煮込みなおしたウサギの香草スープが、土間を濡らす。
突然家に不法侵入してきたのは、手に得物を持った、人間たちだった。
男もいれば女もいる。手に手に他人を害するものを持ち、部屋を荒らす。
悲鳴と喧噪のさなかに、幼児の泣き声が聞こえる。
犬が吠え、猫が逆毛を立てる。
蹴った人間に犬が牙をたて、猫が爪をひらめかせる。
しかし、すぐさま横殴りにされて、壁にぶつかる。
それでも、彼らはバートと幼児を守ろうとしている。
バートは幼児を抱えて、男たちを見据えている。
“魔力を解放しろ”
思ったところで、遅すぎる。
バートに魔力の気配を消せと言ってピアスをつけたのは、俺だ。
そんな約束、破ればいいというのに。
ピアスなど簡単に外れる。
命に関わることなのだから。
殴る蹴るの暴虐が続く。
バートは、幼児を抱え込んで、動かない。
そのさまに、俺の心が軋む。
あの様子に、覚えがあった。
そう。
何度も思い出しては、なにも感じなかった。悔いたことはあっても、それだけだった。
かつて、俺が暮らしていた孤児院で俺が人間たちにされたことを。
俺が、彼らを焼き殺したことを。
あのときの恐怖が、今更ながらに蘇る。
その恐怖は、虫の息のバートたちが庭に引きずり出され、まるで獲物のように解体されてゆくシーンに、憎悪へと変貌した。
なぜそんなことをする!
ピアスが目的だったろう。
ただ、バートが半魔だったからなのか。
ならば、幼児は関係ないだろう!
まだ息のあったバートが腕を断たれる。
幼児の首が、冗談のように、転がり落ちた。
その刹那の断末魔を最後に、俺の意識は、途切れた。
気がついた時、俺は、男を引きずっていた。
バートと同じようにしてやろう。
幼児と同じように。
ふたりよりもよりいっそう苦しみが長引くように。
念入りに。
まずは、殴る蹴るだったな。
村の広場の周囲には炎が燃えている。
俺の怒りは火炎となり、村の家々を焼き、わずかに二十人ばかりの住人たちは広場へと逃げ集まった。
そこを、再び、炎で囲い込んだのだ。
そこを越える勇気のある者はいないようだった。
老若男女、関係はない。
俺はただ荒れ狂う怒りのままに、ふるまう。
そうして、半数ほどの男たちを殺した後、村のほとんどの人間が悲鳴すらなくしたころ、俺は、そいつを見つけたのだ。
そいつの耳に光る、サファイアを。
その見覚えのある石を。
「ああ。おまえがそれを奪ったんだったなぁ」
アルトロメオの記憶が過る。
声もなく俺を見上げる、恐怖に濁った女の目。
土や煙や血に汚れた頬には、涙の筋が幾筋も描かれている。
それがなんだというのだ。
首を左右に振っているが、それがどういう意味だったのか、俺は思い出すことができなかった。
「バートたちを、殺したのは、それが理由か」
「そんなに、それが、欲しかったのか」
俺の声は、低かった。
だが、どうしようもない。
腹の底からの怒りを、どうやればなだめることができるのか。
この怒り。
悲しみを。
俺は、バートたちを救うことができなかったのだ。
俺は、掌を差し出した。
「これをやろう」
開いた掌から、サファイアがとめどなくあふれだす。
女の目が呆然とそれを見つめる。
いつの間にか、その目からは恐怖が消えている。
取って代わったのは、まぎれもない欲だった。
「代わりに」
俺は、それを、引き千切った。
女が耳を抑えて地面を転がる。
口からは醜悪な悲鳴があふれだす。
「うるさい」
ふと手にしたままだったサファイアに気づいた。
反対の手には、引き千切った女の耳がピアスをつけたまま血をながしている。
「ああ。これが欲しいのだったな」
上向かせて固定した女の口に、サファイアを押し込む。
「もうひとつも、返してもらう」
そういった時、女の目から涙が滂沱と流れ出した。
女の頭を固定した手に、震えが伝わる。
「まだ足りないか?」
欲張りだな。
面白い。幾つはいるか、試してやろう。
ざらざらと音をたてて、掌からサファイアがあふれだす。
女の口の中へとながし込みつづける。
俺を見る目に、
「ああ。これはやれない。これは、俺がバートにやったものだからな」
と、返す。
「だから、好きなだけ、代わりのサファイヤをくれてやろうさ」
好きなだけ詰め込むといい。
あれだけバートをバラバラにしておいて、まだ家の中も粗探ししていただろう。
どれくらい詰め込んだだろう。気がつけば、口から石があふれだしていた。
「もう入らないか。ふん」
見開いた茶色の目の奥を覗き込み、
「まるで、肝臓を採られるための家鴨だな」
喉の奥で嗤う。
「ここを切り裂けば、石があふれだす」
女の喉から腹を指でたどる。
服の上からでも、腹が膨れているのがよくわかる。
見下ろせば、女は気を失ったらしい。
「ふん。だらしない」
女のながす体液に、興が醒める。
「そら」
腰を抜かし震えるだけの村人たちの中に女を投げ出した。
家鴨の断末魔めいた声とともに、幾つ部下のサファイアが地面に転がり落ちる。
素早い手が、それを拾い上げるのを俺は無感動に見た。
「欲しければ切るといい」
「喉から手を突っ込むか?」
声も無い村人たち。
罪も無い?
どこが。
こいつら全員が、バートたちを殺した。
こいつらは、村人の皮をかぶった盗賊だ。
全員でバートたちを殺した残虐な、けだものだ。
「それを魔物のしわざだと、町に知らせた。そういうことなんですよ、勇者サマ?」
俺は、振り返った。
視線の先には、青い目を見開き立ち尽くす勇者の姿があった。
赤い髪が、炎に照らされ、風にあおられる。
「これまでも、そういうことはあったろうが、たいてい魔物、魔族、悪魔の仕業と言われているよな」
同じことだよな。
魔物と人間の違いはあっても。
「で、俺をどうします?」
「討つ」
険しく睨みつけてくる青いまなざしを見返す。
勇者の仲間が陣を作る。
「だよなぁ」
笑いがこみあげてくる。
どんな理由があっても、俺のやったことは虐殺だ。
魔族ということを抜きにしても、勇者としては見過ごすことはできないだろう。
きれいな、青。
サファイアのような。
なんだろう、この胸の奥からこみあげてくる感情は。
俺は、剣を引き抜いた。
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