異端の鳥  8.飢  渇




 そんなことをされた翌日、何事も無かったかのように動けるほど、俺は頑丈にはできてはいない。
 一応は、王が癒しの術をかけてくれてはいる。しかし、あくまで「一応」なのだ。事後の俺の体調が完璧になるほどまでには、癒してくれたことは、ほとんどない。
 一日二日は、ベッドの住人となるのが常のことだった。
 風呂を使うほどの気力すら、その日は戻されることがなかった。
 疼く痛みは鈍く、全身は泥の中に埋められたかのようで、からだを清める王の手を拒むことすらできなかった。
 俺をさんざん苛んだとは思えないほどにその手は穏やかで心地好いものだったが、俺の心は晴れなかった。
 王がなにかをささやいていたが、ことばは俺の耳を素通りしていった。
 俺の心もまた、からだと同じく、疲弊しきっていたのだ。
 そうして、心は、王の癒しの術では癒えることはない。
 心ばかりは、自分自身で立て直すよりほかないのだ。
 どれだけ時間がかかっても、自分自身を韜晦することになっても。
 王が出てゆく気配を感じながら、俺は目を閉じた。
 思い出したのは、はるかな昔。
 俺が記憶の奥に封じ込めたはずの記憶だった。
 まだ俺が母と呼んだ女性と暮らしていた頃の記憶である。


 俺の母は聖女だった。
 少なくとも、そう呼ばれた女性だった。
 記憶にある彼女は、薄い金の髪と緑の瞳を持った、狂った女性だった。
 そう。
 彼女は、狂っていた。
 何が彼女を狂わせたのか、今となれば、想像に難くない。
 彼女もまた、前勇者のパーティのひとりであったのだから。
 最後まで勇者と行動を共にしたと伝わる、心の強い女性だったらしい。
 けれど、俺が知る彼女は、心を脆くも狂わせた、ただの哀れな女性だった。
 同時に。
 俺にとっては、暴君でもあったのだ。
 元聖女である彼女は、裕福な実家に引き取られ屋敷からはなれた小さなコテージで暮らしていた。もちろん、そこで生まれた俺は、そこにいた。俺はまだほんの幼児だったが、何かの拍子に彼女の逆鱗に触れては罵り折檻のいずれか、もしくは両方を受けていた。そのたびに俺の自己主張であったささやかな魔力が暴走し、発火する騒ぎになった。それでも、彼女と俺を世話していた使用人たちは、それに怯えこそすれ、外に噂を漏らすことはなかった。なぜなら、「魔王退治」に破れたとはいえ、彼女はまぎれもなくかつては聖女として崇められた存在であったからだ。そんな元聖女が、魔力を持つ子供を産んだなど、その子供を虐待しているなど、外に漏らすことは許されなかったのだろう。狂乱した彼女のことばの端々から、俺の父親が、ただの魔族ではないということが推測されたからなのかもしれない。
 俺の、煙のような色の髪を見るたびに、彼女は涙を流した。
 そうしてつぶやくのだ。
『勇者さま』
と。
『何故? 何故この子の髪の色は、赤じゃないの?』
と。
 彼女は、よく俺の髪を鷲掴み毟ったものだった。
『どうしてこの子の目の色は、青じゃないの?』
と、指を突き刺そうとしたことさえあったものだ。
 さすがにそれは周囲の人間たちが慌てて止め、ことなきを得た。
 それでも、その時々の彼女の緑の瞳にこめられた憎々しさを、俺は覚えている。
 いや、思い出したと言うべきか。
 思い出したくもなかった、忌々しい記憶だった。
 どれだけ虐待されても、俺は彼女を求めた。
 母親を、求めたのだ。
 けれど。
 誰からも必要とされず、結果、俺は、捨てられた。
 半死半生の目に俺が遭わされた時、これ以上は彼女の狂気を隠しきれないと思ったのだろう、彼女の肉親たちは彼女の幽閉を決意し、次いで、彼女の狂乱の元凶である俺を捨てたのだ。

 捨てるよりも、殺せばいい。
 その方が後腐れなかったろうに。
 彼らの一抹の良心が、俺を生かしてしまったのだ。
 無造作に道ばたに捨てられたのか、それとも某かの金子を包んで孤児院に頼み込んだのか。気がつけば俺はあの孤児院にいた。

 俺は、確かに求めていた。
 母を。
 与えられなかった、母からの愛情を。
 結局、得ることはできなかったが。
 俺は、飢えていたのだ。
 もちろん、孤児院にいた誰もが飢えを抱えていた。
 だから、俺だけが可哀想だったというわけじゃない。
 ただ、あの時、俺を囲み殺しかけた孤児院の子供たちを焼き殺した後、俺に差し伸べられた手を取ったのは、そのせいだったのだろう。
 俺の父だという王の手を取ったのは、そうすれば満たされると、そう思ったからだったに違いないのだ。

 結局、俺の飢えが満たされることはなかったのだが。

 俺は、未だ、飢えたままなのだ。
 この飢餓を満たしてくれるものを求めて、見出したのが、あの勇者だったのだ。
 母の愛した勇者の血を引く、あの勇者を、俺は、そうと意識しないままで、求めた。
 それを、王は、察したのだ。
 だからこそ、王は、
『裏切り者』
と、俺を、糾弾したのだろう。
 俺自身、未だ己の心を理解していなかったというのに。

「はは………」
 声は嗤いとなったが、腕で抑えた目からは、涙があふれた。


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つづく




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