少女  4




◆◇◆◇◆



 アデライラの父親は、もともとがドミニクの属する組織の科学者だった。
 若くして名声を得たものの、ねたまれ、落とされた。泥にまみれた名誉は、二度と彼を日のあたる場所へと戻しはしない。転落の日々に世をすね、挙げ句、犯罪組織に引き込まれる羽目になったのだ。
 彼の前に一条の光が差し込んだのは、貴族の娘との偶然の出会いだった。
 世の醜さも苦しみも知らぬ、純粋に育まれた娘は、彼に忘れていたあらゆる物を思い出させてくれたのだ。まさに、彼女は、彼にとってなにものにも換えがたい存在だった。
 繰り返される、ひそやかな逢瀬。
 やがて肌を合わせるようになり、当然、彼女は身ごもった。
 時は、紳士淑女の時代、強い倫理の締め付けに則らず、未婚で身篭った娘は、ふしだらとの謗り糾弾をまぬがれえない。どれほど高位の貴族であれ――否。高位であればこそ、娘の不始末は一族の瑕となるであろうこと、必定であった。
 当然、娘は相手を問いただされた。
 しかし、娘が知るのは、相手の名のみ。
 ますます腹は膨らんでゆく。
 両親も、娘の年の離れた兄も、誰ひとり彼女にあたたかなことばをかけてはくれず、娘は、閉じ込められた自分の部屋で、日々涙にくれるよりほかを知らなかった。
 思うのは、ただ、恋しいひとに会いたいということ。
 ある夜、やっと、娘の屋敷を見つけ出した彼が、娘の部屋へと忍び、ついにふたりはすべてを捨てて出奔したのだ。
 そうして、半年が過ぎ臨月間近に迫っていた娘は、両親の雇った探索者に発見され、連れ戻された。実家で子を産み、その事実を秘されたまま、定められていた許婚の元に嫁がされ、ほどなくしてこの世を去った。
 そうして、娘の産んだ子は、子に恵まれなかった兄夫婦の子として届出がなされた。しかし、愛するものを奪われ、失ったことを知った男が、揺りかごで眠る我が子を攫い、アデライラと名づけたのである。
 爾来、十数年というもの、男はアデライラを連れて、二つの追跡をかわし続けた。

 アデライラの法律上の両親と、男が属していた組織と――――からである。

 アデライラは十五才になった。
 組織でも稀な天才科学者に対する切り札、人質として、待遇自体は決して悪いものではなかった。アデライラくらいの年頃の少女がほしがりそうなものは何でも与えられた。それだけでも、彼女の周囲に満ちている負の感情は、とげとげしさを増す。彼女の世話係という名の監視役のうちのひとりは、彼女とほぼ同年齢で、どうしても、彼女と自分とを比べることをやめられないのだった。そんな空気にさらされつづけて、アデライラは以前は知っていた笑みをほとんど忘れかけていた。
 部屋の中にしか、アデライラの自由はなかった。ただ、歌うことだけが、彼女の慰めだったのだ。
 決まった時刻、世話係と一緒に決められている庭で時間を過ごすのだけが、父親の元に連れて行かれる以外で、部屋から出られる時間だった。
 父親と会うことすら、自由にはならなかった。また、会えるときには、父がそう望んでいるだろう、何も気づいていないふうを装うことにも、すっかり慣れてしまっていたのである。


 瀟洒な屋敷町でもひときわ立派で時を経た門構えの家から、誰が歌っているのか、少女の声が聞こえていた。
 道行くものが立ち止まってはしばし耳をかたむけて、再び歩みはじめる。
 その男が門構えの近くの街灯に背もたれていても、特に人目を惹くことはなかった。
 いつごろからか、この屋敷から聞こえてくるようになった、厳しい冬の晴れ間にも似た歌声は、この町の人々の心を和やかに癒してくれるようになっていた。
 石造りの壁越しに響くピアノの音は、お世辞にも決してうまいものではない。しかし、その拙さをおぎなってあまりあるのが、高く低く自由自在に音階を刻む歌声だった。
 素直な、澄みわたったソプラノが、軽やかに目に見えぬステップを踏む。明るい旋律に、しかし、聞く耳のあるものは、声の主の不安を感じ取ることができるかもしれない。
 突然、ピンと、ピアノが調子はずれの音を最後に、やまった。
 同時に、歌声もまた。
 たちまち、町は、いつもの、物憂げな風情を取り戻す。
 身なりの良い男が、ガス灯の支柱から身を起こす。
 心持ち目深(まぶか)にかぶったシルクハットの影の灰色のまなざしが、歌声の途切れた塀の奥へと向けられた。ほんの刹那、その瞳の奥によぎり消えたのは、鋭い光だった。まるで肉食獣や猛禽類が獲物を狙うのにも似たそれを目にしたものは、ただの一人もいはしなかった。
 そうして男――それは、ドミニクであるのだが――は、館の門をくぐったのだ。

「ドミニク」
 アデライラの声に、苦笑する。
 目が見えない故にだろう、どれほど気配を消していても、暗殺者――それも、組織一の――である自分が、彼女に気づかれなかったことは、かつて一度足りとてありはしなかった。
「アデル」
 ささやきその手を取ると、小さな手は、その内心をあらわすかのように、小刻みに震えていた。





to be contenued
from 13:52 2002/10/28
up 22:14 2004/01/05

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