく  HOME  MENU
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送