異端の鳥  18.魔 王 5




 元勇者を、“さすが”と賞賛してもいいだろう。
 聖魔相手の男娼としての扱いに、未だ精神は壊れてはいなかったのだ。
 これならば、レキサンドラの師も務まることだろう。
 私はあれ以来初めて、元勇者を塔から出すことにしたのだった。
「久しいな」
 見た目は人間ならば三十半ばといったところか。老いてはいないと思っていたが、聖魔の足が遠のきがちであったならば、これもまた当然の現象ではあった。
「何の用だ」
 問うてくる声は、喘ぎに嗄れ、ひくい。
 それにまた、謁見の間の黒檀と紫檀とに囲まれて、日焼けを忘れた白い肌が艶を際立たせ居合わせた聖魔や上級魔族たちの目を楽しませているようだった。
 青い目が、私を見上げてくる。
「これの名はレキサンドラ、私の息子だ。これに、剣を教えるよう」
 玉座から一歩下がった位置に立つレキサンドラを隣へと招き、肩を抱く。
 謁見の間の空気がわずかな驚愕にさざめき立つ。
 それは元勇者も同様であったらしい。
「むすこ……」
 ただ、驚きの内容は、違っていた。
「魔王に、息子だと」
 私はそれを無視した。
「彼は元勇者だ。剣技は保証しよう」
 私を見上げた緑の瞳が、ほんの少し輝いたように見えた。
「おとうさん、ありがとうございます」
 ほんのわずかばかり頬を染めたレキサンドラの灰色の髪を、私は無造作に撫でていた。
 レキサンドラの剣の稽古が始まったのは、レキサンドラの体調が少し戻ってからのことである。そうでなければ、剣技を身につける前に、彼の身体のほうが壊れていただろう。
 レキサンドラ、元勇者、共に木剣から始めさせ、剣を模造に変える頃には、レキサンドラの身体はしなやかなしたたかさを纏うようになっていた。それはどこか、草原に身を潜める猫科の獣めいたもののようだった。たとえるなら元勇者は狼めいた戦い方を見せる。その彼に剣技を教えられながら、レキサンドラが秘めるのは、狼めいた動きではない。群を知らない孤高の獣なのだ。
「血か……」
 元勇者に鍛えられながらも、群をなすことを知らない潔さ。常に孤独を意識するかのような頑なその姿に、私はかつての己を思い出す。そうして、魔にはほぼ意味をなさない血の繋がりをそこに見出して、よりいっそうの執着をレキサンドラに覚えるようになっていた。
 その執着が己が孤独故の“愛”なのだと疾うに理解してはいたが、そんなことはどうでもよかった。
 この手の中にレキサンドラがいれば同じことだったからだ。
 私は、レキサンドラによって己の孤独をまざまざと感じ、同時に癒されていたのだ。
 その自覚。それは、同時に、己の弱さ以外のなにものでもなく、故に、苛立ちを覚えさせるものでもあった。
 徒にレキサンドラを責める時、己の心を占めているのが彼への恋着と同時に憎悪であることを、自覚していた。どれほど聖魔以下魔族たちに崇められようと、私は孤独であったのだと、自覚させられることへの憎悪であった。
 たとえ以降、半魔がどれほど数を増やそうと、私の血を引くのはレキサンドラただひとりぎりなのだ。これは、私のものなのだ。
 そう。
 私の血を引く、私だけの、半魔。
 稽古を終えて湯を浴びたレキサンドラを褥へと引きずり込み、私は彼を苛む。
『お前は私のものなのだ』
 呪いにも似た囁きをくり返しながら、彼の敏感な箇所を執拗に責め、彼の堪えようとするさえずりを耳にする。
 それだけで、私の性器は熱く反り返った。もはや、ひとつにならずにいることは、苦痛でしかなかった。
 しかし、私は、レキサンドラから求められたかったのだ。
 私と一つ身になりたいとレキサンドラが口にすることを、私は夢に見た。
 叶うことはないだろうそれを想像し、一層のこと熱く滾る己をもてあます。
 そんな時がどれほど続いたのか。
 模造の剣を真剣に変え、もはや元勇者と互角に打ち合うレキサンドラを眺めながら、頭の中では虚しい妄想をくり返す。
 限界が近かった。
 そうして、それは、元勇者もまた同じであったのだろう。
 元勇者とレキサンドラの間に特別なやりとりがあったわけではなかったが、彼がメダリオンに気づいているのは知っていた。物問いたげなまなざしを時折りレキサンドラに向けては首を振る。そんな元勇者を知りながら、私は放置していた。



「俺は、お父さんの子ですか」
 ある時、掠れた声でレキサンドラが問いかけてきた。
 組み敷く体勢を解くことはせず、レキサンドラを見下ろした。
 私を見上げてきたのは赤と緑の色違いの一対だった。首から下がったままのメダリオンが、かすかに灯りを弾く。
「本当にお父さんの血を引いているのですか」
 その問いかけに含まれている感情は、幾許かの期待だろうか。
 彼が実の父である私との関係を本心から望んでいないことは、知っている。
 この時、嘘であれ「血など繋がっていない」と答えていれば、あのような暴挙をレキサンドラは選ばなかっただろうか。
 それとも。
 どちらにせよ、選んだか。
 もっとも。
 私には、嘘をつく気などありはしなかった。ただ、身内が灼ける思いに眉間に皺がよるのを感じていた。
 レキサンドラが、私の感情に気づく。
「そんな嘘を私がつく必要があるとでも」
 声が、低くなる。
 そろりそろりと熟してゆく果実を何時もぎとろうかとそればかりを考えている私の心を、これは知らない。
 青ざめるレキサンドラに、
「元勇者になにかを吹き込まれでもしたか」
 問いただす。
 必要以上の馴れ合いは禁じていた。元勇者はそれを犯してでも訊ねたかったのか。
「これは、このメダリオンは、あのひとの物だったと聞きました。あのひとが、元聖女に贈った物だったのだと」
 ゆっくりと、掠れがちになりながらも、答える必死さに愛しさが増す。
 しかし、
「私的な会話を交わしたのだな」
 あらためて、そこに拘りを見せてみた。
「禁じていたはずだが」
「でもっ」
 言い募ろうとするレキサンドラの耳朶にかじりつく。
 レキサンドラの全身がうねるように戦いた。
 耳の穴に舌を差し込むと、肩を竦める。
 褥に縫い付けた手が、逆らおうとするかのように動く。
「私の言い付けを破ったのだ。罰が必要だな」
 耳を嬲り、顔を上げる。
「ご、ごめんなさい」
「でもっ」
「でも? なんだというのだ」
「お、俺の魔力は、お父さんの子だとしたら、弱すぎると」
「だからといって、元勇者の子などという事実は、ありえない。ひとの子であれば、宮廷魔術師を名乗る輩であれ、魔力などお前の半分が精々といったところだ」
 もとより人間は魔力には恵まれてはいない。気配にすら鈍感だ。稀に人間の間でも魔力を持って産まれる者がいないではないが、それは、事実、微々たる魔力しか持っていない。それをどうにか増幅するために人間たちが練り上げたのが、魔法という小手先の技だ。
「でもっ」
「それほど私のことばよりあれの方を信じたいというのか。あれの子でありたいとでもいうのか」
「………ちがいます」
 微妙な間を私が感じ取らないとでも思ったのだろうか。
 ふつりふつりと、身内が熱くなってゆく。
 灼ける。
 いったい今、私はどんな表情をしてレキサンドラを見下ろしているのだろう。
 レキサンドラの表情は、色をなくした哀れなものと成り果てている。
 あふれだす涙に気づいていないのかもしれない。両眼に現れているのも、私に対する恐怖だった。震えるからだが、熱をなくしていた。
「間違いなく、お前は、私の血を引いている。この私が言うのだ、毫ほどの間違いもありはしない。わかっていよう。ただそのメダリオンがお前に告げる現実は、お前の血の半分が元聖女のものだというそれだけのことに過ぎない」
 平坦に、私は事実を告げる。
 元勇者が元聖女を抱いたのは、二度だけだ。二度目は、私が戯れでふたりを同時に相手にしたその時だった。以降、ふたりを番わせたことなどありはしない。それ以前に、私が誤るなどということはないのだ。レキサンドラの身体を流れる血の半分が私のものだということを、間違うことがあるはずがない。
 私の血を引くことを否定しようとするレキサンドラが、心の底から憎かった。
 いっそのことこの場でひとつになってしまおうかと、渦巻くのは、情念だった。渦巻き、逆巻き、己自身ですら制御がままならない。
 まだだと、かろうじて己を制することが精一杯だった。
「あのような者のことばに弄されるではない。お前は、私の子なのだから」
 その事実こそがレキサンドラが唾棄したい事実だと知っていながら、私はレキサンドラにそのことばを刻みつける。
 ことばをなくしただ涙を流すレキサンドラの表情を堪能しながら、私は、
「罰だ」
と、ことさらに甘くささやいた。
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つづく




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