異端の鳥  10.虐  殺




 森に入った途端に、不穏なざわめきが俺を襲った。
 胸騒ぎが現実のものになった絶望だった。
 なにも感じないと思い込もうとしていた俺の心が、その実少しも枯れることがないのだと思い知らせるかのような、そんな現実だった。
 説得することさえもできなかった。
 その現実が、しこるように腹の底にわだかまってゆく。
 声さえも出ない。
 自分の無力さを嘆くことさえも許されないような気がした。
 バートが、転がっている。
 バートの手足が、胴体が、首が。
 あの幼児も、犬も、猫も。
 おびただしい血が赤黒く変質して、しかしまだねっとりと澱んでいる。
 その臭いが、恐怖に満ちた臭いが、俺の鼻に充満していた。
 目に見えることない細かな血の粒子が、俺を取り巻いているのだろう。
 戦っている時には感じることもないそれを、不快に感じる。
 生臭い。
 鉄臭い、血の臭い。
 生き物の流した体液の不快な臭い。
 こみあげてくるものがある。
 それを堪えることができなかった。
 嘔吐く。
 幸いなことに、胃の中にはなにも入っていない。
 前日から、なにも食べることができないままだ。
 しかし、苦い胃液が俺を苦しめる。
 胆汁が飛び石を濡らし、赤黒い血だまりに混じった。
 苦しさに滲む涙が数滴混じる。
 あの小さな子供たちが、猫が犬が殺された。
 それだけのことだ。
 魔王の元で、たくさんの魔物や魔族を殺した。
 戦場で俺はたくさんの人間を殺した。
 たくさんの人間が、魔族が、魔物が、殺された。
 それを行った。見ていた。感じていた。
 その俺が、なぜ、こんなにも苦しむ。
 いったい、何が違うと言うのだ。
 いや、恍けることはよそう。
 ただの物体となって転がっているのは、俺が心にかけたものたちだ。
 だからだ。
 だからこんなにも苦しいのだ。
 肩で息をつきながら、俺はその場に立ち上がる。
「バート」
 取り上げたバートの頭。その耳には、あるはずの物がなかった。
 そう。
 魔の気配と魔力を消すピアスだ。
 まさか。
 それだけのことで?
 五歳児の耳には大きすぎる青い石(サファイア)を奪うためだけに?
 肉片をかき集め、庭に掘った穴に埋める。
 ぼとりと音をたててアルトロメオが降ってきたのは、俺が土団子に暴虐から逃れることができたハーブを散らした後だった。
「お前は無事だったんだな」
 羽根を閉じたり開いたりして、俺の足下にとぐろを巻く。
「そうでもない、か」
 破れた羽根から骨が見えている。
 裂けた腹からはみ出しているのは、内臓だ。
 手を差し伸べると、俺の腕を伝う。
 アルトロメオの眉間の少し上を指先でほんのひと突つき。
 それで、翼蛇の羽根は復元される。腹部もまた傷口を閉じてゆく。こんなふうに死者も蘇るのなら、どれほど俺の心は楽になるだろう。
「さあ、アルトロメオ、ここで何があったか教えてくれ」
 教えを乞うまでもないことだったが、俺はあえてその赤い瞳を覗き込む。
 赤い瞳は、俺に過去を語る。
 ほんの数時間前の虐殺を。

 それは、俺の理性を吹き飛ばすのに充分なものだった。



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つづく




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