EYES




 まさか、そんなことを条件に出されるとは、フランツは思わなかった。
 目の前で笑んでいるのは、得体の知れない、男である。
 モンテ・クリスト伯爵と自称する、富豪。
 青い体色に、長くうねる黒い髪、顎に蓄えた、先細りの髭。秀でた額に、細く整えられた、眉。右目の赤と、左目の金色が、フランツを、不安に陥れる。
 昼間、ルナのカーニバルのクライマックス、招かれた、公開処刑のギロチンを臨む窓で、彼がささやいた声を、フランツは記憶から消すことができなかった。
 低く穏やかな声で、彼の友、アルベールを誘惑するさまに、フランツは、全身鳥肌立ったのだ。
 アルベールが、なにものにも換えがたい親友が、まるで古い伝説の蛇に魅せられた処女のように見えた。アルベールの、時折り耐え難さに腹が立つほどに無垢なその心が未知の男に絡め取られてゆくのを術もなく、ただ、手をこまねくよりなかった。
 罪人とはいえ、ひとの命をもてあそぶ、その冷ややかさは、いまだなにものでもない親友を、魅了し、自分が断罪を下したという恐怖に、慄かせたのだ。
 カーニバルの熱気がいまだ覚めやらぬ土地で、気まずく別れたその数時間後、まさか、親友がその死の運命から救った男の手によって、絶望へと突き落とされたその不条理に、フランツは、ことばもなかった。
 かつて、幼いフランツのひとことで、父が死んだ。―――それは、錯覚でしかなかったが、父が出かける間際に投げつけた稚いひとことが、父を帰らぬ人にしたような、罪悪感は、記憶の奥でいつもは眠っている。その苦い記憶が、フランツをせっつき、そうして、伯爵のもとへと、恥も外聞もなく、やってきたのだった。
 五千万デュカーティ――それは、いくら貴族の子弟とはいえ、右から左へとおいそれと動かせる額ではない。しかも、ここは、旅先。その上、旅は既に終盤を迎えている。手持ちの金は、心もとない。パリから入金してもらう手も、磁気嵐のせいで、費えてしまった。
 しかし、後数時間で用意しなければ、アルベールは、ルナで恐れられている盗賊、ルイジ・ヴァンパに、殺されてしまうのだ。
 同宿の誼――というだけの、しかも昼間、不適切な態度をとってしまった自分に、彼は、金を貸してくれるだろうか。
 そう思う反面、フランツは、彼は、貸してくれるだろうと、確信していた。
 モンテ・クリスト伯の、自分達、いや、アルベールに対する態度には、何か、思惑があるにちがいない。そう、自分は、一般的な男爵に過ぎないが、アルベールは、知らないものはいないだろう、全宇宙に名だたる、勇猛な、モルセール将軍閣下の息子なのだ。
 それでも、昼間の印象を拭い去ることはできず、最後の最後に、フランツは、彼の泊まる、ホテルの階までやってきたのだった。
 そうして――――
 穏やかに承知してくれた伯爵は、その同じくちびるで、交換条件を、持ちかけてきたのだ。
 それは、あまりに、思いもよらぬものだった。
 伯爵は、ただ、穏やかに笑んでいる。しかし、その双眸は、奥になにかを隠しているようだった。
「お、れが、諾と言えば、貸して下さるのですね」
 ことばが震えるのを、抑えることはできなかった。
 フランツは、頭を振り、赤と金の双眸を、ひたと見据えた。
「わかりました」
 アルベールを失うことなど、できない。
 このうえなく大切な、幼馴染なのだ。
「今、ここで、ですか」
 時間がないと、焦る心地を抑えて、フランツは、剥ぎ取るように、着衣を脱いだ。

 そう、それは、彼、フランツ自身だったのだ。


おわり





あとがき
 ネタばれアリアリです。
 フランツ、萌えですね。どうもこういうタイプが好きらしい。日記に一気書きしたのをサルベージ。
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