異端の鳥  30.レ キ 4









 信じられないものを見る。
 そんなまなざしだった。
 それが、俺を捉え、次いで、閉じられてゆく。
 瞬間が間延びしたかのような奇妙な感覚の中で、俺は、それを見ていた。

 惚けたようになっていた俺を正気に立ち戻らせたのは、ガーゴイルの悲鳴だった。
 悲鳴は、空を裂き、雨を降らせはじめた。
 勇者たちは、魔神の最後に、空をあおぐ。そうして、そこで身も世もなく叫び鳴くガーゴイルに気づいたのだろう。
 始まったのは、掃討戦だった。
 魔たちにとっては、退却戦になる。柱を討たれた絶望と屈辱とを堪えながらの、退き戦だった。
「おまえ」
 不意にかけられた声に、俺は、サルビアの赤をみとめた。その途端、俺に襲いかかったのは、罪悪感にも似た何か、いたたまれないような何かだった。
 だから、俺は逃げた。
「待ってくれ」
 勇者の声が聞こえたが、俺は、構わず、その場を後にした。
 何から逃げるのかすらわからないまま、その場から。
 何故逃げるのか。
 何故、怖いと思うのか。
 しばらくして息が上がり、瓦礫の町をそぼ濡れた俺は、悄然と歩いた。
 頬を濡らすのが涙なのか、髪の毛から伝う雨なのか、わからないまま何度も袖で拭いながら、俺は、こみあげてくる衝動のままにしゃくりあげつづけた。
 怖かった。
 とてつもなく。
 それが総てだった。
 どこか安全な場所に隠れて大声で泣き叫びたかった。
 そうしなければ、この恐怖が癒えることはないのだと思った。
 思いついたのは、“義父”と暮らしていた部屋だった。しかし、俺はそれをただ馬鹿のように見るはめになった。間違いなくその場所だった。それなのに、そこにあるのは、雨に濡れた黒だった。なぜなら、かつて暮らしていたささやかな部屋があった建物もまた、瓦礫の一部となっていたからだ。
 何もないのだと。
 絶望にも似た思いでその場に倒れそうになった俺は、やっと思い出した。
 そこは既に俺たちの場所ではなかったのだと。
 俺たち、いや、俺の場所は、森の中のあのささやかな小屋なのだと。
 精魂尽き果てた俺がどうにか小屋にたどり着いたのは、翌日の未明のことだった。
 俺の中からはあの絶望的な恐怖は消え失せ、疲労だけが残されていた。
 白いリネンのかかったベッドの上に俺は倒れ伏すようにして、意識を失ったのだ。
 それから後の日々に、俺が語るべきことは何もない。
 空腹に目覚めた後の俺は、ただ、生きる為だけに毎日を過ごした。
 静かでささやかな空間では、ゆったりと時が流れた。不思議と迷い込むものもいなかった。だから、俺はただ腹を満たしては眠る、怠惰な繰り返しを心行くまで味わっていた。時折食料調達に小屋を出ることがあったため、町が少しずつもとの姿を取り戻して行っているのは知っていた。それを遠く眺めて、なぜかほっとしながら同時に痛む胸を抱いた。
 どれくらいの年月をそうして孤独に浸り過ごしたろう。やがて、そろそろ貯えがつきそうなことに気づいた時、俺は腰を上げたのだ。
 食料調達以外で初めて、町に出た。
 巨大な塔が時を刻む。
 町のどこからでも時を知ることができると言う時計塔を目指して、俺は町を歩いた。
 あの下に、役所があることを知っていたからだ。
 そこで、俺は士官学校の存在を知った。才能があれば学びながら喰わせてくれる場所だと。
 俺にはちょうどいい場所だと思ったのだ。
 だから俺は試験を受けた。
 試験は学問と剣術体術だった。
 考えてみれば、俺は学問などしたこともなかったのだが。気がつけば文字の読み書きも算術も普通にできた。体術も、剣術も、問題はなかった。
 俺自身が不安になるほど、スムースにことは運んだ。
 そうして入学式で、俺は、勇者を見たのだった。
 勇者はこの国の立て直しに尽力し、女王になっていた。
 城の中は、俺が町をうろついていた時には既にもぬけの殻だったというからお笑いぐさだ。そんな王族や貴族など、誰も認めやしない。かつての国民に石を持って追い払われた王族貴族の代わりに、国民が勇者を! と、望むのは不自然ではなかったろう。
 未だみごとに波打つサルビアの髪が、新入生に混じった俺の目を射抜いた。
 このひと、この方に仕えるのだと。
 心の奥深くから沸き上がってきたのは、歓喜だったのだろう。
 俺は、女王に仕えるのを夢見つつ士官学校での生活を始めたのだった。



 
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つづく




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