異端の鳥  6.惑  乱






 眼前の光景に、俺は血が下がるのを覚えた。
 その場に膝をつく。
 今を盛りのサルビアの群は無惨にも荒らされて、ハーブであふれかえっていた庭は、その薫香を別のものに塗り替えられていた。

 昨日はどうしてもここを訊ねることはできなかった。
 それが、こんな結果をもたらすことになるなどと、俺にわかるはずが無かった。

 昨日。
 俺は、ベッドから起き上がることさえできなかったのだ。
 その前日、バートの小屋を後にしたのは、迎えが来たからだった。
 ぼんやりと、ただ俺はとりとめのない思考に耽っていた。
 バートもアルトロメオも俺の邪魔はしない。ただ、黒い翼蛇が俺の腕に巻きつき俺の目を覗き込んでいただけだ。
 幼児は犬猫と遊んでいる。
 俺の思考じたいはうすらぼんやりとした不安を孕んだものだったが、総じて穏やかな午後だった。
 既に熱を散らせたスープの匂いが、さまざまなハーブの香に混じって鼻をくすぐる。
 そんなひとときを破ったのは、小屋の扉を叩く音だった。
 誰何の必要もない。
「入れ」
 見慣れた部下のひとりが入ってくる。
 白い端正な顔は秀麗な仮面のようで、感情を露にすることは稀だ。小屋の中、俺を取り巻く環境を見て、その黒い瞳になにがしかの感慨を浮かべた。
「なんだ、なにかあったか?」
 しばらくあちこちをふらふらとふらついて城に戻らなかったのだから、自業自得というところか。
 王が呼んでいるのなら、何を置いても戻らなければならない。
 それを思えば、気が重くなる。
 案の定。
「陛下がお待ちです」
 お呼びですでなく、お待ちですと告げるその口元が引きつれているのを見てとることができた。
「わかった」
 それじゃあ、また明日にでもようすを見にこよう。
 そう言って、俺はアルトロメオをテーブルに下ろした。
 ついでに、部下の頭を軽く撫でた。その内心がわからないわけではなかったからだ。だからこそ、俺は平然としている振りをする。あんなことはなんでも無いことなのだと、虚勢を張る。
「じゃあな」
 幼児が手を振りかえしてくる。
 バートが頭を下げる。
 そうして、俺は、小屋を後にしたのだ。


「ただいま戻りました」
 通されたのは、いつものように王の私室だった。
 王はゆったりとした部屋着姿でソファに座ったまま、俺を見ている。
 ゆるく束ねられた夜の闇にも似た漆黒の髪は、白い凶悪なまでの美貌を際立たせている。誰が見ても怖じずにはいられないほどの、正視することを恐れ多いと感じてしまうほどの美貌だった。その白皙を彩るのは、血のように赤いくちびると、禍々しい金色の双眸である。その金色に表れている感情を、俺はいまだ正確に読み取ることができない。それは、他者に侮られないためにも、王であれば当然のことなのかもしれないが、俺にとっては、いつも賭けとなる。
 しかし、その時は、直感した。
 王が機嫌を損ねていると。
 それも、原因は俺であるらしいと。
 俺の動きが止まる。
 代わりのように、全身が震える。
 背中に嫌な汗が伝い流れるのを、俺は他人事のように感じていた。
 天敵に対峙する草食の生き物のように、ただ目を見開き、タイミングを計る。
 逃げるべきだと、本能が告げていた。
 逃げなければ、何をされるか。
 俺が踵をわずかばかり浮かせたその瞬間を見据えていたかのように、
「遅かったな」
 王が、口を開いた。
 王の平坦なことばに、
「も、うしわけ……………」
 謝罪しようとした俺のことばは、最後まで紡がれることなく空に消えた。
 心臓が、大きく鼓動を刻んだ。
 すぐ目の前に、王が来ていたからだ。
 王の金色のまなざしが、俺よりも高い位置から見下ろしてくる。
「レキサンドラ」
「は、い」
 返答をせずに済む雰囲気ではなかった。
「お前を、私は、少しばかり甘やかしすぎたようだ」
 低い声が、抑えきれない怒りを滲ませて俺の脳を震わせた。
 恐ろしい。
 あまりにも、その冷ややかな怒りが恐ろしすぎて、俺は、その場に凍りつく。
 動けない。
 視線を、その金色の双眸から外すことさえもできなかった。
 少しでも身動ろげば、即座に王はその怒りを解放するだろう。
 けれども、動かずにいたところで、同じことだ。
 わかっていた。
 そのつもりだった。
 俺に残されているのは、ただひとつでしかないのだと。
 この場で王の許しを乞うべきなのだ。
 くちびるを、必死に動かす。
 しかし、声が、出なかった。
 王が俺の何に憤っているのかがわからないからだ。
 俺の帰りが遅いことなど、いまさらだった。
 いつも、俺は、王に命じられた部下の迎えに従って戻るのだ。それは、今日だとて同じことだった。
 そう。
 何も変わらない。
 変わったのは、王の、俺に対する怒りの深さだった。
「わからない、か」
 王の手が、俺の顎に触れてきた。
 刹那、俺は、からだを震わせた。
 途端、王の秀麗な眉間に深い皺が刻み込まれたのを、俺は、認めた。
 どうして。
 何が王の逆鱗に触れたのか。
 途方に暮れた俺のくちびるをその同じ手の指先が撫でてくる。
 俺の顎を持ち上げるようにして角度を変えさせて、王が俺の目を覗き込んだ。
「レキサンドラ」
 返事をと、焦る俺が口を開こうとした寸前に、
「お前は、誰のものだ」
 答えなければ。
 王のものだと。
 必死だった。
「お、王のものです」
 言えたと、安堵の息を漏らす俺に、
「私を誑るか」
 返された言葉は、思いもしないものだった。
 なぜ?
 どうして?
 なんだって、王はそんなことを言うのだ?
 俺はただ、それまでの恐怖も不安も何もかもを忘れて、ただ王を見上げていた。
 そう。
 俺は、王のものだ。
 血の繋がった、実の父である、魔王だけのものなのだ。
 そこには嘘も偽りもない。
 そう、なぜなら、王がそう決めたからだ。
 なのに、なぜ?
 あの瞳が、あの髪が、脳裏をよぎるのだろう。
 名前さえ知らない、あの勇者が、俺の心を乱すのだろう。
「今、誰のことを考えた」
 目の前にいるのは、金の目を持つ王なのに。
 思い浮かぶのは青い瞳の勇者だった。
 これなのか。
 王の怒りの原因は、俺の心に住みついた、この不思議な感情なのか。
 この、訳の分からない心のざわめきが、王を苛立たせているのかと。
 なぜ。
 わからなかった。
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つづく




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