それは、俺が五つの年に起きた。
俺が産まれた時には既に始まっていたのだという勇者対魔王の戦いが“終局”を迎えたのは。
“終局”を、俺はこの目で見た。
見ざるを得なかったのだ。
体験したのだから。
当時俺は煤けた赤煉瓦造りの貸し部屋で、義理の父だという金髪の男と暮らしていた。ほんの時折どこかに出かける以外一日を俺と一緒に過ごしていた男の仕事が何だったのか、俺は知らない。もっと一緒に暮らしていれば知る術もあったろうが、男は、否、義理の父は、“終局”が訪れるより早く俺を森の侘び小屋に連れてゆき、消息を絶った。
「待っていろ」
とすらことばはなかった。
ただ、最初から存在しなかったかのように、彼は俺の前から消え失せた。
それでも、俺は、彼を待った。
まるで魔女が暮らすような小屋で、俺は独りきりで彼を待って、数日を過ごした。
自身義理の父と名乗ていた男は、まだ五歳でしかなかった俺に料理も洗濯の術も、生活に必要なことを最低限叩き込んでいた。それは、周到なほどで、彼は何もかもを見越していたのかもしれない。なぜなら、小屋の中には生活必需品が揃えられていた。少なくない金銭も蓄えられていて、それで俺は成長できたようなものだ。
ともあれ、あの数日間は、静かで平和だったが、寂しい日々だった。
だから、俺は、町に戻った。
彼がいやしないかとのかすかな期待を抱いて、以前の貸し部屋に行ってもみた。
しかし、当然なのか、彼の姿などありはしなかった。
そうして、俺は、“終局”をみることになったのだ。
その日は朝から暗雲が立ちこめていた。
雨が降りそうで降らない、そんな不快な日、俺はやはり戻って来ない彼の姿を求めてあてどもなく王都を彷徨っていた。
今思えば、よくも人攫いや魔物に襲われなかったものだと己の無謀さに恐怖を覚えずにはいられない。しかし、その時の俺は、いなくなった義理の父を探すことに必死だったのだ。
“それ”は突然現れた。
恐ろしいばかりの地鳴りとともに、まるで空気をも粉々に砕くかのようにして、それは王城の背後に聳え立った。
俺はちょうど以前の貸し部屋から往来に出たところだった。
そこで、“それ”を遠目に見ることになったのだ。
揺れる地面に咄嗟に手近のものに掴まり、俺は周囲の喧噪に耳を聾されながらも周囲の視線の先を見た。
白い王城の背後に幾つもの尖塔を持つ黒々とした城を見たときは、己の目を疑った。
黒い城を取り巻くガーゴイルの群が、彼らのことばでなにかを歌っていた。その歌が、魔王を讃える歌だと、何故だか俺には聞き取ることができたのだ。しかし、その時の俺にそれを不思議と思う余裕など残されてはいなかった。
当然だろう。
魔王が讃えられる黒い城。
それが何者の物なのか、どんなに鈍くとも即座に知れようというものだ。
「魔王の………しろ………?」
呆気たようにつぶやいた俺のすぐ近くにいた誰かが、俺の襟首を掴んだ。
「魔王の城だとっ」
食いつくような顔と、鼓膜が破られるかのような声だった。
この目で見たことのない魔王よりも、俺の襟首を掴んで振る誰かの方がよほど怖く思えたほどだ。
男の大きな声に、周囲はざわめき、次いで、逃げた。
男も周囲の雰囲気に呑まれたのだろう、俺を放り出すと、どこかへと逃げて行った。
背中を煉瓦の壁にぶちつけ、石畳に腰を落とし、詰まる息に苦しみながら、俺は、見上げた。
黒い城が禍々しく城下町を睥睨するさまを。
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