黒い城は白亜の城を抱き込むようにしてその背後に峨々と聳え立つ。
しかし、ガーゴイルのひび割れた鐘の音にも似た、実は魔王を讃える歌である叫び声が聞こえる以外、気味悪いほど沈黙を守っていた。
時折、ガーゴイルたちの声が不気味なハーモニーとなり、空気を鳴動させた。それが、運の悪い人々を切り裂き、丈夫なはずの白亜の城や石でできた家など、ありとあらゆるものを傷つけた。
王都では、ひとの姿もまばらになり、それでも、ひとは生きてゆかねばならず、逃げ出す先もない人々は、わずかに残った食料を奪い合った。しかしそれらもまた、ガーゴイルの破壊のハーモニーを避けるかのように裏通りでひそやかに行われるのだった。
何時しか人々は、王城を睨みつけるようになった。
魔王の城が現れて、いまだ四日しか経ってはいないというのに、食料の不安、身の不安、勇者の到着を待つ不安が、貴族以上のものたちへと向かったとしても、おかしくはなかったのだろう。
王城もまた、沈黙を守っていたからだ。
これ以上の食料の不安が広まれば、王城は開かれ、炊き出しがされるはずである。しかし、そんな噂さえどこからも聞こえることはなかった。
王は見捨てたんだ。
国民を、王都を。
ならば、勇者は本当に来てくれるのか。
もう来ていなければおかしいのではないか。
勇者に対する不審もまた、いつしか広まり行きつつあった。
勇者には魔法使いも付いているのだ。どこにいようと、すぐさま駆けつけるに違いない。そんなおとぎ話のような魔法使いなど、実は存在しないのだ。少なくとも、そこまで強い魔術などを扱うことができる人間はいない。それを彼らは知らないのだ。と、なぜだか、俺は知っていた。
なぜ。
俺は知っているんだろう。
ガーゴイルの歌声が、俺を森の小屋へと戻ることをためらわせていた。何度も色々な場所で血まみれになる者たちを見せつけられていたのだ。途方にくれた俺は、路地裏でまるで物乞いのように地面に直接腰を落としていた。飢えていた。義父に会いたかった。しかし、飢えや寒さに震えながら、なぜ知っているはずのないことを知っているのだろうと、そんな疑問を感じてもいた。
勇者はすぐに駆けつけることはできない。
勇者だって、ただの人間でしかない。
けれど。
勇者。
会ったことも見たことさえもないはずの、その存在を思い浮かべるたびに、苛む飢えを忘れて、不審を抱きはじめている人々のような危機感ではなく全身が逆毛立つような不思議な高揚感にとらわれるのだった。
不思議だった。
俺はいったいなんなのだろう。
俺は、いったい、どうしたんだろう。
腹を減らしながら、俺はただぼんやりと薄暗い空を見上げていた。
その時は、突然訪れた。
いきなりの閃光が白亜の城を一瞬際立たせ、その傷ついた姿を露にした。
その光に、人々は息を呑み、次いで、待望の勇者がその部下や味方たちと駆けつけたのだと気づいた。
「勇者さまだ!」
誰が最初のひとことを口にしたのか。
王都は歓声に沸いた。
しかし、すぐさま口をつぐむことになる。
それまでの沈黙を破り、魔王の城の門が開かれたのだ。
門が軋る。
ひび割れた歌声のガーゴイルが近づこうとする勇者軍を翻弄する。
開いた門から、黒い騎獣に乗った魔族たちが姿を現した。その禍々しいまでの黒尽くめの姿にはそれだけで人々を威圧するオーラがあった。
彼らが鎖でつなぐ四つ足の魔物たちが、吠え声を上げる。吠え声は刃物や炎、氷や水となり、勇者らの刃等を避ける盾となる。
数では劣らない勇者の軍勢に、勝機はないと思えた。
その時の俺はといえば、ふらふらとであったにもかかわらず“勇者”とひとの期待する声に導かれるように、戦場と化した王城へと向かっていた。
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