たとえば、それが 11





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 滝の音がうるさい。
 その場にとどまる十名の騎士たちは、一定の歩調で屋敷のあちらこちらを警備していた。
 元は、大公の暮らしていた白亜の城は、今やひとの気配すら感じることのない空虚な空間と成り果てていた。そこここに上品に配置されていた家具調度はもとより、以前は趣味の良い絨毯が敷かれていた床や廊下には、おびただしい数の足跡が刻まれ、割られた窓の板ガラスや砕かれた陶器のかけらや活けられていただろう花殻などが散らばり、何が起きたのかを想起させる。
 彼−−−現王に対する反逆を謀った者の処刑を見ることもできず、かつての居住地の見張りを命じられた騎士団の長−−−は、唯一の役得をとばかりに場所を移動し、そこにあるものを見た。
 いや、違う。
 使用人が通常であったならばそこここでさまざまな仕事に従事しているだろう、厨房の床の上には場に似つかわしくない、使用人のお仕着せが散らばっていた。
 そこにあるはずのものがないことを、知ったのだ。
 老若の使用人を押し込めていた厨房に、ひとのすがたがなかったのだ。
 黒と見紛うかの濃紺のくるぶし丈ほどあるお仕着せに、白い前掛け。果ては靴までもが散らばる。
 よくよく観察してみれば、一様にお仕着せの首元から顔を覗かせている何かに気づくだろう。
 彼は、それを取り上げた。
 それは、人形(ひとがた)であった。
 なにやらの骨を削って作ったのであろう、いびつなひとの形をしたもの。
「全員がか………?」
 思惑が外れたことによって肩を落としながらも、それでも一小隊を任されているだけのことはある。その骨がなにを意味しているのか即座に理解したのだ。
 骨を削った人形を形代として使役する。
 それが一体二体ではないのだ。
 使用人達を厨房に集めた本人である彼は、知っている。
 大公家の使用人は百を下らなかったのだ。それらすべてが血の通わぬものだったということは、全てを大公が操っていたと考えることもできるだろう。
「あれだけの数を使役できる力がありながら………なぜ」
 そう。
 なぜ、逃げなかったのか。
 後ろ手に縛されるという屈辱を、なぜ、受け入れたのか。
 それとも、操者は別にいたのだろうか?
「ああ、そうさ。そうに違いない」
 でなければ、やすやすと捕縛されるわけながないのだから。
 自分のそれまでの考察とも呼べないものを打ち消して嗤う。
「好みの女もいたのだがなぁ」
 手にしていた骨を無造作に投げ捨てる。
 布の海に落ちた骨は、音を立てることもなかった。



*****



「出ろ」
と。
 重い扉が開かれたと思えば、物々しい装束の男達が短く言葉を発した。
 どこまでも−−−と、アヴィシャは弟の顔を思い浮かべた。
 どこまでも私を蔑ろにするものだ−−−と。
 実の兄にあたるというのに、この罪人扱いはどういうことだと。
 一般の囚人と変わらないこの扱いに呆れ、嗤いがこみ上げてくるばかりだった。
 大公の地位は剥奪された。
 今、ここにいるのは、アヴィシャという名のひとりの男にすぎない。
 王家に反逆を企てた愚か者。
 裁判もなにもありはしなかった。
 ただ、衆目の前にさらされての処刑が待っているのだと、あの弟は、残忍な喜びを顔いっぱいに湛えて言った。
 貴族であれば、それも王族であるならば、毒杯をあおるところを、ことさら残酷な刑に処すのだと。
 それほど憎まれるなにをしたというのだろう。
 今になっても、アヴィシャには思い当たる節などはなかった。
 残酷な処刑は避けたいものだが、もはや生に対する執着などはなかった。
「………………」
 願わくば、その残りの生が幸せなものであらんことを。
 脳裏を過るのは、ひとりの少年だった。
「トオル」
と、口遊んでみる。
 彼を残酷な世界に残すことだけが、アヴィシャの心残りだった。
 しかし、それも、ファリスとアディルがいれば大丈夫なのだ。
 ひとつ頭を振るとアヴィシャはゆったりと立ち上がり、狭い牢を後にする。
 扉をくぐり抜けると、斟酌のない腕が伸ばされてきたが、気にはならなかった。



*****



 喉の震えが止まらない。
「やっとだ」
 王は、実感を味わおうと、笑いに震える喉を抑えて声にした。
 そこは、王城にある豪奢な私室だった。
「やっとだやっとだ! やっと自由になれる。やっとあれを葬り去れる」
 分厚い絹の絨毯を踏みしめながら、その場で回り続ける。
 まるでその場に踊りの相手がいるかのように。
 できの良い兄が嫌いだった。
 いつの間にかそれは憎しみになっていた。
 双子だというのに。
 両親にも祖父母にも、誰からも褒めそやされる兄と比べられ、いつもできの悪さばかりをあげつらわれた。それで奮起できる性格であれば救われたろうが、ジーヴァスは、そうではなかった。暗くいじけ、兄を羨んだ。
 きっかけはなんだったろう。
 食うをにらみ、王は記憶を掘り返す。
「ああ!」
 手を叩く。
 肩布(ひれ)を留める小さなカルフィッツァ(ブローチ)をねだったことだった。
 祖父母から誕生祝いにもらったというそれは、彼が尊敬した祖父の元愛用品だっただけあって、魅力的に写ったのだ。それを譲って貰える兄が妬ましくてたまらなかったのだ。
 まだ幼くまろやかな表情を引きつらせて嫌がる兄だったが、諦め悪くねだりつづけて、根負けさせた形だった。
 それを皮切りに、何かをねだり、譲り受けた。
 兄から何かを奪うたびに胸が好(す)く心地がした。
 そうして、あの、婚約者。
 名前はなんと言ったろうか。
 高位貴族の娘であったが、兄を愛しているように見えたが、影で愛を請えばあまりにも容易く落ちてきた少女だった。
 ただ、あれは、王の伴侶となるべく育てられた娘であったから、望外の成果を得られた。
 まさか、兄が王位継承権を手放すなどとは思わなかった。
 祖父母も両親も嘆いたが、アヴィシャは頑なに臣籍降下を願った。
 ならば−−−と、古い家名であったものの実質継承者を失い久しかった大公家を両親祖父母が復活させて兄のものとしたのだった。
 歳若い大公の誕生だった。
 王家に返上されていたあの朱色の石が下賜されたのは、承認の儀の折だった。
 大公だけがまとうことができる銀の装飾が美しい着衣に、あの炎を宿したかのような石は美しくきらめいた。
 あの石に食指は動かなかった。
 なぜなら、あの石よりも素晴らしいものが手に入ることを知っていたからだ。
 当然だろう。
 王家の男子はアヴィシャ以外にはジーヴァスだけだったのだから。
 新大公が誕生した瞬間から、アヴィシャの婚約者であった少女に対する興味は失せた。
 それでも、兄から奪った婚約者を捨てることなど、外聞を考えれば控えなければならず。早々に王太子妃として迎え入れた。
 それからどうしたのだったか。
 一応は妻として遇していたはずだという記憶があった。が、三年目に自死を遂げたのだ。
「何が気に入らなかったのやら」
 ヴァイスを産んだ女を愛妾とした翌年だった。
 あとは、それまでよりも簡単にことが運んだ。しかし、どうしても、アヴィシャが気にかかった。祖父母が亡くなり両親が亡くなり、誰憚ることなく王位を継いでも尚のこと、誰もかれもが己とアヴィシャとを比べているような気がして落ち着かなかったのだ。
 けれど!
「これで! これで終わる」
 終わるのだ。
つづく  HOME  MENU
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