ゴミ箱の話 |
突然のマイからの電話。今すぐ会いたいというので、私は待ち合わせの喫茶店に出向きました。ちょうど暇だったんですよね。それに、彼女は泣いてるみたいだったから。 イギリスの田園風の、紅茶と手作りケーキが美味しい喫茶店。その窓際の席でマイは待っていました。 私を認めて手を振った彼女に、オヤ? と、思いました。 なぜなら、彼女はたった一晩でやつれてしまっていたからです。青ざめた頬からは少し肉が失せたような気がします。髪の毛もおざなりに梳いただけでしょう。あちらこちらがぴんぴんと跳ねています。そうして、何よりも不思議に思えたのは、彼女がいつも持っているはずのものを持っていなかったからです。彼女がどんなに変人呼ばわりをされても、片時も離さなかったもの。それは、丈が七十センチほどある縦長の円筒形のと、卓上にぴったりの十五センチほどの小さなもの。彼女はいつもその二つを抱えて登下校していたのです。 水を運んできたウェイトレスに、 「ホット・チョコレート」 をオーダーして、 「あんた、どーしたの、ゴミ箱は」 と、訊ねた私に、彼女は、わっと机に突っ伏して泣き出したのです。 周囲の席からちらちらと興味本位の視線が飛んでくるし、居心地が悪くて来るのじゃなかったと後悔したほどです。 やがて落ち着いたのか、彼女はぽつりぽつりと喋り始めました。しかし、しゃくりあげながら彼女が語ったことは、咄嗟に信じられないほど突拍子もないことでした。よりによって、 「に、逃げたの」 と、彼女は言うのです。 「逃げた〜?」 擬人化もはなはだしいと思いましたとも。 「ペットってわけじゃないんだし、つぶれたとか壊れたとかの間違いじゃない?」 「違うのっ! 逃げちゃったの」 タイムリーにもウェートレスが運んできたホット・チョコレートを一口啜り、私は彼女の次の言葉を待ちました。 ※ ※ ※彼女はゴミ箱を持ち歩いていました。あちこちへこんだり傷ついたり錆びたりした、年季の入ったゴミ箱を。 「な〜ん〜でそんなものを持ち歩くかなぁ。変人だって思われちゃうだろうに」 と、知り合ったばかりの頃何度言ったかしれやしません。そのたびに、 「だって、落ち着くんだもん。それにいいじゃないゴミ箱くらい。世の中には箱に閉じこもってる人とかツボを頭に被ってる人とかもいるって聞いたことあるんだもん。持って歩くくらい可愛いものよ」 と、しれっとしているんですよね。ま、そのうちどんな変人でもマイに変わりはないし、ゴミ箱を持ってる以外に変なことをするわけでもなかったので、気にならなくなりましたけど。たとえ、彼女がゴミ箱にゴミを捨てなくてもです。 彼女がゴミ箱を抱えている理由は、言ってみれば童話の『ロバの耳の王様』みたいなものでしたから。 そうですね、ゴミ箱に向かって、腹に溜めておけない愚痴を喋ってるんですよ。それを聞いて思いましたとも。じぃっと黙って我慢して、最終的にプッツンとキレて犯罪を犯しちゃうよりは、まだかろうじてだけど、健康的かもしれないって。それだけ、彼女には人に言えないことがあるんだなと思いもしましたが。それは、誰にでもあることだから、しかたがないかなとも。 そうして、昨夜のことです。 古典の宿題か数Uの宿題を済ませた彼女が背伸びをした時、背後から肩を叩かれたんだそうです。夜中の二時を回っていたらしいですね。だから、怖かったって言ってましたが。 恐る恐る振り向いた彼女の目は点目になったそうです。なぜなら、そこには、子供が線で描いたようなひょろんとした手足を生やしたゴミ箱が立っていたから。目も口もあったそうですが、鼻はなかったらしいです。そうして、 「わしら、あんさんに話したいことがあるんで」 「あるんで」 と、言ったらしいんですよね。 シュールなと思ったそうですが、目の前にあるものは目の前にあると認めるのが彼女の長所のひとつでしたから。すぐに我を取り戻して、 「…話って、なに?」 と、聞き返したんだそう。すると、二つのゴミ箱はどこに耳があるのかわからなかったけど、顔をしっかりと寄せてなにやらごしょごしょと相談しだしたんだって。それはまるで普通だとゴミ箱の中に入ってるはずの紙くずが擦りあってたてるような、カサカサした音だったらしいんですよね。 「まだなの。わたし眠いんだけど」 そうぼやいた彼女に、やがて、 「わしら、あんさんに、待遇改善を要求しよう思て、ほんでこなんなったんや」 「なったんや」 と、言ったらしい。 ゴミ箱の待遇改善?! あまりに非現実的なことに、さすがに彼女も叫びそうになったとか。それ以前に変すぎるって。それを聞かされた私ももちろんのこと、目が点ですよ。 「た、待遇改善…ね。それはともかく、おっきいほうは喋れないの?」 「そや。大男、総身に知恵がまわりかねってゆ〜やろ。なんせでかすぎるんやて」 「るんやて」 でかいほうのゴミ箱が、小さいほうのゴミ箱の語尾を繰り返していたんだそうな。 「なら、ややこしいからでかいほうは黙り!」 ピシッと言い放った彼女に、 「うお〜んうお〜ん」 と、間の抜けた声ででかいほうが泣き出したとか。 「待遇改善を求めるわしらを虐待するんか」 「それと、できればその妙な関西弁もどき、やめてよね。待遇改善を求めるんならそれからよ」 眠いわわけわからんわで、さすがの彼女もキレかけたらしい。邪険に言い放った彼女に、 「そんな、殺生な。方言で差別する気やな」 「うお〜んうお〜ん」 線描の目が彼女を睨んだんだってさ。迫力はなさそうだけどね。 「わたし、眠いんだよね。だから、はやいとこ何をどう改善してほしいのか説明してよね。それと、いいかげん泣きやんでほしいな」 まだ大きなほうのゴミ箱は泣いてたそう。 「あんさんが泣かしたんやろ」 「うお〜んうお〜ん」 不機嫌そうな声で言ったとか。 「わかったわよ。で? なに」 床に胡座をかいて座って腕を組んだ彼女に、 「ええか、わしらはゴミ箱や。ゴミを捨てられるんなら、どんなんでもオーケーや。けどな、あんさん、すこーしもゴミ捨ててくれんやんか。ゴミ箱にゴミ捨てんと、愚痴ばっかこぼしてくれよってからに。なんか、あんさん、愚痴はごみか? ごみなんか? わしらにこぼして、楽しーのんか?? わしらもえーかげんキレるわな」 「うお〜んうお〜ん」 「そんなこと言われても……」 「だけん、見てみいな。わしら、中はぺかぺかしとんのに、外ばっかりぼろぼろになってもうてからに。こんなんほんまのゴミ箱のありかたとちゃう。ぜ〜ったい違うんや! ほんだけんな、もう、わしらあんさんにほとほと愛想尽かしとんねん」 「うお〜んうお〜ん」 「はあ…」 彼女の正気を疑う以前に、彼女の心中察してあまりあるというべきだろうと思うのだが。せっかく気に入ったゴミ箱を大事にしてたのに、いきなりそのゴミ箱に反乱起こされたらねぇ。 すっかり脱力した彼女は、 「そんなこと言うたって、わたしはわたしなりにあんたらのこと大事にしとるんやし」 まるっきり口調がうつってしまったんだって。 「それが違う! ゆ〜とんねん」 「うお〜んうお〜ん」 「うるさいっ! ゴミ箱はゴミ箱! たとえ中に愚痴しか捨てられんかったって持ち主がそう使いたい言うんやから、反抗してどうすんねん。あんたらは、ゴミ箱や! た〜だ〜の、ゴミ箱!! ぐだぐだ文句言うんだったら出てけっ!!!」 はやいとこ眠りたかったんだろうと思えば、彼女の怒りもわからんでもないんだけど。 そうしてぎっとばかりにゴミ箱を睨んだ彼女の目の前で、ゴミ箱の背中に当たる位置くらいから『みにょにょにょにょ〜ん』と、変な音がしたと思えば虫の羽根みたいな透明なのが生えたんだそう。 もう何でもありやなぁと、脱力しながら変な関西弁で彼女は思ったそうなんだけど。彼女が呆然と見守ってる先で、二つのゴミ箱はやおら窓を開けたと思えば、 「ホンなら長々お世話さまっ」 「うお〜んうお〜ん」 そう捨て台詞を叩きつけて、真夜中の空に飛び立ったんだそうだ。 ※ ※ ※「はぁ…それで?」 すっかり冷え切ってしまった、以前はホット・チョコレートだった飲み物はカップの中でどろりと変なものに成り果てている。 「そ、それで、もどって、こな、か、ったの」 彼女はまだしゃくりあげている。 「あ、おねーさん、ハイ・ティーのセット一つ追加ね」 「まじめに、聞いて、ないっ」 「だって、そんなシュールな話本気にしろって?」 それ以外に何が言えるというのだろう。 「本当なんだもん」 彼女は手拭で顔をごしごしと擦る。 「わかった、それが本当のことだったとしよう。で、あんたは、私にそれを聞いてほしかっただけかい?」 彼女の赤くなった目を覗き込んでそう言うと、 「それもあったけど…これからゴミ箱買いに行くのついてきてくれないかなって思って」 いっそさっぱりした表情でそう言った。 ま、それはそうだろう。どれだけ愛着があろうと、ゴミ箱はゴミ箱に過ぎない。たとえ、憑くも神のように手足が生えて顔までできようと――だ。替わりならいくらでもあるのだから。 彼女のもとを去っていったゴミ箱の行く末を思いながら、私は言った。 「わーった。どこへなりとお供いたしましょ」 と。 その後、あの二つのゴミ箱がどうなったか、私は知らない。 おしまい
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あとがき
妙なものを…。
これは、最初高校時代にわら半紙に書いたものの焼き直しなんですが。高校時代のは”マイ”の一人称だったんだけどね。とりあえず、焼き直しということで変えてみました。というか、読み直そうにも、そのプリント用紙が見つからなかったので、記憶にあるところを引っ張り出してきて作り直したというべきか。しかし、たしかに、妙ですね。