少女  2




 青年は、犯罪組織の一員だった。
 巨大な、ヨーロッパ全土を席巻するかのように、強大な犯罪組織だった。
 青年の役割は、処刑すること。組織の邪魔になるもの、組織を裏切ったものを、闇から闇へと葬り去ることだった。
 物心つくかつかないかの微妙な時期に、すでに、彼は組織の本拠地にいた。
 親に売られたのか捨てられたのか、そこに来る以前の一番古い記憶は、悲しみだった。何に対する悲しみなのか、思い出そうとする時、きまって、彼は自分自身の心から何かがもぎ取られたような苦痛を強く感じるのだ。もっとも、自分のことを考える時などそう多くはありはしなかったが。
 いつも、おそらくは境遇を同じくするたくさんの子供たちと一緒に、振り下ろされる鞭に怯えながらさまざまな犯罪の方法を学ぶことで、毎日は過ぎていった。
 脱落してゆく仲間たち。その行く末がどうなるのか、残った仲間たちは、暗黙の内にうっすらと感じ取っていた。
 恐ろしくて、決して口にだしはしなかったけれど。
 彼らのようになりたくないばかりに、必死にならざるをえなかった彼に、自分の一番古い記憶を思い出そうとする暇などそうありはしなかったのだ。
 やがて、専門分野ごとに分けられた。
 青年が属するのが何なのか、すぐにわかった。
 ナイフの使い方を教えられ、泣きながら生き物を切り刻む毎日。切り刻む生き物は小動物から人間へと変わり、その痛点や急所を叩き込まれた。毒に身を慣らすことを強要され、毒に犯されてもうろうとする頭に毒物の使い方を叩き込まれた。少しでも間違えば逆らえば、鞭が振り下ろされた。死ぬほど殴られたこともある。あのまま死んでいればよかったと、後悔したことさえもあった。そうして、やがて、彼の心は固く冷たく凝りつき、いつしか組織一の処刑人に成長したのだ。
 誉れも何もない。ただ、命ぜられた相手を殺すだけの、人形―――。それが、彼に課せられたすべてだった。
 最初に組織の命令で殺したのは、いつも青年たちに鞭を振り下ろしていた教師の一人だった。あの時の、ナイフを伝わってきた感触に、しかし、最初にひとを殺した時のように、胃の中が空になるほど嘔吐きつづけることはなかった。それどころか、熱いものがからだの中心に宿った。
 仲間だったものの中には、手に伝わる感触の厭さに、毒殺を専門とするものもいた。けれど、青年は、いつしかそれに慣れてしまっていたのだ。
 無感動に、怯え懇願するものや彼に向かって反抗するものを、殺す。それによって快感を覚えたのは最初のうちだけだった。
 醜悪な生きものをこの世からひとつひとつ消していくだけのこと。そう意識することさえ、いつしかなくなっていた。
 青年自身の心の内には、冷ややかな風がつねに渦巻いていた。何も感じるな、何も考えるな。命ぜられたとおりに人を殺すことだけだと、風はいつも囁きつづけている。しくじれば、組織一位の処刑人であろうと、処理される。それは、殺されるということなのか、それとも、脳を弄られて、本当の人形に成り果てるということなのか。ときおり組織の廊下で擦れ違う、どろりと濁った目をした幾人か。その仲間となることに、生理的な嫌悪感がありはしたが、青年はその整ったくちびるの端をわずかにもたげるだけだった。
 今青年が命ぜられているのは、裏切り者の処刑だった。
 小金を溜め込むことに血道をあげているような小悪党が、組織の財を掠め取ったというだけの、よくあることである。小狡い小心者相手の小さな仕事は、本来、彼がかかずらわるようなものではなかった。しかし、あいにく、他の処刑人たちは仕事の最中で、一仕事終えて手が空いているのは、彼だけだったのだ。
 
 国外逃亡をしようとしていた裏切り者に忍び寄る。
 ちらりと頭をかすめたのは、『逃げ切れるはずのないものを』という、相手への蔑みだったろう。
 木枯らしが吹く初冬の公園は閑散として、人気もない。
 ガス灯の青白い光が、間遠に闇夜を照らし出している。数年前の万国博覧会の会場に使われた公園だと聞いた記憶があった。
 あの時も、そういえばここで仕事をしたなと、彼はふと思い出した。しかし、それは、自分が集中していない証だった。いくら面倒くさい片手間仕事とはいえ、何が起きるかわからない。自分の手腕に信頼をおいてはいたが、外的要因というものがある。
(もちろん、見られた場合は、相手を始末しますけどね)
 クスリと、彼は笑いを漏らした。
 別段面白くも何ともないが、気分を変えるにはいいだろう。
 目の前の怯えた醜悪な顔を見下ろした時には、彼は既に無表情だった。
 ナイフを閃かせる。
 返り血を浴びるような愚をおかしはしない。
 彼がいっそ優雅なほどの身のこなしで、最早断末魔の痙攣を繰り返す男を軽く突き倒した一瞬後に、血煙が散った。
 石畳にゆるりと広がってゆく、黒い血が、ガス灯の光をかすかに弾く。
 木枯らしが、通り過ぎる。
 男の断末魔を最後まで確認し、彼がその場を去ろうとした時、小さな声が彼の耳に届いた。
 彼の背後からの、かすかな声だった。
 しかし、神経を研ぎ澄ましていた彼の耳には、とてつもなく大きなものに聞こえた。
(見られた)
 咄嗟の判断で、声のほうを振り返る。
(始末しなければ)
 かすかな焦りがあった。
 ひとの気配には敏感であるはずなのに、そうでなければならない仕事の最中だったというのに、気づかなかったのだ。
   まるでこれまでに屠(ほふ)ってきた人々の血に染まったような赤いくちびるを、彼はギリと噛み締めた。
 あってはならないことだった。
 決して――――。



to be contenued
from 13:52 2002/10/28
up 21:40 2003/07/28

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