その三
その日は、久しぶりの小春日和だった。
正月も終わって七草粥も食べ終えた。
明日から三学期が始まる。
冬にしてはあたたかな、午前中の陽射しが降りそそぐ縁側に腰を下ろして、八才になったばかりの
美月は庭に放したウコッケイに餌をやっていた。
お気に入りの赤い運動靴を履いた足が、濡れ縁からぶら下がって宙を蹴っている。
クッキーの丸い缶にたくさん入っている粟や稗などに貝殻の砕いたものがブレンドされているものを、プリンの空き容器で掬い取る。少しずつ地面にまくと、白いふわふわの羽毛につつまれた、ニワトリよりもすらりとした体格のウコッケイが集まってきた。足をぶらぶらとゆらしていても、馴れたもので、足の下の餌まで平気でついばみにくるのだ。
撒いた餌の減りぐあいを見ていた美月が、ふいに顔を上げた。
さきほどまでは聞こえていなかった音が、山にこだましていた。
木の葉や枝がぶつかりあうざわざわという音に混じって聞こえてくるのは、あれは、サルのディスプレイの声だ。群のボスが力を誇示するためか敵を威嚇するために、山の奥のどこかで、登った木を揺さぶって遠吠えしているのだろう。
まん丸い目を眇めて、美月は口をへの字に喰いしばった。
家の周りを囲むようにそびえている山々から下りてきたサルの群が、家へと続くアスファルトの道路で日向ぼっこをしているのも、正月が明けてすぐ八才になった美月にとっては別段珍しい光景ではない。
夜の遠吠えはうるさいけれど、家の玄関や窓をがたがたと揺すられるのよりは、怖くない。夜中に突然家鳴りよりも大きな音で戸口が鳴りはじめると、目が覚めてしまう。サルの力でガラスが割られないかと、心臓がドキドキするのだ。
月のきれいな晩とか、カーテンをすかして、サルの影が見えることもある。
朝起きれば、車のわだちに混じって、庭先の赤茶けた地面の上にイノシシやサルの足跡が残っていることも珍しくはない。
イタチや野ネズミ、コウモリなど、小動物は年中そこここで見つけたし、土手の雑草を払った後に取り残されていた仔ウサギを育てたこともある。タヌキを見ることもあるが、不思議と野生のキツネを見たことはない。
庭に出たとたん、キジが驚いて飛び立ったこともあれば、田んぼに首を突っ込んでいた真っ白いサギが、泥で黄土色に染まった顔を美月に向けて飛び去ることもある。
猟期には、誰かに撃たれたカモが落ちてきて、夜は誰も取りにこなかったカモをお父さんがさばいて、晩ご飯が鍋になったこともあるくらいだ。
軽トラックが楽にユーターンしてあまりある広さの庭。昔ながらの木造の母屋につづく車庫の向こう、山側は梅や桜や無花果やいろんな野菜を植えている畑だ。母屋を挟んで反対側には、むかしは牛舎を兼ねていたという納屋があり、その道路寄りに、ここの景色からなぜか浮いて見える、今風のログキャビンがある。十坪ほどの広さの小ぢんまりとした丸太小屋は、美月の父の本職である、獣医の診療所だった。
庭とは二メートルばかり段差のある土手の下には、見渡すかぎり山の裾野まで田が広がっている。おおよそで一丁ちかくあるだろうか。一丁は十反、坪にすると三千三百三十坪である。この地方の農家とすれば、かなり広い部類に入る。
田んぼのきわに池から引いた用水路があり、水源である池は、ぽっこりとお椀を伏せたような形の、小さな山の中ほどにあった。用水路には、カワセミが餌を狙ってくることもあるし、大人が一抱えして余るくらいの大きな黒いカメを見ることもある。魚や虫や、それらを狙うカエルやヘビも、もちろんのこと、マムシも、いる。
ぐるりを山に取り囲まれた美月親子を外界と繋ぐのは、森島家で行き止まりの、舗装された一本の道だけだった。
美月のクラスメイトに言わせれば、『すっごい田舎』に、森島美月は、父親とふたりで暮らしていたのである。
だから、それは、ある意味しかたのないことなのかもしれなかった。
つづく
from 10:00 2004/03/08
up 10:14 2005/12/28
七回目
やっとこ出ました。一応ヒロインの予定の森島美月ちゃんです。
とりあえず、美月ちゃんの住んでる辺りの紹介から。
楽しめそうにないですよね。ロケーションだけなので。すみません。