暫定 無題  2




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 アルカーデン公爵家のマナハウスに着いたのは、故郷である植民地を発って三月(みつき)が過ぎようとするまだ寒さの残る春先のことだった。
 わたし、ケイティ・マクブライトがウィロウ・アルカーディさまの後妻になることが決まってやがて半年になろうとしていた。
 宝石の鉱山を多数持つ大富豪マクブライト家の娘とはいえ末子であるわたしが、まさか本国の公爵、金銭的に困窮しているわけでもない、そんな相手の妻になることができるなどと、考えたことはなかった。
 十九になろうという私が後妻とはいえ、正妻なのだ。
 マクブライトの娘ではあれ父親と血の繋がってはいない後妻の連れ子であるわたしには、信じられないほどの幸運だった。
 実際、年の近い姉にはかなり妬まれた。
 去年、本場の社交界を経験しておくようにと云われ旧大陸に旅行に出かけた際、招待された夜会で偶然出会った魅力的な男性。それが、アルカーデン公爵ウィロウ・アルカーディさまだった。
 王家の血を引く、まぎれもない青い血を連綿と今に伝える公爵さま。
 お歳はわたしよりも二十近くも上だけれど、どこか物憂げな雰囲気をたたえた青白く高貴なお顔に、はしたないけれど一目でときめいた。
 綺麗に整えられた艶めく黒髪が一筋その秀麗な額に落ちかかる。そのさまさえもが匂い立つようで、親しくなった令嬢たちと同じくわたしの視線も、彼から離れることはなかった。その物思わしげな夜の空のような濃紺の眼差しに映されてみたいなどと、夢物語を思い描かずにはいられなかった。
 物知りな令嬢が、あれがアルカーデン公爵であると得意げに説明してくれるまで、夢物語は続いた。
 独身とはいえ公爵さまと聞いて、砕け散ったけれど。
 ただの富裕層の娘と、高貴な血を受け継ぐ公爵さまとでは、逆立ちしても、ロマンスなど生まれるはずがない。女性向けの恋愛小説などではないのだから。なにより、アルカーデン公爵家は、お金に困っているわけでもないのだ。それを鑑みれば、夢物語は夢物語に過ぎなかった。

 それが婚約などとなったのは、何度かの偶然の巡り合わせのおかげだったのだと、わたしは思っている。

 故郷に戻った後に、なんと、公爵さまから突然の使いが父のもとに訪れて打診されたのだそうで、応接室でお使いと相対して直に聞かされたわたしはあまりのことに気を失ってしまったほどだった。
 もちろん、断ることなどあり得ない。
 思慮深げで穏やかそうな、そんなウィロウさまの元に嫁ぐ日を、わたしはゆびおり数えて待ちわびる日々を楽しんだ。

 そうして、もうじき、それが現実となるのだ。
 打診に諾と答えてから、わたしの元に公爵家から遣わされたのは、公爵家の遠縁にあたるという年嵩のシャペロンと、新しくわたしのために雇われたというレディース・コンパニオンのエドナだった。母や義父それに彼女たちと相談して、本国に送るものを準備した。そうして訪れた出発の日、気難しそうなシャペロンと没落貴族出だというエドナの三人でわたしは懐かしい家を、故郷を、後にしたのだった。長く退屈だった二月半にもわたる船旅を無事に終え、港に迎えに来ていた馬車に乗り鉄道を走る列車を乗り継ぎ、半月。
 屋敷に着いた時点で、わたしはウィロウさまの妻となる。
 いろいろとお世話になったシャペロンとは屋敷に一泊してお別れになる。令嬢ではなく夫人となったわたしにシャペロンは必要ではないのだから。
 同じくコンパニオンのエドナは、そのまま屋敷に部屋をもらって、わたしの友人として対偶されることになるのが決まっていた。
 馬車が荘園館(マナハウス)の門扉をくぐると、そこに広がるのは鬱蒼として薄暗い森だった。
 どこまでも続くと思えた馬車道の果てに、アルカーディ家のマナハウスが現れたのを見た瞬間、わたしは冷水を浴びせかけられたような心地を味わった。
 けっしてこの季節のイギリスの気候のせいではない。
「ミスルトゥ館と申しますよ」
 共に旅をしてきたシャペロンがそっと教えてくれた。
 けれど、その威容は、決して館などではない。
 それは、城だった。
 それも、異形の。
 いくつもの尖塔を持ち空にそびえる灰色の城には、壁一面に口を大きく開いて天を呪うかのようなガーゴイルの群れが取り付いていたのだ。
 古めかしい飴色に黒い錬鉄の鋲や横木の渡った両開きの木の扉が内側から開かれる。軋む音がしないのが不思議だった。扉の奥に現れた闇を見て、わたしは帰りたいととっさに思った。
 あれほど嫁ぐ日を心待ちにしていたというのに。
 お会いできる日を指折り数えていたというのに。
 ウィロウさまは迎えに出てきてくださらない。
 港からここまでの旅程に付き添ってくれたシャペロンとエドナとにどうぞと手で促されて、馬車を降りたわたしはひとりでマナハウスの扉に向かわなければならなかった。
 開かれた扉をくぐると、天井から降り注ぐステンドグラスの色彩の中にずらりと並ぶお仕着せの使用人たちがわたしを待ち構えていた。その数は、百人をくだらないのではないだろうか。
「おかえりなさいませ、奥さま」
 思いもよらないことばで声さえも揃えて歓迎され、奥から現れたウィロウさまに、ようやくわたしの心に芽吹いた不安は押しやられた。
「レディ・アルカーディ」
 穏やかな声で、いささか他人行儀に呼ばれて、少しがっかりしたけれど。
 けれど、ここはわたしがこれまで暮らしてきた植民地ではないのだと、気を取り直す。
   ここは因習深い、旧大陸なのだから。
 手を取られて、甲にくちづけられる。
 それだけで、陶然となった。
「今日からここがあなたの家になる。ゆっくりとでいいので馴染んでいってほしい」
 そう言いながら、わたしのウェストに手を回した。その瞬間にほのかに立ちのぼったウッディな香水の匂いに、ああ、ウィロウさまのところに着いたのだわ、ウィロウさまに嫁いだのだわと、感動に心臓が震えた。
「こちらへ」
 天井からの光があってなおも薄暗いホールを大階段へと促された。
 そうして、わたしは、その少年に気づいたのだ。
 少年というには少し大人びて見えたが、今年十九歳になるわたしよりは、年下に見受けられた。
 階段の踊り場に立つそのひとの印象は、白だった。
 引き結ばれたくちびるの朱はけざやかに目を惹いたけれど、それでも、白だった。
 立ち止まったわたしの視線の先を確認したウィロウさまが、
「アークレーヌ。息子だ」
と、教えてくださった。
 息子がいるということは知っていた。
 けれど、その相手がわたしと幾ばくも歳が変わらないということを、わたしは愚かにも深く考えてはいなかった。
 それでも。
 彼は、わたしの義理とはいえ息子になるのだ。
「ああ。あなたが」
「アークレーヌ。挨拶を」
 階段を降りてきた少年、アークレーヌに手を差し出す。
 しかし彼は、
「はじめまして。義母上」
 わたしの手をとることもなく、そういうと頭を下げて、引き返していったのだ。
 あまりといえば、あまりの態度に、わたしはあっけにとられていたのだろう。
「しかたのない。照れているのだろう」
 ウィロウさまの言葉に我に返ったわたしは、
「これからあなたが生活をする領域に案内させよう。あなたは南の塔のある区域で暮らすことになる。ハロルド」
「はい。旦那様」
「彼はこの館の家令だ。名をハロルド。ハロルド、レディを部屋へ案内してくれ」
「では、晩餐までからだをやすめてくれ」
 わたしは物足りなさを感じながらも、ウィロウさまの指示に従ったのだ。



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