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在りし日の

在りし日の 7




20.雷燕

 駄目だ。
 私は、そう思った。
 目の前で繰り広げられている光景。
 すべては、自分が蒔いた種だという思いがあればこそ、このままでは駄目だという苦さばかりが強く私を苛む。
 太子、寵妃、愛人―――どの言葉でもかまいはしないあの青年が、養い子によって後宮から連れ出された。
 あの時の主上のうろたえようを思い出す。
 主上がどれほどあの青年に溺れておられるのかを、私は思い知らされた。
 そう。
 政務さえ手につかない御様子は、もう十五年近く前になるあの時――青年が崖から落ち、四年間行方不明になっていたときのことである――ですら霞むほどの、御心痛であられるように見受けられた。
 そのようになられるほどに、なんの取り得もありはしないあの青年に、心奪われておいでなのか。
 青年の養い子が犯した罪は、ふつうなら死罪とされるものだった。
 それを、国から追放するという、ただそれだけにとどめたのは、青年のため以外にはない。
 王う自らが、法を曲げられるほどに………。
 それほどまでに、あの青年に溺れてしまわれているのか。
 そう思えば、焦燥が、身を焼く。
 今のうちに。
 これ以上は、見過ごせない。
 しかし。
 あの青年に罪は、ない。
 わかっている。
 罪があるとすれば、青年を追い詰めた私だろうか。
 あの時、青年を殺そうと画策しなければ。青年が、あれほどに主上を溺れさせることなどなかったのではないか。
 海客と言う以外、ただの平凡な青年でしかなかった彼は、すぐに主上に飽きられてしまったに違いない。
 下手な策を弄さなければ、主上は、青年にこれほどまでに溺れつづけることにならなかったのではないか。
 いつも、私の中には、罪の意識よりも強く、そんな疑問があった。

 傾城を作り上げたのは、誰でもない、私だ。
 ならば、傾城が傾国にならないうちに、私が蒔いた芽は刈り取らなければならない。



21.郁也

 国境まで、李翠を見送ることは、昇紘は許してくれなかった。
 最後まで見送りたかったのに。
 ぼくが最後に見た李翠の顔は、泣きそうな、笑顔だった。
「いつまでも泣くな」
 困ったような昇紘の声が聞こえる。ぼくは牀榻の上にうつぶせになって、絶対昇紘を見ないんだって決めていた。
「李翠は、予からおまえを攫っていったのだ。それは、殺されてもおかしくない罪だ。それを、追放にとどめたのだ。玉娟のことだとて、罰しなかっただろう」
 なのに、昇紘がそんなことを言うから、ぼくは、振り返った。
 どうして、ぼくを連れ出したことが、殺されてもおかしくない罪なのか。玉娟が罰されないといけないのか、ぼくには、わからなかった。だから、ぼくは、馬鹿みたいにぼんやりと、昇紘を見ていたんだと思う。
 昇紘は、そんなぼくを見て、片頬をゆがめて、笑った。そんな顔をすると、昇紘が、知らないひとみたいで、とても、怖い。
 村から連れ戻されてから、昇紘は、ぼくが李翠のしたことを説明するのに耳も貸さなくて、ここにぼくを閉じ込めたきり来なかった。だから、ぼくは、必死になって玉娟に頼んだんだ。李翠に会いたいって。玉娟は最初真っ青な顔をして、首を横に振ってたけど、最後には、折れてくれた。だから、ぼくは、李翠のところに行けた。あの時の昇紘を思い出して、ぼくは、怖くてたまらなかった。震えていたんだと思う。
 昇紘の手が、ぼくの顎を掬い上げるように握ってくる。
「やだ」
 顔を背けようとしたけど、昇紘の力は強くて、できなかった。いつもだったら、やさしく触れるだけとか、ぼくが嫌がったら、嫌なことはしないのに。
「聞き分けのない。一晩おまえがいなかっただけで、予がどんなに淋しかったか、おまえにわかるか」
 そう言って、昇紘は、震えてるぼくを抱き起こした。
「李翠は、予から、おまえを、一晩とはいえ奪ったのだ」
 膝の上に抱え上げられて、抱きしめられた。
 昇紘の体温と昇紘の匂いに包まれて、ぼくは、眩暈に襲われた。
 怖いって思っていたのを忘れて、ぼくは、昇紘に抱きついた。
「ぼくだって淋しかった」
 李翠といっしょだったけど、とっても、淋しかったんだ。
「……ぼくだって昇紘と一緒がいいけど」
「なら、どうしてだ」
「けど昇紘のことをダメにするから」
「おまえが、予を駄目にする?」
「李翠がそう言った。みんな、ぼくに昇紘にお願いしてもらいたがってるって」
「…………」
「王さまは公平じゃなきゃいけないから、だから、ぼくがいちゃダメだって」
 黙りこんだ昇紘に、胸が痛くなる。
 邪魔だって言われたら、ぼくは、どうしたらいいんだろう。
 ぼくは、泣き顔を見られたくなくて、昇紘の肩に顔をうずめた。
 昇紘の大きな手が、背中をなでてくれる。
「大丈夫だ。予は、おまえに心配されるほど、暗愚ではない」
「でも………」
「李翠は、予とおまえとを、見誤ったのだ。いいか、郁也」
 昇紘の声に、抗いがたい厳しさを感じて、ぼくは、ゆっくりと、昇紘の肩から、顔を上げた。
 昇紘の黒い瞳が、真正面からぼくの目を覗き込んでくる。
 厳しい決意を秘めた目を、ぼくは、とても綺麗だと思った。
「いいか、郁也。 予はおまえを何よりも愛している。だが、どんな願いでもかなえるほど、甘くはない。もし仮に、おまえが女官からささやかれた願いを告げたとしても、その是非の判断くらいは、できる」
 だから、誰がなにを言っても、おまえが不安がることはない。
 そう言って、昇紘は、ふてぶてしい笑いを頬に刻んだ。
「わかったか」
 人差し指と親指とで、顎を挟むようにつままれて、ぼくは、昇紘のキスを待つために、目を閉じた。
 李翠がいなくなったのはとても寂しくて悲しかった。
 けど、ぼくは、すぐに、李翠が帰ってこない生活に慣れたんだ。
 前みたいに、昇紘は、ぼくを、後宮の外に連れ出さなくなった。そうして、ただ、昇紘を待つだけの毎日に、ぼくは、慣れていったのだ。

 今頃李翠はなにをしているんだろう。
 そんな不安がたまに首をもたげたけど、ぼくは、幸せだった。
 幸せだったんだ。



22.昇紘

 郁也の不在を知ったときの予の気持ちを、誰が、わかるというのだろう。
 誰も、わかりはしない。
 重い責任を背負っている予の唯一の憩いが、郁也といる時だけだと、誰が知ろう。
 からだを合わせなくとも、ふたりでいるだけで、幸せだった。
 ただ、くちづけを交わすだけで、充足できる己に、ふいに苦笑が沸きあがる。
 郁也さえいれば、なにもいらない。
 郁也がいない世界は、予にはなんら意味がないものなのだ。
 誰ひとり、予の心を知るものはいない。
 王の孤独など。
 王の幸せなど。
 王は、王であるゆえに無条件に幸せなのだと―――苦笑いするよりない。
 王は、王であるゆえに、孤独なのだ。
 王の幸せなど、なにものも、考えることはない。
 だが、予は、今、幸せなのだ。
 手の中に、郁也がいる。
 郁也が、予に笑いかける。
 無条件に、予を慕ってくる、幼い青年を抱き上げて、予は、幸せを噛みしめるのだ。



23.郁也

 いつからだろう。
 もやもやと、胸が、すっきりしないと思ってた。
 あまり、食欲もなくて、そんなぼくを昇紘は心配そうに見ていた。
 暑いからだよ。
 いつまでも、残暑が続いていて、だからだって、ぼくは、思ってた。
 お薬湯を――って、玉絹が医師にもらったっていう薬を煎じてくれたけど。ぼくは、あれが苦手だった。だって、めちゃくちゃ苦いんだ。でも、玉絹がわざわざもらってくれたんだし、昇紘も心配してるし、ぼくは、我慢して飲んでた。
 でも、玉絹に言うの悪いかなって黙ってるんだけどさ、あれ飲むと気分が悪くなるような、そんな気がする。
 薬って、すぐに効かないし、我慢してるけど。
 でも、飲みたくないな。
 今日も玉絹が持ってくるんだなと思うと、気が重い。
「おはようございます」
 玉絹の穏やかな声が聞こえてきた。
「おはよう、玉絹。今日も飲むの?」
「郁也さまのためですもの」
 鼻を、あの薬の苦そうな匂いが、くすぐる。
「お薬湯の後には、郁也さまのお好きな金花糖(きんかとう)を準備しておりますよ」
 涼しい花の香のする、琥珀色の飴みたいなものだ。しばらく舐めてると、中から、色んな花の蜜とか果物の甘露煮みたいなのとかが、とろりと流れ出してくる。一個一個に入ってるものが違うから、次は何が入ってるのか気になって、つい、食べ過ぎる。食べ過ぎると、昼とか食べられなくなるから、心配した玉絹が隠してしまって、たまにしか出してくれない。
「うん……」
 手を伸ばして、コップを受け取った。
 飲むのがイヤだから、どうしても、のろのろとした動きになる。
 やだな。
 やだなぁ。
 鼻につく、きつい匂い。かび臭いような、変な匂いだ。
 飲みたくないけど、玉絹が見張ってるから、しかたがない。
 ぼくは、目を瞑って、エイって一気に飲み干した。
「げぇ……にが〜」
 鼻に皺を寄せてると、
「はい」
と、水を渡された。
 口をすすぐ。
「これでいい?」
 見上げると、
「はい。よくできました」
 まるで、xxxとかの先生みたいだとぼんやり思いながら、差し出した手に、玉絹が、懐紙を渡してくれた。そうして、盆の上の陶の入れ物から、三つ、琥珀色のガラス玉みたいな金花糖を乗せてくれたんだ。
 ひとつ、口に含む。
 飴玉の硬さが、二度三度舌の上で転がしただけで、するりと溶けて、とろりとした中の蜜があふれ出す。
 やっぱり、美味しい。
 薬の苦さが、薬の変な匂いが、消えてゆく。
 二つ目を口に入れようとして、ぼくは、あれ? って思ったんだ。
「いくやさまっ」
 玉絹の悲鳴が、ぼくの服を揃えていたほかの女官たちの悲鳴が、ぼくの耳を打った。
 何、これ?
 ぽたぽたと、布団に音たてて落ちたものが、広がっていく。
 口の中に、イヤな味があふれていた。
 鉄みたいな、生臭いみたいな、味。
 なんで?
 なんで、ぼく、血を吐いてるんだろう。
「大丈夫ですか」
 玉絹が、ぼくの背中をなでている。
 いつか、からだの中が焼けてるみたいに熱くなって、ぼくは、ぼくが吐いた血を吸った布団の上に突っ伏していた。
 朝血を吐いてから、ずっと気分が悪かった。
 吐き気がする。
 頭が、痛い。
 目が回る。
 寝ているのに目が回るのが不思議で、ぼくは気分の悪いのも忘れて、少しの間、牀榻の天井を見上げていた。
 面白いくらいに、視界が揺れる。
 ランタンの火が、揺れる。
 からだも揺れている。
 不思議だった。
 でも、そんなことを感じていられたのは、本当に少しの間だけだった。
 突然、ぼくは、からだの中から痛みが突き上げてくるのを感じて、うつ伏せになった。
 痛い。
 息が詰まる。
 目の前が、真っ赤を通り越して、真っ白に焼けた。
 内臓が、痛い。
 心臓が痛い。
 からだが、壊れるみたいに痛いんだ。
 誰か。
 昇紘。
 李翠。
 玉絹。
 昇紘!
 助けて……
 呼びたいのに、声が出ない。
 叫びたいのに。
 怖かった。
 怖いと思った。
 だって、そこに、ぼくは、見たんだ。
 大きな鎌を持った、黒い人影を。
 黒いフードの下、揺れるオレンジに染まっているのは、ひとの頭蓋骨だった。
 表情のない、ただの、カルシウムの塊。
 丸い二つの穴には、眼球すらない。
 なのに、ぼくを見ているって、わかる。
 何もかもが揺れている中、そいつだけが、揺れていない。
 噛み合せのよい丈夫そうな歯が、少しだけ隙間を開く。
 笑った。
 ぼくは、そう思った。
 そいつは、笑って、鎌を、振りかざした。
 いやだ!
 まだ、ぼくは死にたくない。
 昇紘!
 李翠!
 玉絹!
 ………めいすい。
 オレンジ色の頭蓋骨に、オレが愛した女の顔が、重なった。


つづく



from 11:43 2005/10/14
up 22:10 2005/11/06


あとがき
七回目
 金花糖……たしか、金華糖って名前の、食べ物があったはずです。一見板チョコみたいな感じで、砂糖の塊みたいなブツだったような。生姜飴に黒砂糖の色を施した感じか? 音は同じですが、捏造した別物ですのでvv 念のため。11:50 2005/10/24
 すこしだけ、手を加えてみました。いや、李翠のこと、浅野くんってば案外あっさり納得したよなと、魚里自体思わないでもない。んですけど、浅野くんってば、もう、昇紘さんがいないと駄目って感じで、李翠くんより昇紘さんがいてくれたらそれでいいって風情ですよね。う〜ん。
 もうしばらくお付き合いくださると、嬉しいです。


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