終わりなき夜





その一




 黒いダイヤル式の電話のベルが鳴る。
 時刻は深夜の二時をわずかに過ぎたころあいだ。
 ひんやりと暗い廊下に、ベルは二度三度と鳴り響く。
 電話と電話台の真正面にあるドアが、かすかな軋りをあげて開く。薄暗いオレンジ色の明かりが、開いたドアの巾だけ切り取られ、廊下を照らした。
 リンッ。
「はい。海棠(かいどう)です」
 まだ声変わり前のボーイソプラノが名を告げる。
「……は、い。かしこまりました。それでは、(たつみ)さまにはそのように伝えておきます」
 チンッ。
 受話器の戻される音が、やけに大きく廊下に響いた。
 少年は、その場から動かない。
 強張りついた手が、受話器から離れなかったのだ。
 遠からず訪れる者が、なにをもたらすのか、少年は、知っている。幾度も目の当たりにしてきたのだ。
 恐怖と嫌悪とがほどよく交じり合った、悪夢のような、光景が、脳裏の中に渦を巻く。知らず、少年の全身は、小刻みに震え始めていた。
 ほどなくして緊張は解けたらしく、少年は天井を振り仰いだ。
 いまだ治まらぬ震えに、深い溜め息がひとつ、少年のくちびるからこぼれて落ちた。
 正面に向き直り、壁を睨みつける。
 よほど厭な内容だったのか、首を二度三度と激しく横に振った。そうして、もう一度溜息をつき、ようやくのこと少年は受話器から手を離すことができたのだ。
 掌は、じっとりと、汗で湿っていた。


 深い緑の連なりに囲まれた竜王島のほぼ中央に、白壁に交差する黒い梁や同色の窓枠が印象的な建物が建っている。さすがに屋根は藁葺きではなく瓦葺に変えられてはいるが、イギリスのチューダー朝様式を真似た外見である。二階建ての古びた洋館だった。
 島に繁る木々を伐採して切り拓いた土地には、この一軒の屋敷のみ。その周囲には芝生が植えられ、花壇も見える。
 島の西端から東端へと島を貫く一本の道は、ヘリコプターの発着所と船着場に向かうものである。発着所が設けられているのは東端であり、ヘリの姿は今はない。小さな船着場は西端に造られて、今も一艘のモーターボートが杭に繋がれていた。それは、三キロほど先の対岸へと出かけて行くためのものだった。もっとも、桟橋以外のすべては、外界から存在を隠すかのように、利用されている以外は原生林そのままに残されていた。


 朝まだきころ、竜王島の住人は、木々をざわめかせる騒音に本のページから顔を上げ、かすかに眉間に皺を刻んだ。
 窓辺に置いたオレンジ色の光が、彼の横顔を闇のうちにぼんやりと照らしている。
 彼は、冬の湿り気をおびた潮風がじっとりと肌に絡みつく不快さに身を任せながら、開いた窓にもたれかかるようにして、医療関係の雑誌を読んでいた。
 ライトの光に染まった肌の色が、彼を病人めいて見せている。
 ときおり肩で息をつくさまも、どこかしら、病んだものの力なさを思わせる。しかし、
「まだ前の時から一週間しか経っていませんけど」
と吐き捨てる口調には、滴らんばかりの忌々しさがひそめられ、彼の病弱そうな印象を、たちまちのうちに霧散せしめた。
 瞳孔と虹彩との区別のつきにくい、闇の色の瞳がライトの光を弾くさまは、鞘から引き抜いた日本刀の刃の冴えめいて、ひりりとした剣呑さをひそませている。しかし、彼の白皙の(おもて)は、冷ややかさを内にひそませたまま、なにがしかの諦観を見せてこわばりついていた。


 薄暗い館内に聞こえているのは、軽い足音だった。しかし、それは、いつもはいないものたちがたてるさまざまな音に、掻き消される。
 沈黙のうちにひっそりと存在する館に、この日、来訪者があったのだ。


 ヘリコプターのローター音が近づいてきた。
 やがて、耳を聾せんばかりだった音がやみ、東端の発着所から、まだ朝まだきころに訪れたのは、二人の客だった。
 早朝の客を迎えたのは、まだ十二、三才ほどだろう一人の少年だった。
 黒服の男を従えて、その主人らしい着物姿の老人が館へと消えていったのが、ほんの数分前のことである。
 飾り彫りのほどこされている木のドアを少年がノックする。
 返事はない。
 それはいつものことだった。だから少年は躊躇(ためら)いもせずドアを開く。
 ひやりとした湿気をおびた冬の海風が、刹那少年の全身を包み込んだ。
 そこは十五畳くらいの洋室である。薄い緑色の壁紙に、黒檀の骨格と白地に緑の草木模様の布を張った揃いの家具が据えられている。ソファセットにベッド、カードテーブルが、カーペットすら敷いていない剥き出しの板の間に並べられているばかりである。
 広さのわりに、家具が少ない。しかも、寒色で統一された家具類が、尚一層のこと部屋の寒々しさを際立たせているかのようで、馴染んでいるはずの少年すら、身震いせずにはいられなかった。
 唯一のあたたかな色合いといえば、部屋をぼんやりと照らす、暗いオレンジの照明だけだった。
 冬だというのに開け放っている窓から、寒風が流れ込む。その窓辺に寄せられたソファに、腰を下ろしている後姿があった。
「巽さま」
 少年の声に振り返ったのは、白々とした美貌の青年だった。
 彫りの深い造形の中、とろりと漆めいたまなざしが、窓越しの曙光を弾いて刹那きらめいた。
「柊一」
 巽の薄いくちびるから発せられた少年の名が、玲瓏とその場に響いた。
「清之介さまがお見えになられました」
 いくぶんか時代がかった、少年の台詞に、
「予定はまだ先のはずだったと記憶していますけど」
 巽の黒々としたまなざしが、柊一の褐色の瞳を覗き込む。
 瞳孔と虹彩との区別がつきにくい巽の漆黒の瞳を、柊一は見返した。
「昨夜遅くに、連絡がございました」
 柊一のその言葉に、巽のつくりものめいた美貌に嫌悪の色が刷かれた。
 黒檀の肘掛を、巽の手が撫でさする。
「ふん」
「巽さま。どうか」
 柊一の声に、懇願の音が含まれる。
「業の深い」
 誰にともなく吐き捨てるように呟くと、巽は椅子から立ち上がった。


つづく



from 10:00 2004/03/08
up 08:50 2005/11/24
あとがき

 二回目
 なんというか、古臭い話で恐縮です。
 オリジナルは、なんか古くなります。って、まぁ、二次創作でも新しいかっつーとそうでもないですけど、極端に、表現がなぁ………。
 主要登場人物グループその一でした。
 少しでも楽しんでいただけるといいのですけど。


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