1.郁也
嫌だったから、何度だって、逃げた。
ことばの通じない世界で。
だって、オレは、ヤツのことが好きじゃない。
突然わけのわからない世界に放り込まれて、なにがなんだかわからないうちに、オレは、ヤツの手の中にいたんだ。
最初は、助かったって、そう思った。
けど………
突然知らない世界だったんだ。
何度も、変な生き物に襲われて、死にそうな目にあった。
木の実なんかを食べながら、どうにか飢えをしのいでた。
襲ってくる変な生き物から、必死で逃げた。
そうして、へろへろになって町にたどり着いて、オレは、途方に暮れたんだ。
ことばが通じない。それが、どんなに大変なことなのか、オレは、骨身に染みた。
食うのには、金が要る。着たきりの制服もスニーカーも、ぼろぼろで、新しい服が欲しくても、手も足も出やしない。雨が降ったからって、逃げ込む屋根もない。寒いからって、当たる火もない。
だれひとり、助けてくれやしない。
元の世界に、家に、帰りたかった。
なんで、こんなことになったのだろう。オフクロやオヤジが恋しかった。
もし、帰れたら、反抗なんかしない。
オレは、そんなことを思いながら、ただ、道端に蹲ってた。
通りすがりのヤツらは、ニコニコしててもオレを見ると顔を引き攣らせて、オレを避けて通る。あいつらにとって、オレは、汚いもの、忌むべきもの、そんな感じなんだろう。
腹が減っていた。何日食べてないんだろう。
町を出れば、食べれるかもしれない。そう、野草とか、木の実とか、ネズミとか、ウサギとか、オレでも、なんとか、獲れるかもしれない。けど、ここに来るまでに、体力を使い果たしてて、もう、立てるのすら億劫だった。それに、襲い掛かってきた変な生きもの。あれから身を守る自信もなかった。
もう、オレ、ダメかなぁ……
昨日の冷たい雨に濡れて、寒くてしかたがなかった。
目を閉じたまま、多分、これ以上何も食べれなかったら、オレは、もう、死ぬんだろうな……と、漠然と考えていた。
そのまま、オレは、眠った。
多分、このまま眠ったらおしまいだろうと、そう、思いながら。
だから、気がついたとき、オレは、狂ったのかって、自分を疑った。
いつの間にか、オレは、濡れていない、あったかい服を着てた。からだもさっぱりしてたし。風呂、誰か知らないが、入れてくれたんだろうか。
ありがたいのか、恥ずかしいのか、混乱したオレは、鼻をくすぐる食い物のにおいに、意識を奪われた。
目の前には、湯気の立つ、食い物があったんだ。
薄い粥みたいなものだったけど、ずっと、断食状態だったオレには、凄いご馳走に思えた。
いただきますも、食っていいのかってことも、関係なかった。とにかく、掻き込むように喰らいついて、吐き気に襲われたけど、これを逃したら、次はいつ食い物にありつけるか、それが、怖かったから、必死だった。
オレを見てる目があるってことに、だから、オレは、まったく気づいてなかったんだ。
「もう、食えない」
天井を向いて呻くと、
「それはよかった」
返ってきた声に、オレは、自分の正気を、疑った。
だって、今の……日本語だよな。
なんか、泣きたくなった。
気が狂ってても、かまやしない。
懐かしいことばでオレに話しかけてきた相手が誰なのか、オレは、顔を上げて、確認した。
「今の、あんた?」
ドキドキしながら、目の前の、厳しそうなおじさんに、オレは、訊いた。
怖そうな感じの男だけど、さっきの声は、少しも、そんな感じはしなかった。
だから、違うかったらどうしようと思いながら、訊いたんだ。
「そうだ。ずいぶん、苦労したようだな」
あ、なんか、涙が出そうだって、思った。
思わずうつむいた。
泣き顔を見られたくなかったからだ。
男は、昇紘と、名乗った。
この国の王だと。
異邦からの迷子に興味があったのだと、そう言った後、もう大丈夫だとオレを、慰めてくれた。
オレは、知らなかったけど、オレが死にかけてた町で、オレは、噂になってたそうだ。
見たことのない服装、で、ことばの通じない人間がいる。
いったいどこから来たのだろうとか、色々。
そんなのに死なれたら、後で祟られないかとか。でも、だからって、手を差し伸べていいんだろうか……そんな感じで、オレは避けられてたらしい。
興味はあっても、わけのわからないものに関わりたくないって言うのが、普通なんだろう。襲われたら困るしとか。だから、オレに声をかけようとするのは、最初のうちの数人だけだったんだな。
「ここにいればいい」
そう言ってもらえて、オレはどんなに嬉しかったかしれやしない。
もしかしたらだが、帰る方法がわかるかもしれない。
そうも、言われた。あまり、確約はできないがな――と、付け加えはしたけど。だけど、それだけで、オレは、なんか、飛び上がりそうだったんだ。
オレのいた世界のことを聞かせてくれるなら、言葉も教えてくれるって言うし、衣食住に困らせないって、そう、言ってくれた。
なんて、いい王さまなんだろう。
オレは、そう思った。
だって、彼は、オレに、王宮の敷地内の家を一軒ぽんとくれたんだ。身の回りの世話をしてくれる人までいる。なんか、今までとは雲泥の差の待遇に、オレは、夢を見てるみたいだった。
だから、彼が聞いてくる色んな質問に、わかるかぎり答えたんだ。
だから、それも、いつもの質問なんだろうって、そう、思った。
ここに来て、一週間になる。まだ慣れたとは言い切れないけど、少しは、自分でも落ち着いたような気がする今日この頃だった。
夕方、オレは、いつものように、彼に晩餐に招かれた。
食い物の種類は、いつもめちゃくちゃ多い。
オレは、王様の隣に座らせられる。まぁ、質問に答えるわけだし、しかたないんだろうけど、居心地はよくない。王様の席は、みんなの席より一段高いところで、オレが王様の家来を見ることができるのと同じく、家来のほうも、オレを見ることができるわけで、彼らの視線がチクチク痛くて、オレは、どうにも、この晩餐の時間が好きにはなれなかった。
食事をつつきながら、彼が聞いてくる質問に答える。これが、オレの仕事みたいなもんじゃなかったら、辞退したいところだ。
北京ダックみたいなのを箸で取って、皮に包んでると、
「浅野の世界で、子孫は、どうやって増えるのだ」
なんて、真面目な顔で聞かれた。
「は?」
オレは、思わず、王様を、見返してた。
「どうって………」
よく考えてみれば、女性のお腹から生まれるでよかったのかもしれないけど、その時オレの頭の中ってば、保健体育の知識が、駆け巡ってたのだ。
どうやって、説明しろって? いや、もし女だったら、セクハラだ〜って喚くのかも。
なんか、場が、静かになったような気がする。なんで? オレのことば、通じてないんじゃないのか? それとも、気のせい?
王様の顔は、まじめそのものだし、まぁたしかに、これも、異世界の知識には違いないのか。
けど、ほかに、どうやって増えるって?
「あ、の……」
「どうした? 知らないのか」
オレは、ぶんぶん首を振った。
知らないわけないだろ。
「え、えと、こっちの世界はどうやって?」
とりあえず、質問返しでうやむやにしてやる。
「卵だな」
「へ?」
卵生? にわとりとか、爬虫類とか、昆虫みたいに?
ぽけっとしてると、
「ひとは、ひとの木に、家畜は家畜の木に、妖魔は妖魔の、野生の獣は野生の獣の、それぞれ、木が分かれている」
それは、なんか、便利でいいかも。
「へぇ……」
「その驚き方からするに、やはり、違っているのだな」
納得したようにうなづいてる。
うわ、戻ってきちまった。
オレ、ヤだぞ、説明すんの。
知らないって、すましときゃよかった。
オレのうろたえぶりに、何かあるとでも思ったのか、王様は、
「では、後でな」
とりあえず、助かったと、オレは胸を撫で下ろした。
なんか、一気に食べる気がなくなったオレが、まだ手にしてた北京ダックみたいのを見てると、
「これを」
と、勧められた。
どうも酒らしい。
オレ、酒は体質に合わないみたいで、このあいだはじめて勧められて飲んだ時にぶっ倒れてから、今まで王様も勧めはしなかったんだ。
「え……と、飲めないから」
なんで突然。
オレは、彼を、見返した。
「これは、前のとは違う。一口でいいから飲んでみるといい」
そんなに言われたら、いりませんなんて、言えない。相手は、王様だし。家臣の目も、給仕するひとたちの視線も、強い。
恐る恐る口をつけたオレに、
「どうだ?」
王様が訊いてくる。
甘い――そう思った途端、カッと燃えるような熱さが襲い掛かってきて、オレの視界が、くらくらと揺れる。
王様の声さえ、間延びして、聞こえる。
「甘いけど、きついです」
ほにゃほにゃしたことばで、オレは、返してた。
「まだ、きついか」
へにゃりと、オレは、笑ってたらしい。
気がつけば、知らない部屋だった。
ぼんやりと薄暗い。
ランタンの灯が、オレンジに揺れている。
「酔いつぶれたのか……」
情ないの。たった、一口でかよ。
酔いは残ってないみたいだったけど、喉が渇いてた。
多分、どこかに飲み水置いてるはずだ。
そう思って、オレは、起き上がった。
鼻先を、不思議な香が、かすめた。
なんだろう……そう、お盆とかで、よく嗅ぐ線香みたいな、でも、そんなの足元にも及ばないみたいな、高級そうな匂いだった。
嗅いでると、気持ちが落ち着いてくるみたいな、そんな匂いに、オレは、ちょっとの間、喉の渇きを忘れてたみたいだ。
オレの部屋だったらベッド脇のテーブルに、たいてい水差しが置いてある。
オレの寝てるのの三倍くらい広いベッドの上を四つんばいで這って、オレは、ちょっとふらつきながら、ベッドを降りた。
よかった。
水差しだ。
オレは、コップに、水を注ぐと、一気に干した。
冷たい水が、喉を通り抜けて、胃の中に納まる。
もう一杯欲しいかなと、手を伸ばした時、
「目が覚めたのか」
と、後ろから声がかかった。
びっくりした瞬間、ゴトッと鈍い音がして、水差しが倒れた。
オレの手が、倒したんだ。割れなかっただけ、ましだったかも。
「あっ、ごめんっ」
水が、飾り棚の上を濡らして、床に滴る。
袖で拭こうとしたところを、
「そんなことお前がしなくてもいい」
いつの間にか背後に立って、王様が言った。
手を叩く大きな音が聞こえたと思えば、女官がひとり現れて、王様の指示に従った。
オレはといえば、王様に肩を抱かれて、馬鹿みたいに突っ立ってた。
そのまま、王様が、オレを、ベッドの縁に腰かけさせた。
王様も、横に座る。
なんか、このシチュエイションって、変じゃないか?
オレが、ぼんやりとそんなことを考えてると、
「晩餐の席で聞きそびれていたな」
って、唐突に言った。
「子孫はどうやって増えるのかという質問だ。途中になっていただろう」
いや、そんなこと、今蒸し返されても。
王様が、オレを見下ろしている。
これは、答えないと、解放してくれそうにない。
オレは、自棄気味に、
「男と女がセックスしたら増える」
そう、早口で答えたんだ。
まぁ、必ずしもすぐに受胎できるわけじゃないし、避妊する場合もあるだろうから正確かどうかは別として、間違っちゃいないよな。
オレは、自分の答がずれてるってことに気付いてはいなかった。
「せっくす……」
王様のつぶやきに、まさかこの世界には生殖行動――違うか? セックス自体――がないのだろうかと、ちょっと、疑問に思った。だって、木に卵がなって子供ができる世界だからなぁ。いや、でも、そうだったら、男と女がいる意味はないような気がしないでもない。男と女がいてはじめて子供が生まれるのが当たり前だと思ってたけど、木になるのに、セックスは、必要ない気がする。いや、それとも、まじで、おしべとめしべの世界なのだろうか。木に咲いた花が自家受粉か何かして、卵をならすとかなんだろうか。
「ない?」
思わず、興味を惹かれて、聞いてしまっていた。
「いや」
なんか、ホッとした。なんて言えばいいのかわかんねーけど、そういうことは、するんだなって。
よかったーっていうのも変だから、
「そうなんだ」
って、返した。
ほかにどう返せばいいのか、なぁ、わかんないし。
それで、オレは、
「じゃ、じゃあ、オレ、自分の部屋にかえ……る?」
立てろうとしたら、王様の手が、オレの手に乗せられた。
同時に、王様がオレを抱き寄せようとする。
「あの?」
馬鹿みたいに王様を見ていると、ふっと、王様が、笑った。
苦みばしった男が笑うと、なんか、印象的だ。
そんなことを考えてたせいで、オレって、逃げ損ねた。
なんか、王様の顔が近づいてくるよな―――そんなことを思ってた。
で、気がついたとき、オレは、王様にキスされながら、押し倒されてたんだ。
ゲッ……
うそ……
なんで…………
頭の中がぐるぐるしてた。
目が覚めた時、昇紘の姿はなかった。
ほっと、吐息が出る。
何時くらいなんだろう。
静まりかえった寝室で、オレは、ぼんやりしていた。
昇紘に無理矢理抱かれてから、一月あまり。何度も逃げようとして、失敗した。逃げたって、ことばが通じないから、どうしようもないってわかってるけど、けど、このままじゃダメだって、オレは、怖くなる。
自分で、自分が信じられない。
初めて抱かれてから、毎日みたいに抱かれて、からだが、オレを裏切る。
昇紘に与えられる快感に、従順に応えようとするオレが、疎ましくてならない。
いまや、オレは、王の、愛人ってスタンスに立たされてる。
男なのに。
イヤなのに。
いつの間にか、侍女が、洗顔の準備をして、立っている。
顔を洗うのも、身づくろいするのも、食事するのさえ、人の手を借りる。
こんな生活、息が詰まる。
この間、逃げるのに失敗して、オレは、少しだけ、おとなしくなった。
疲れたんだ。
何故だ――と詰め寄られるのも、罰だと言って、繋がれるのも、鞭打たれるのも。
おとなしくしていると、昇紘は、気味悪いくらいやさしい。
執拗な愛撫も、くちづけも、押し入ってくる瞬間さえも、やさしいといっていい。
なんでも叶えてやる――と、そう、ささやく。
けど、オレが、どんなに、やめて欲しいといっても、それだけは、叶えてくれない。
オレが叶えて欲しいのは、それだけなのに。
辛い。
興味本位の視線に曝されるのも、昇紘に抱かれつづけるのも、辛くてならない。
逃げたくてたまらない。
帰りたい。
普通の高校生だったあの時に、オレの世界に、還りたい。
「どうなさいました」
侍女の声に、オレは、ハッと、我に返った。
まだ不安だらけだけど、少しはヒアリングができるようになった。
喋るほうは、からっきしだけどな。
〔え? あ………〕
カァッと、顔が赤く染まってゆくのがわかった。
恥ずい。
女の子に、泣き顔見られちまった。
二の腕で、涙を拭う。
「お顔を」
〔いい、ほうっておいてくれ〕
オレは、布団を被った。
蹲る。
静かに、侍女が退出してゆく気配がする。
完全に気配が消えてから、オレは、ゆっくりと、起き上がった。
広すぎるベッドから、抜け出す。
〔服は……〕
昨夜寝る前に着てた薄物は、昇紘に脱がされて、多分、さっきの侍女が、洗濯とかで持ってっちまったたんだろう。素っ裸のまま、オレは、着替えが重ねられてる椅子まで歩いた。
金糸銀糸も派手な、サテンみたいな絹の服に、うんざりする。色は、深い紺。たいてい、用意されてるのは、紺とか、深緑とかだ。たまに深い赤が用意されてたりすることもあるけど、ピンクとかがないだけましかもしれない。昇紘が着てるタイプとはなんか違ってて、女物みたいな気がするのは、気のせいなんだろうか。
ぶつくさ言ってもしかたないから、オレは、テーブルの上に置かれてた水桶で顔を洗ってから、それを着た。
髪は、手ぐしで数度梳いて、まぁ、いいだろう。
昇紘もすっかり油断しちまってるのか、昨夜はいつもほどハードじゃなかったから、体力的に、余裕がある。
これまでの失敗で、なんとなく、ぼんやりとだけど、城の中でオレがいる辺りの見取り図が頭の中にできていた。
オレのこと女と勘違いしてでもいるのか、なんかしらくれたがる昇紘が置いてゆく装飾品から、嵩張らなさそうな、でも、値が張りそうな腕輪を数個嵌める。逃げた後に、金は要るんだから。これから、冬本番なんだし、寒いのも、ひもじいのも、オレは、もう、イヤだ。これくらいなら、慰謝料代わりってことで、いいよな。
こそこそすると疑われるから、オレは、何気なさを装って、部屋を出た。
「どちらへ?」
さっきの侍女が訊いてきたけど、
〔気分転換〕
オレは、庭を指差した。
「ご一緒いたします」
ここで、来るななんてさわいじゃダメだ。オレは、叫びたくなるのをこらえた。
オレは、侍女なんかいらないと言ったんだけど、結局、昇紘が叶えてくれるのは、自分の尺度に合った範囲内でしかない。必死になって頼み込んで、やっと、ひとりだけにしてもらえた時には、もう、どうでもいいやって気分だったくらいだ。
ツンとした寒さが、頬を撫でた。
ああ、冬なんだな。
オレは、ごくりと、唾を飲み込んだ。
枝振りのいい木が池のほとりにはえている。池の真ん中の、四阿。四阿に向かって架けられている、橋。大小の石。色んな、石塔や、彫刻。
「あーかいとり小鳥……」
ガキンチョの頃歌った記憶のある歌を、ふっと口ずさんでた。緑の濃い葉の重なりの間にぽつぽつと赤い実が見える木の下に座り込んで、オレは、不思議なほど透き通った空を見上げている。
ツイーと、高い声で、なんかの鳥が鳴いた。
「赤い鳥だったりしてな…………」
早く行動に移したいけど、いつも、焦って失敗してたからな。
侍女なんて、オレの見張りが、本当の仕事なんだろう。
ご苦労なことだ。
少し前には、野垂れ死にしそうだった異邦のガキが、今じゃ王様の愛人で、なにかっつーと逃げようとする愛人を逃がさないように見張らせられてるんだからな。
今回失敗したら、どうなるんだろう。
不安が、ちらりと、胸を過ぎる。
考えない。
考えたら、動けなくなる。
オレは、どっちかっつーと、考えすぎて、石橋叩き壊しちまうタイプだ。
だから、考えないように、考えないようにって、必死に自分に言い聞かせてる。そのせいで何回も失敗しちまってるっていうのは、なんか矛盾してるような気もするけどな。
思考が空転してるや。
「もうそろそろ、お部屋にお戻りになられたほうが」
侍女がそう言いながら、手を差し伸べてきた。
オレは、侍女の手を取る振りをして、手首を取って引っ張った。
〔ごめん〕
決まってくれ。
祈りながら、鳩尾に、拳を突き刺した。
幸い、一回で決まったらしい。侍女は、声もなく、その場に膝をついた。
誰もいない。
この辺は、案外、死角らしいんだよな。
多分、部屋からそんなに離れてないからだと思うんだけど。わからない。
オレは、侍女を引っ張って、四阿に隠した。
ここだったら、にわか雨がもし降っても、風が強くなっても、少しはましかなと、思ったからだ。
そうして、オレは、走った。
前に目をつけておいた場所に向かって走ったんだ。
でも、そんなに甘くないってか。
「郁也」
ずらりと兵士と大僕を従えて、昇紘が、オレに、手を伸ばしてくる。
波の音。
城が海に囲まれてる高い崖の上にあるのを、オレは、知っていた。で、海に落ちるのを防ぐために、腰までの手摺が造られている。手摺が壊れてる場所を、オレは、偶然見つけたんだ。そこから、オレは、崖を伝って降りる途中だった。
失敗したらどうなるか。
考えない。
オレは、首を振った。
「なぜだ」
昇紘の黒い瞳が、オレを、見る。
わけがわからないといった様子で。
「なぜ、予から逃げる」
〔なんで………なんで、あんたこそ、わかってくれないんだ。オレは、イヤだって、いつも言ってるじゃないか〕
一歩、崖を、下りる。
「お前こそ、何故、わからない」
一歩、昇紘が、近づく。
「予が、どれほど、お前を愛しているか」
〔オレは、あんたのこと、愛してなんか、ない〕
もう一歩。
〔抱かれたくなんか、ないんだっ〕
必死だった。
風が吹くたびに、長い裾が、袖が、ひるがえって、からだを持ってゆかれそうになる。
「そうか………」
低い声だった。
背中が、震える。
寒さからじゃない。
昇紘の声のせいだ。
「だが、予は、王だ。お前は、その寵愛を受ける身。お前の意思など、必要ない」
勢い伸ばされた昇紘の手を、咄嗟に振り払っていた。
そうして、その瞬間、オレは、オレが宙に浮いたのを感じていた。
悲鳴は、出なかった。
落下してゆく衝撃で、オレは、意識を失ったからだ。
ただ、意識を失う寸前、オレは、昇紘の青ざめた顔を、見ていたような気がする。
オレの意識は、そうして、ブラック・アウトしたんだ。
つづく
from 11:43 2005/10/14
up 15:57 2005/10/25
あとがき
一回目
突込みどころ満載の話の始まり。
二回目以下、バランス悪く視点がコロコロ変わりますので、ご注意くださると嬉しいです。
って、段落が切り替わるごとに、視点の主を表記してるので大丈夫とは思うのですが。
最初の辺は、萌えに萌えて、勢いだけで突っ走ってます。
おかげで、ワンパターンですが。まぁ、書く人間は一人ですので、ご容赦。
浅野くんはあいかわらずの不幸キングだし。
それでは、しばらく続くこの話、最後までお付き合い願えると幸いです。
だ、大丈夫かな。