終わりなき夜




◇◇◆◇◇



 昨日の朝早く、ウコッケイの鳴き声で、美月は眠りを破られた。
 いつもの、時を告げる鳴き声ではなく、それは、喧しい、どこか悲鳴めいたけたたましさだった。
 心臓が痛いくらいに跳ねて、いっぺんで目が覚めた。
 隣を見れば、父は眠っている。
 父の眠りは深く、ちょっとやそっと美月が揺すったくらいでは起きない。
 寝そびれてしまった夜や、夜中に美月だけが目覚めた時など、父が死んだのじゃないかという不安にかられて、美月は父の胸の上に耳をくっつけずにはいられなかった。そうすれば、父の胸が動いていることがわかるから、安心できる。トクトクと規則正しい心音を子守唄代わりに、美月は眠りにつくのだった。
 農家と獣医を兼業していることもあって、昨日は、突然ネコが運び込まれてきた。
 晩ご飯を食べてた最中だったけれど、父はいやな顔もせずに応対した。手術が必要だったらしく、父が離れの診察室から母屋に戻ってきたのは、夜中の二時を過ぎたころだった。
 母屋から出て行く前に、
『待っていなくていいから、先にお風呂に入って寝てなさい』
と言われていたけれど、起きて待っていた。
 バイクにはねられたネコがどうなったのか、気になってしかたがなかった。父が失敗するなんていうことは万に一つもないと信じていたけれど、今回が万に一つの場合だって、ないわけじゃない。母屋に戻って、美月に気づいた父は、疲れた顔で笑ってみせた。
 そうして、
『ネコの容態は、落ち着いたから。もう一安心だよ』
と、教えてくれた。しかし、かなり神経を使う手術だったみたいで、そう言う父の声には疲れがにじんでいた。
 お風呂にはいりかねていたくらいだ。
 父の鼓動を聞きながら、美月は眠る前のことを思い出していた。こうしていればいつもは安心して眠れるのに、しかし、今朝は、あまりにもウコッケイがうるさくて、鳴き声が気になって、寝なおせない。
 どんなに父の心臓の音を聞いても、ダメだった。
 いつもならすぐに眠れるのに、いつまで経っても眠りが訪れてはこない。
 結局二度寝をあきらめて布団から抜け出した美月は、シンとした寒さにからだを震わせ、慌てて掛け布団の上の半纏を着込んだ。
 多分かなり大きな音を立てても目覚めないだろうけれど、父を起こさないように足音を忍ばせて、美月は台所に向かった。
「寒っ……」
 小さく呟いた口から、息が白く空中に霧散する。
 もっとずっと小さかった時、父が忙しいと決まって預けられた、美月にとって祖父にあたるひとの友人だという、ゴンちゃんのおじいちゃんに、
『夜靴下を履いたまま寝たら、背が伸びんようになる』
と言われて以来、寝るとき絶対に靴下を履かない足には、畳や廊下の板がかじかむほどに冷たかった。
 台所から土間に下りて勝手口を抜けると、すぐに車庫だ。玄関から行くこともできるが、美月と父の寝ている部屋からは、この方が近い。
 車庫とはいっても、トタンの屋根を四本の支柱で支えているだけの、広さだけは十畳くらいあるが、至極簡単なものだ。
 勝手口のすぐ外には汲み上げポンプ式の井戸があり、その横には鳥小屋がある。あとは、軽トラック、乗用車、バイクの他に、そのうちガスか電気に取り替えるつもりらしい五右衛門風呂の焚きつけのための薪がぎっちりと積み上げられている。トラクターなどの農機具は、壁と屋根もあり板戸の嵌まる、ガレージとは反対側の、元は牛舎を兼ねた納屋だった、母屋と離れ―診療所―に挟まれて建っている倉庫にしまいこんである。牛舎とはいっても、そこで飼っていたのは、随分と昔に、鋤を引っ張る農耕用の牛を一頭だけだったらしい。今では、牛の匂いも藁の匂いも、残ってはいない。
 勝手口の向こうからは、ウコッケイの鳴き声が間断なく聞こえてくる。そうして、重なるように美月の耳を打つのは、鳥ではない、ケモノのかん高い声だった。
 手を握りしめ、音をたてないように、勝手口上部に嵌め殺しになっている小さな窓ガラスにかけているカーテンをずらした。
 窓の外の光景に、その場で固まる。
 地面のあちこちが、赤みがかった褐色に染まっている。
 雪のような白い羽毛が舞い散らばって―ひとつ、ふたつ…………四本の毛深い腕が、ウコッケイを取りあっている。
 引き千切られた肉の断面からしたたる血が、美月の脳裏に焼きついた。


 その朝、十羽のうち二羽のウコッケイと産みたての卵、孵って一週間の四羽のヒナがすべて、サルに、食べられたのだ。


 昨日のできごとを思い出し、美月は眉間に皺を寄せた。
 あれから、なかなか起きない父を起こして、まだぼんやりしているのを、勝手口に追い立てるようにして惨事の現場を見せた。
 そこまでして、やっと、父の頭は動き出したらしい。ぼんやりとした表情が嘘のように、一気に目覚めてことの次第を理解すると、いつもの、きりりと引き締まった頼もしい父の顔になった。
 サルをやっとのことで追い払い、散らばった血や羽やその他の残骸を片づけた。
 庭や田畑に逃げたウコッケイを集めるのは大変だったけれど、それも、ふたりでどうにかやり遂げることができた。勝手口から土間に追い込んで、それからが大変だった。
 破られた金網と破壊された小屋を見て溜息をついたと思えば、もっと頑丈な小屋に作り直し、今度はサルが襲えないように倉庫の中に小屋を移動したのだ。
 今朝、ウコッケイたちを、美月は倉庫の中の鳥小屋から庭に放した。 
 本当は、悪いサルたちを父にやっつけてほしかった。

 けれど、昨日、そう言った美月に、鳥小屋を壊しながら、 『サルだって食べないと辛いからね。目と鼻の先に美味しそうなご馳走を置かれてたら、美月だってがまんできないだろ? 父さんは、サルにご馳走を見せつけて、我慢させてたんだな。………美月の大好きなケーキをテーブルに置いて、美月に、食べちゃダメだってそう言って知らないふりをしたら、どうする?』
 そう言った。
『そんなイジワル、お父さんしないもん』
 小さな子のように、つい泣きじゃくってしまった。喋りかたすら赤ん坊みたいで、思い返すと、とっても恥ずかしい。
『したら、どうする?』
 にっこりと笑いながらそう言った父に、
『なくもん』
『そうか。つまみ食いしちゃわない?』
『………うん』
『ほんとかな?』
『……………お父さんがずぅ〜っと言わなかったら、食べちゃう……』
『だろう。食べられたウコッケイがかわいそうだっていうのは、父さんも美月と同じだ。けど、サルと同じくらい、父さんも、悪いってことになる。だからね、一番いいのは、今度からサルが来ても食べられたりしないように、小屋を頑丈に作り直して、サルの目に入らないところに移動させることだと、父さんは思うわけだ』
と、そう説明してくれた。
 大好きなものが目の前にあって、おあずけさせられるのは辛い。
 だから、サルも我慢できなかった。
 それは、わかる。わかったけれど、でもやっぱり、昨日みたいな光景を見てしまうと、
「サルなんてきらいだっ」
と、吐き捨てずにはいられないのだ。
 ウコッケイが、美月の声に、驚いてひとしきり騒ぎだした。
 おもわず、両手で口を抑えたとき、
「美月、山口のおじいちゃんのところにおつかい頼めるかな」
 畑から戻ってきた父が、両手に泥にまみれたタイモを抱えたままでそう言った。
「ゴンちゃんのおじいちゃんとこ?」
「そうだ、ゴンちゃんのおじいちゃんのとこだ」
「うん」
 餌の缶に蓋をする。
「じゃあ、ちょっと待ってて。とってくるから」
 そう言って家の中に入り、しばらくして、
「これを頼む。割らないように気をつけて」  渡された近所のマーケットのビニール袋が乾いた音をたてる。
 中を覗きこめば、ティッシュペーパーに包まれた、ニワトリの卵よりも一回りくらい小さな卵が五つ、ザルの中に入れてあった。
「たまご?」
「そう。ウコッケイの卵ですって、そう言って渡すんだよ。それと、新年の挨拶を忘れずに」
「はーい」
 よい子の返事を一つ返し、美月は縁側から庭に滑り下りた。


つづく



from 10:00 2004/03/08
up 10:08 2006/01/01
あとがき

 八回目
 長くなりそうな話なので、美月ちゃんの過去編がしばらく続くのでした。


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