赤屍さんの休日


 人間にはある程度の休息が必要だ。
  息抜きといった類の、ほんのちょっとした休息。
  心身機能の回復のための睡眠も休息の一つだ。
  そして、24時間、自分の思うように過ごせる休息を、休日
  という。
  
  その日、赤屍蔵人の休日は4冊の本から始まった。

 『慢性骨髄性白血病治療症例集』
 『バトラー・神経系モビライゼーション』
 『四肢・脊柱の機能解剖』
 『神経発達学的治療と感覚統合理論』

  わざわざ原書のまま取り寄せたそれらを、全く躊躇せずに読
  んでいく。
  無論辞書など使わず、である。専門用語の羅列された文字の
  上を滑る目線は、一度も動きを止めることがなかった。
  自らを医者だと公言する赤屍は、医学に関しての知識と興味
  は備えているものの、そこに命を預かる者の熱はない。
  知りたいのは人の知識の、或いは人それ自体の限界。
  人を救う術ではない。
  赤屍は読み終えた最後の一冊を無造作にテーブルに置いた。
  黒い革張りのソファと、重厚ではあるが手の込んだ細工もな
  いテーブル。それだけしかない部屋の中は、当たり前だが、
  酷く殺風景だった。
  光を遮断するカーテンは暗い青色で、素っ気無さだけが強調
  される。
  居住空間としては申し分のない設計であっても、主にその意
  思がなければ無用の長物である。
  赤屍は腕の時計を見た。
  まだ午前11時を回ったばかりだ。
  赤屍にとって休日は大した意味がない。現に今日も、その価
  値は本4冊分だった。
  そして読み終えた今では、0に等しい。
  問題なのは、価値が0あっても時間は規則正しく流れ続ける
  という点である。明日が始まるまで、残りの時間をどう過ご
  すか。
  赤屍は思案した。しかし長くではない。
  彼はゆっくりとした手つきで寝室へと歩き、そこにかかって
  いる仕事用のコートに手を伸ばした。
  内ポケットを探れば、直ぐに指が望みのものに触れる。
  それは携帯電話だった。


 ……………………・……………………………………………………


 「お届けものよ」

  扉が開けられて早々、工藤卑弥呼は機嫌の悪さを眉間の皺で
  表わしていた。目つきもかなり薮睨みである。

 「流石はレディポイズンですね。仕事が早い」

  大して赤屍はいつも通りの笑顔。

 「馬鹿馬鹿しくてやってらんないわ。どうしてあたしがこんな
  モン運んで来なくちゃならないのかしら」

  そう言って卑弥呼は赤屍の手に“こんなモン”を押し付けた。
  大きめのジュラルミンケース。中身はわからないが、箱の開
  閉部分には『取扱注意』とシールが貼られている。

 「これは…」

  赤屍が不審げに眉をひそめるのを知って、卑弥呼は相手が何
  を言わんとしているかを悟った。

 「言っとくけど、分解したとかそういうことじゃないからね。
  ほら、あの、ふざけたサイズ。ぬいぐるみみたいな。あれの
  まま運んで来たのよ。疑うんなら開けて確認しなさいよ」
 「それでは、お言葉に甘えて」

  卑弥呼を玄関先に待たせたまま、赤屍はケースを手に奥へと
  消えて行った。しばらくして戻ってくると、
 
 「確かに依頼した品のようです」
 「当然よ、あたしを誰だと思ってるのかしら」
 「報酬は明日にでも銀行口座の方に。それでよろしいですか?」
 「OK。じゃあね」

  素っ気無く扉を閉めかけて、褐色の肌をした少女はくるりと
  振り向いた。

 「高級マンションで優雅に休暇ってわけ? 良いご身分ね、
  Dr,ジャッカル。羨ましいわよホント」

  珍しく捨て台詞を残して去るほどの不機嫌の理由が、蛇眼使
  いの少年との諍いにあるとは赤屍には知る由もない。
  折角映画のタダ券を理由誘い合わせて出掛けたのに、些細な
  ことでまた喧嘩。そこへ赤屍から電話がかかって来たのだ。
  自棄になって勢いで受けてしまったのは自分なのだから、赤
  屍に当たるのは見当違いではある。 
  しかし幸か不幸か赤屍は全く動じない。日頃の行いが行いだ
  けに、罵詈雑言の類は飽きるほど浴び慣れている。
  顔色一つ変えずに踵を返した赤屍は、ケースを置いた居間へ
  と足を向けた。
  テーブルの上。読み終えた本の隣にケースはある。
  赤屍はためらいもなくケースに手をかけた。
  パチンと音がして蓋がゆっくりと開き、中身が明らかになる。
  卑弥呼が“こんなモン”と称した“取扱注意”な荷物。
  それは寝息を立ててケースの中に丸くなっていた。

 「…………」

  赤屍はじっとそれを凝視した。 
  一見すると生物というよりはぬいぐるみに近いフォルムの、
  しかし呼吸をしている点で確かに生きている物体。
  それは天野銀次、という名前の人間だった。
  “タレる”という特技の性で、ケースにも収まる程コンパク
  トな体型になっている少年は、自分が今どういう状況にある
  かも知らず、ただくうくうと眠りこけている。
  赤屍の目が細まった。

 「銀次クン」

  呼んでみても勿論返事はない。
  しかし赤屍は満足そうに笑みを浮かべ、タレ銀次の手をそっ
  と摘まんで持ち上げた。
  ぷらん、と空中で2頭身がぶら下がる。
  少し振ってみれば、完全に弛緩した体は赤屍の手の動きに合
  わせてゆらゆらと揺れる。
  赤屍はクスクス笑った。楽しいらしい。
  普段会えば逃げるか避けるかされるのに、今日はこんなに近
  くでスキンシップが楽しめる。

 「………これは」

  卑弥呼には銀次をここまで運ぶよう依頼しただけだ。
  銀次がおとなしく運ばれるとは思っていなかったが、どうや
  ら卑弥呼は得意の香を使ったらしい。
  その効目が未だ働いているおかげで、好きなだけ銀次と戯れ
  ることができる。
  両手で包み込むように頬を撫でてみたり。
  金の髪の感触を存分に楽しんだり。
  テーブルに乗せて上に本を被せてみたり。
  逆さにしてバランスを取ってみたり。
  いささか彼らしからぬ行動は、かなりの上機嫌の証である。
  それでも銀次は起きない。おかしなポーズを取らされても、
  少しだけぐずるように唸るだけで目を覚ます気配はなかった。
  その童心の如き眠りに、赤屍は当初の予定を翻した。
  退屈を紛らわせるため銀次と二人で過ごすのが本来の目的だ
  ったのだ。
  赤屍が銀次を気に入っていて、銀次が赤屍を怖がっているの
  は百も承知の上。騒ぎになればそれはそれで面白い。
  そんなことを考えていたのだが、今の銀次を見ていると無理 
  に起こす気にはなれなかった。
  と、なればどうするか。
  赤屍はソファに横になると、銀次を抱きかかえたまま体の力
  を抜いた。
  腕から伝わる柔らかい温かな感触が心地良い。
  一人では午睡など滅多に取りはしないが、銀次と一緒ならば
  悪くないと微笑む。
  合わせた胸に微かに響く鼓動。
  その規則正しいリズムに集中するように、赤屍は目を閉じた。


……………………・……………………………………………………


 「きゃーーーーーっっ!!!!????」


  絹を引き裂くような悲鳴である。
  それが実際どんな種類のものかはともかく、高音の叫びを耳
  元で聞いた赤屍の目ははっきりと覚めた。

 「な、ななな、あ、あか、赤屍さんっ、な、何で、何で!!!???」

  恐ろしく未完成な日本語で銀次はバタバタともがいている。
  その逃走をしっかりと腕で阻止しているのは、赤屍の狩る者
  としての本能であったかもしれない。

 「こんにちは銀次クン。おはようございます、と言った方がよ
  ろしいですか?」

  どちらでも良い。もしくはどちらも良くない。
  それよりまずこの状況を何とかして欲しいというのが銀次の
  脳味噌一杯の願望だった。
  いつの間にか赤屍の腕の中。
  いつの間にか見慣れぬ部屋。
  
 「えーと、えーと………???」

  焦りながらも状況を把握しようと一生懸命な銀次に赤屍は微
  笑するだけ。
  
 「確か俺、ホンキートンクにいて、そんで卑弥呼ちゃんが来て、
  駆け寄った途端に眠くなって……そんで、そんで」  

  この言い方から察するに、卑弥呼は出会い頭に睡眠香をかけ
  たらしい。その後直ぐに赤屍のマンションへ来て銀次を置い
  ていった。
  完璧かつ迅速な仕事っぷりである。八つ当たりだろうが何だ
  ろうが、女が冷酷になるとおそろしく有能になる良い見本だ。

 「私が卑弥呼さんに依頼したんですよ。貴方をここまで運ぶよ
  うに」
 「こ、ここって……?」
 「私の自宅です」
 「!」

  聞いた途端に銀次はピタリと壁に貼りついた。
  驚きを表わしたのと同時に、本能的な危険を感じて距離を置
  こうとしたのだった。ついでにタレモードも解除されている。
 
 「どうかされましたか、銀次クン」

  今更こんな台詞もないものだ。
  もう日も落ちかけた薄闇の中、赤屍の表情は読み取りづらい。

 「な、な、何ですか。何がしたいんですか赤屍さん。俺をこん
  なトコへ連れてきてどうするんですか」
 
  まさか闘い合いたいなんて言わないよね、と銀次は冷や汗を
  流している。
  もしそうでなくても、それ以外での赤屍の目的が判らない。
  幾つか想像はできても、全てが嬉しくないものだった。
 
 「今日は休日でしてね、退屈なんですよ」
 「そんな理由で人を誘拐しないで下さいー!」
 「ですが、普通にご招待しても来てはくださらないでしょう?」
 「う……そ、それは否定できないのです」

  銀次でなくとも、殺人マニアの自宅に招かれていそいそ出向
  く輩はいない。
  仮にいるとすれば、自殺願望者か警察関係の人間だろう。

 「心配しなくても危害を加えるつもりはありませんよ。今回は、
  ね」
 「何だか、あんまり、信用できません……」
 「そうですか? お望みでしたら、私の体内の武器を全て出し
  ておいても構いませんが。それなら安心でしょう?」

  赤屍の武器。噂では百八つ。
  それでなくともメスは大量に隠し持っている男である。
  銀次は少し考えてフルフルと首を振った。身の安全は大事だ 
  が、部屋中武器だらけの光景はかなり怖い。
 
 「…………それはそれで後片付けが大変そうなので止めてくだ
  さい。お願いします」
 「では、どうすればよろしいですか?」

  赤屍は僅かに首を傾けた。
  いつもの薄氷を被せたような態度ではなく、極めて真摯に。
  銀次は少しだけ後悔し始めた。
  赤屍は怖いが親切な面もある。気前がいいから奢ってもくれ
  るし、最近では食べている間にいなくなっていることも多い。
  「きっと銀次さんを怖がらせないように気を遣ってるんです
  よ」と夏実に言われ、何となくそんな気もしてきた頃だった。
  それに、赤屍は冷徹ではあるが卑怯な真似はしない。
  大事なことを黙っていたり、聞かれなければ答えなかったり
  するが、基本的には嘘を吐かない性質のようである。
  そういうことにも、最近気が付くようになってきた。

 「………ほんと〜に、大丈夫ですか? 俺にメス投げたり、剣
  で斬りつけたりしない?」
 「しませんよ」
 「本当に?」
 「ええ、本当に」     
  
  赤屍が艶然と答えた。
  その笑みがいつもより柔らかかったので、銀次はまた少し警
  戒を解いた。
  ちょっとだけなら信用してもいいかな、とにじり寄るように
  赤屍に近付いてみる。
  そして、ふと、気が付いた。

 「あれ…赤屍さん、裸足?」
 「今日は休日なのでね。先ほども言いましたが」

  白いシャツと黒いスラックスはそのままだが、ネクタイはし
  ていない。当然だが帽子も被っていない。それに素足とくれ
  ば、普段の赤屍と比べて随分と寛いだ印象を受ける。
  銀次は改めて赤屍が人間だという事実を認識した。
  そうすると、何だか嬉しくなった。妙に親近感も感じた。
  少しはにかんだような銀次の表情の変化を、赤屍は不審に思
  った。しかし、その様子は悪い気持ではなかったので黙って
  いた。
  もうすっかり暗くなった部屋の中。二人は影に同化したよう
  に立っている。

 「…赤屍さんの部屋って、何にもないですね」
 「そうですか?」
 「うん、でも広くっていいな。俺、こういうの好きです」
 「気に入っていただけて嬉しいですよ」
 「あ、でも赤屍さん。俺に何か用事があったんじゃないんです
  か? 人殺しとか闘いとかは嫌だけど、それ以外で俺にでき
  ることなら……その、赤屍さんには奢ってもらったりとかし
  てるし………」 
 「……それは、もういいんですよ」

  もともとはさして理由もなく、銀次がいれば楽しいだろうな 
  と思っただけなのだ。
  いつも元気の塊のような銀次と一緒に過ごせれば退屈も紛れ
  るだろうと。
  しかし実際に眠っている銀次を見れば、起こす気も失せてし
  まった。
  そこで一緒に眠ってみることにした。
  午睡など久しく経験していない上に眠りの浅い赤屍だったが、
  自分でも驚くほど深く眠ってしまったのは、やはり腕の中の
  体温の性か。
  結果として赤屍は酷く満足していた。
  いつもなら、ただ暁を待ち望むように、ひたすら時間が過ぎ
  るのを待つだ
  けだったろう。
  そういえば、卑弥呼に電話をかけていた時にふと思いついた
  ことがある。 
  これも単なる思いつきだが、おそらく悪い考えではない筈だ。
  特に今なら。
 
 「銀次クン、外へ出てみませんか」
 「え、外?」
 「ええ。多分、気に入っていただけると思いますよ」

  赤屍がベランダへ続くガラスの扉を開けた。
  銀次は少しためらったが、恐る恐る足をそちらへ向けた。
  ベランダは冷たいコンクリートでできていた。部屋に相応し
  い広々とした空間には、やはり何も置かれていない。
  だが銀次には最早どうでも良いことだった。
  その目は外へと釘付けになっていた。

 「! わぁ…!」

  星の海原のような光景だった。
  眼下に広がるのは、巨大な街の灯り。それも色とりどりに光り輝き、天上の星に負けまいとするかのように己が光を誇っ
  ている。
  
 「落ちないで下さいね」

  手摺から身を乗り出して無心に光を見詰める銀次に、赤屍は
  そっと声をかけた。
  逃げられないように少し離れた場所で、しかし本当に落ちそうになった時には直ぐ支えられるような距離を取って。

 「凄いや……」

  銀次は嬉しげに呟いた。これと似たような景色を前に見たことがある。
  無限城にいた頃、自分の力が及ぶ区域で最も高い塔に登った。
  そこから見た外の世界の灯り。
  あの時は羨望と孤独が胸を焦がした。
  だが今は、灯りの中にいる。外からではなく、内から見る光は美しかった。
  
 「気に入っていただけましたか?」
 「はい!」
 「そうですか…それは良かった」
 「赤屍さんはいつもこんな綺麗な景色が見られるんですね。いいなぁ…」
 「今日が最後ですよ」
 「え?」
 「明日には引き払います。一つの処に長く居るのは何かと面倒なので」

  先日の仕事で、同じ階の住人に返り血を浴びた姿を見られたのは、逆に良い潮時かもしれない。
  シャツに2・3滴ついた飛沫だったが、相手の顔色が少し変わったのは見てとれた。深夜のことだし、こういう高級マンションに居を構える類の人間はとかくトラブルを避けたがる。
  外に漏れる心配はまずないだろう。
  無論それは銀次に言わない。
  
 「この景色は私も気に入っていましてね。貴方に見せて差し上
  げることができて、良かった」
 「赤屍さん……」

  明日からはまた仕事。
  新たな仮宿も用意してある。あの死神の衣装に身を包んでここを出て行く時、この部屋は完全に主を失うのだ。
  赤屍はそれを名残惜しく思う自分に気が付いていた。
  多分、銀次の性だろう。
  今、隣で地上の光を瞳一杯に映している少年。
  彼がいると、何故かそれだけで周囲の雰囲気が暖かくなる。 
  まるでこの部屋が本当の居場所のようにさえ錯覚する。
  
 「新しい部屋に、またお招きしてもよろしいですか?」

  口に出した言葉は殆ど無意識だった。
  銀次は一瞬驚いた顔になるが、少しの躊躇いの後に遠慮がちに頷いた。

 「でも、その、今度は誘拐しないで欲しいです…」
 「努力しますよ」

  答えた赤屍は微笑した。
  次の休日はまた楽しいだろう。
  赤屍は、今日初めて、休日の有意義な過ごし方を知ったような気がした。




up 10:07 2003/08/16

あとがき

本条さまよりのコメント
  すいません。こんな駄目駄目です。申し訳ない。
  赤屍さんは何がしたいのでしょうか。書いていて私が判らないのだから、きっと誰にも判らないのでしょう。ラブラブチックな二人を書こうと思っていたのに、この有様。
  それでも「赤屍さんはオフの時は絶対に裸足だと思う」点と、「そこはなとない愛」の点、この2点はキープしました。
  なので石を投げないでください。そこの人、それは石ではなく岩です。当たれば死ぬので止めてください。
  そんなこんなで魚里様のリクエスト「赤屍さんの休日」でした。精進します。

 本条さまのサイト「無名魔術師」で、3000番を踏んだ記念に、頂きました。リクエストの内容は、赤屍さんの休日。捉えどころのないリクエストで、スミマセンでした。でもでも、とーっても素敵なストーリーをいただけて、とっても嬉しい魚里なのです。
 最悪な運び屋でシリアル・キラーな赤屍さんが、銀ちゃんと一緒にいるだけで子供っぽいリアクションを見せるところなんか、素敵ですよね。
 裸足でノーネクタイ、でもって垂れた銀ちゃんの手を持ってビローンと揺らしてるシーン……返す返すも私に絵心があれば書くのに! 悔しいです(>_<)
 本条さま、素敵なお話をありがとうございました(^o^)丿
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