森から悪魔がいなくなったいくつかの理由



深い森の中に、できそこないの悪魔が棲んでいました。
悪魔の名前は、銀次といいます。
優しくなつっこい性格のせいで、誰の魂も取れず、いつもいつもお腹を減らしていました。 それでも生きていられたのは、悪魔としては失格の、その明るく素直な性格のおかげでした。
森の中の生きものたちは、みんな、銀次が大好きで、困っていると助けてあげていました。木の実や草の実、時には自分が仕留めた獲物を分けてあげたりするのです。そうすると、銀次は、ドキドキするくらいきれいで可愛らしい全開の笑顔をして、彼らにお礼を言いながら抱きついたのでした。
銀次のほうはといえば、みんなの優しさに感謝しきりでしたけれど、同時に、悪いなぁとも思っていたのです。
森のいきものたちの生活は、楽しそうではありますが、どちらかと言えば、サバイバルに近い毎日でした。なのに、ほんのちょっとしか食べ物が見つからなくても、彼らは銀次にくれようとするのです。
だから、銀次は、なるべく自分で食べ物を得ようと努力をしていました。
なんと言っても銀次の一番のご馳走は、魂でした。森の生きもの達が恵んでくれたもので、たしかに空腹は癒えます。しかし、それは、あくまで空腹が癒されるだけのこと。
悪魔にとって必要な力の源にはならなかったのです。
何の魂が彼にとって一番の力の源となるのか―――生まれた時には、既に、知っていました。
――――それは、人間の魂です。
そうして、今日も、なんとか人間の魂を手に入れようと、銀次は人里に出かけたのでした。


◇◇◆◇◇


「どーしよっかぁ」
都会の雑踏をあちこち歩き回りましたが、あんなにたくさんの人がいるというのに、誰ひとりとして銀次に魂をくれそうな人はありませんでした。
すっかり疲れてしまった銀次が建物の壁に背中を預けて、ずるずると道にへたり込みます。
朝から何も食べていないので、すっかりお腹が減ってしまいました。
森で生活をしている銀次には、もちろんのこと一枚のコインとて持ち合わせはありません。
「ああ、腹減った〜」
オレってやっぱり悪魔失格だ―――と、脱力してその場に垂れ流れていると、不意に、
「悪魔」
と、声が降ってきました。
「はへ?」
投げやりに見上げると、ナイスバディのおねえさんが銀次を見下ろしています。
「あなた、悪魔でしょ」
赤いくちびるが、にっこりと微笑みます。
「いやだなぁ―――おねいさん。違うに決まってるでしょ」
しかし、
「そう?」
と言いながら彼女が取り出して銀次の目の前に差し出したのは、
「ぎゃあっ」
銀の十字架でした。
垂れ状態から一気に通常のからだに戻った銀次が、背中を建物の壁に預けて立ち上がろうともがきます。
どんなに優しくてもなつっこくても、悪魔は悪魔ですから、十字架や聖水は怖いのです。
しかも、おねえさんは、聖水がはいっているらしい容器を、十字架を持っているのとは反対側の手に持っています。
「お願いがあるんだけど」
「ななななんですか、なんですかぁ」
「きいてもらえます?」
「ききます。ききますから、だから、十字架をしまってくださいよー」
泣きながら叫ぶ銀次に、
「そう。ありがとう」
と、やっぱり笑顔で言うおねえさんでした。
「で、おねいさんのお願いってなに?」
さっきの場所からさして離れていない喫茶店の隅の席で、銀次とおねえさんは向き合っています。
銀次は、さっきのお詫びとばかりにおねえさんが注文してくれたサンドイッチやカレーライスを、これでもかとぱくついています。
「悪魔を召喚して欲しいのよ」
「しょーかん?」
「呼び出して欲しいの」
「オレも悪魔だけど?」
「あなたじゃダメ。見るからに下っ端って感じですもの」
「それはないですよ〜」
スプーンを持ったまま垂れた銀次に、
「わたしが呼び出して欲しいのはね、上級の悪魔なの」
と、つづけます。
「ベルゼブブさまとか、アシタロテさまとか?」
「そうよ」
「そんなの、オレじゃ無理です〜」
やっぱり垂れている銀次に、
「叶えてくれたら、わたしの魂あげてもいいわよ」
「ほんとですか」
がばっと起き上がった銀次の瞳は、きらきらと輝いています。
(たましい、たましいが食べられる。ああ、どんな味なんだろう。きっときっと、とーっても甘くて、とーってもこってりとしてるんだろうなぁ)
うっとりと天井を見上げている銀次は、おねえさんのことばの矛盾には気づいてはいません。
銀次に魂をあげて上級の悪魔を呼んでもらったら、上級の悪魔には、いったい何を代償として差し出すというのでしょう。
「ええ。わたしの魂は、あなたにあげる。だから、呼び出して」
「わかりました」
テーブルの上いっぱいに並んでいた注文の品を、一瞬にして平らげ、銀次は立ち上がったのです。


ここは、森の中の、銀次の棲み家。一見きこり小屋のような風情の、掘っ立て小屋です。しかし、一歩中に足を踏み入れれば、目を見張ることでしょう。
雑然とした室内の壁という壁に作りつけられた書架には、ありとあらゆる魔術に関する文献が所狭しと並べられているではありませんか。
「そこに座って待っててね」
銀次が本の背表紙を一個一個確かめてまわります。
「悪魔なのに、悪魔を呼ぶのに本がいるの?」
もっともな質問です。
えへへと笑って、銀次は、
「オレより上級の悪魔に来てもらうんだよ。特別な呪文じゃなきゃダメなんだ」
と、照れながら答えたのでした。


小鳥のさえずりにおねえさんは目覚めました。
しかし、決して爽やかな目覚めではありません。
椅子に座ったままで寝てしまったので、からだのあちこちが強張り、あまつさえ首を寝違えてしまったようです。
何でこんなところにいるんだろう――と寝ぼけた頭で考えます。
昨日の出来事を思い出しかけたときです。
「おねいさん。あったよ。やっと見つけたからこっち来て」
どうやら徹夜で文献を調べていたらしい銀次が、彼女の腕を引っ張りました。
雑然と散らかっていた床の上の諸々を片隅に押しやるやり方で片づけてできたスペースに、銀次が魔法陣を描いてゆきます。
やがて、魔法書を片手にではありますが、爽やかな朝に不釣合いな陰気な呪文が銀次の口から紡がれはじめました。
やっと、やっとなんだわ―――と、おねえさんも殊勝な面持ちで、手を胸の前で握りしめています。
おねえさんには、悲願があるのです。
銀次が両手を天に向けて勢いよく突き出します、と、銀次の勢いに煽られたのか、両脇に据えてあるろうそくの炎が勢いを増します。そうして、ふっと突然に消えてしまいました。
銀次の呪文も終わりました。
静かになった小屋の中、ちゅんちゅんと、小鳥がさえずっているのが聞こえてきます。
と、魔方陣の中央から、もくもくと白い煙が噴出したと思うと、小屋一面に充満してゆきました。
おねえさんが、期待に両手を捩ります。 
どれくらい経ったでしょう、あれほど充満していた煙が、どこへともなく突然消えたと思えば、魔方陣の只中に、黒衣の男性が現われているではありませんか。
長く黒いコートをからだに巻きつけ、つば広の黒い帽子をかぶっています。
なんとなく、イメージとは違うような気がしますが、全身黒一色というあたりが、悪魔っぽく見えないこともありません。
「わーい! おねいさん、成功したよ」
はしゃぐ銀次に、つば広の黒い帽子の下の瞳が、ほんの一瞬、奇妙な輝きを宿したように見えました。
「私を呼んだのは、あなたですか」
静かな、しかし威厳に満ちた声が響きます。
「はい。でも、オレはおねいさんに頼まれただけです」
「そうですか。では、私に何の用です」
細く眇められている瞳は、笑っているように見えますが、本心から笑っているのかどうか、わかりません。
背筋をひりりと粟立てながら、おねえさんは、黒衣の男性の前に進みます。
「こ、恋人を、生き返らせて欲しいの」
いくばくかの沈黙の後、
「困りましたね」
ぽそりとつぶやかれたことばに、
「できないの?」
おねえさんが、叫びます。
「できないことはないのですけれど」
クスクスと笑いながら、
「あなたたち、どうやら、呼ぶ相手を間違えたみたいですよ」
思いもしない指摘をします。
「?」
小首を傾げた銀次に、
「あなたが呼んだのは、悪魔、しかも、かなり高位の悪魔ですね」
「そうだけど?」
「死人をよみがえらせるのは、もっとも高度な技ですよね。高位の悪魔なら、取引の代償によっては引き受けるでしょう」
「あの………」
「はい?」
「もしかして、あなたは、悪魔じゃない……とか?」
銀次の質問に、黒衣の男性は、優しいようにも恐ろしいようにも見える不思議な笑みを浮かべました。
「ええ」
「うそっ」
銀次とおねえさんが、ビックリします。
どう見ても、悪魔そのものにしか見えない黒衣の男性が、悪魔ではないというのです。
けれど、銀次が床に描いた魔方陣は、
「君、そこ、間違っているのですよ」
「へ?」
黒衣の男性の先細の優雅な指が、魔方陣のとある箇所を指し示しました。
銀次が、その場所を、よくよく眺めます。
「あっ!」
「なに?」
おねえさんも不思議に思って、そこを見ましたが、もとよりわかるはずもありません。
「あ〜っ」
青褪めた銀次が、後退さりました。
「うわ〜。ごめんなさい」
本棚にぶつかり、落ちてくる本から頭を庇いながら、銀次が叫びます。
おねえさんは、そんな銀次の恐慌をただ見ているだけです。
黒衣の男性はといえば、銀次の慌てたようすを無表情に観察していましたが、やがて、魔方陣の中から抜け出すと、本に埋まった銀次を本の山から掘り出しました。
垂れた銀次は、首根っこを掴まれながらも、イヤイヤと、首を振っています。
「ごめんなさい。ごめんなさい。二度と悪いことなんかしません。わ〜ん」
銀次はこれまで悪事を働いたことはないのですが、こういったときの台詞は結構ワンパターンだったりするのです。
溜息をついた黒衣の男性が、
「退屈しない悪魔ですね。別にとって食べたりしませんよ」
「本当ですか?」
「ええ」
にっこりと笑って、しかし、
「ほかの天使はどうか知りませんけれどね」
と、付け加えるのを忘れはしませんでした。
「て、天使―――なんですか?」
おねえさんの疑問ももっともです。
けれど、天使は悪魔の天敵で、捕まえた悪魔を食べてしまうというのが、悪魔の間では常識でした。
そう、悪魔にとって、天使は、まさに、天敵以外のなにものでもなかったのです。
もともとがあまりおりこうとは言えない銀次は、おねえさんのお願いを叶えようと一生懸命文献を調べたあげく徹夜をして魔方陣を描きました。その際、一箇所書き間違えてしまい、なんたること、天使を呼び出してしまったのでした。
「がっかりすることはありませんよ」
「はい?」
「あなたは、私に、なにを代償としてくださいます?」
「えーと、魂は、彼にあげるって約束したので、からだ?」
「却下しましょう」
即座の応答に、憮然としながら、 「彼をよみがえらせてくれるなら、なんだってあげます」
「え〜」
おねえさんのことばに、魂を取りそこねたと、銀次が不満の声をあげました。
「だって、あなた、間違っちゃったでしょ」
無情です。
「じゃあ、これを下さい」
「は?」
おねえさんの瞳がまん丸になります。
「い〜や〜」
銀次の悲鳴が、逼迫して聞こえました。
けれど、失った恋を取り戻すのに、女は手段を選びません。ましてや、どちらかが飽きたとかで失った恋ではなく、事故で失ってしまった恋なのです。
目の前にあるチャンスは、躊躇せずにゲットです。
気を取り直して、おねえさんは、
「わたしのものじゃないのですけど、よければどうぞ」
と、黒衣の天使が差し出した羊皮紙にサインをしたのでした。
「きゃ〜」
銀次の悲痛な悲鳴をよそに、黒衣の天使は、いたって簡単に、おねえさんの彼をよみがえらせました。
よみがえった彼とおねえさんがふたりの世界を作っているのを尻目に、銀次は、垂れたままでもがきます。
しかし、黒衣の天使の手は、いまだ銀次の襟首をつかんだままです。
「た、食べないって言った」
涙声で訴えます。と、
「ええ。食べないといったでしょ」
「じゃ、じゃあ、離して〜」
「逃げないと約束しますか?」
「するする」
じゃあ――と、黒衣の天使が、銀次を離します。
(こ、ここで、逃げなきゃ、悪魔じゃない)
銀次一世一代の嘘は、しかし、黒衣の天使によって未遂に終わりました。
空気を切り裂いて黒い羽が、銀次の周囲を飛び交います。
かすれた悲鳴をあげてしゃがみこむと、
「逃げられませんよ。あなたは私のものですと、ここに契約が完了していますからね」
銀次の鼻先で、おねえさんがサインした契約書がぴらぴらと揺れていました。 
「あ、悪魔っ」
「悪魔はあなたでしょう」
クスッと笑った黒衣の天使は、銀次を羽の結界から抱き上げると、
「一目惚れなんですよ」
そう言って、銀次にくちづけたのです。
天敵からキスをされた銀次は、白目を剥いて、気を失ってしまいました。
「あんがい、うぶなんですね」
楽しそうにつぶやくと、黒衣の天使は、銀次を抱きかかえたまま、いずこへともなく姿を消したのでした。
こうして、森から悪魔は姿を消し、その後二度と姿をあらわすことはありませんでした。



銀次のその後を知っているものは、黒衣の天使だけだと言うことです。



おしまい



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