たとえば、それが  5







「絶対に」
 トオルはその言葉の後に扉を閉ざした。
 絶対に見てくれるな−−−と。
 懇願してくるのはいつものことだった。
 声、否。悲鳴すら漏れ聞こえぬようにと。
 二重三重の防音結界を、トオルの望みのままに、アヴィシャは張り巡らせた。
 彼が望むのであれば、何であろうとかなえると決めていた。
 それは、混沌の神子総てに対する弔いとも償いとも思える感情の故だったろうか。
 あの愛しいふたりに対するものであったのか。
 それとも、ただ、トオルにだけのものなのか。
 アヴィシャにももはや、わからなくなっていた。

 生まれた時、側には双子の弟がいた。
 王家の双子。
 第一子となったアヴィシャは、ほんの少しだけジーヴァスよりも早くに生まれたという幸運に恵まれたのにすぎない。
 それを幸運と呼ぶのならば−−−だ。
 けれど、ジーヴァスは幸運だと思ったのだ。
 特に彼よりも高待遇だと考えたことはなかった。
 殊に仲が悪いと考えたこともなかった。
 それでも、彼は感じたのだろう。
 自分は兄であるアヴィシャの影にいると。
 彼のものをすべて欲しがった。
 同じものを−−−果ては、アヴィシャの手にするそのものを。
 兄だからといって、恵まれていると感じたことなどありはしなかった。
 次期国王として厳しく管理された毎日の中で、唯一の優しさであった許嫁をジーヴァスに奪われた時、王位継承権を手放した。
 癒しだと感じていた許嫁を、その実いささか重荷に感じていたという罪悪感が彼にはあった。だから、ジーヴァスが彼女を愛しているのなら、自分などと共にあるよりもよほど幸せになれるだろうと。


 自分は、ジーヴァスを見誤っていたのだ。


 そう。
 ジーヴァスはこれで満足するだろうと。
 兄である自分のものを欲しがることもなくなろうだろうと。
 それが間違いであったと知ったのは、
 −−−モーリ。
 無為の日々を送る自分の前に現れたひとりの少女。
 彼女の存在のゆえだった。
 愛して、枕を交わした。
 たった一度。
 それは、未婚の男女の間ではあってはならないことではあったが、昂まりあった感情を若いふたりが抑えることは難しいことであったのだ。
 そうして。
 ふたたび、愛したものは奪われた。
 混沌の神子として選ばれた王族の代わりとして。
 未だ稚い、生まれたばかりの王子の身代わりとして。
 モーリが、彼の子を身ごもっていたことを知らせてきたのは、神殿の動向を探らせていた彼の配下だった。
 秘密裏に運ばれたそれは、しかし、弟には、王には、知られていたのだろう。
 でなければ、ありえない。
 そう。
 救い出すことのできなかったモーリ。
 彼女は、神子の役割を全うした。
 代わりに子を産むことを許されたのだ。そうでなければ、アヴィシャの子が生まれるはずがなかった。
 生まれた息子を手許で育てることを諦めたのは、弟の拘泥が未だに解消されていなかったことを思い知らされたからであった。
 アヴィシャの子だとジーヴァスが知れば、無事では済まないのではないか。
 だからこそ、アヴィシャはあえて、息子の養子先を聞かなかった。
 それでも。
 我が子である。
 一目でいい。
 あってみたかった。
 自分の決めたことではあったが。
 父だと名乗らなくてもいい。
 物陰からで構わない。
 姿も知りはしなかったが。
 会えば息子だとわかるに違いない。
 わからないはずがない。
 モーリがあの苦痛に満ちた日々の中、まさに命がけで残してくれた我が子である。
 募る思いをこらえることはできなかった。
 そうしてまた数年。
 探し当てた我が子は、大公家の荘園の一つで養われていた。
 しかし。
 探し出した我が子は、決して幸福な生活を送っているようには見えなかった。
 痩せた小柄なからだ。
 暗く沈んだまなざし。
 洗いざらして色あせた、からだに合わない着衣。
 荘園の生活は、領内の他の土地よりも豊かなはずだ。
 アグリアメタスソコリガの絹さえ全て納めていれば、他の生産物は全て収入にできるのだ。
 なぜ。
 孤児と嘲られ、養い親に酷使させられている。時には食事を抜かれ、鞭さえ使われることさえあった。発育不全の哀れなからだで、水くみをさせられている姿を見ることもあった。
 それが、荘園デルでのことだった。
 デルの長の下でのことだった。
 そんな我が子の姿を見て、アヴィシャはどれほど引き取りたいと思っただろう。
 お前は私の息子だと、そう言って、攫ってしまいたかったのだ。
 それでも、ためらいがあった。
 ないわけがない。
 大公という立場にありながら、実の弟である国王に悪意ある執着を持たれている身だ。
 そんな男の家に引き取って、息子が幸せになれるだなどと、どうして考えられるだろう。
 それでも。
 それでも。
 それでも。
 着衣の胸元を握りしめる。
 偶然を装って、少年に会った。
 こっそりと、少年がよく水くみに出かけている泉のほとりで。
 身分を隠して宿の場所を尋ねた。
 そうして三度だけ会話をした。
 四度目のその夜、空にふたつの月が昇る頃、アヴィシャは名も聞けぬままの我が子を待ちつづけた。
 こと自分のことに関しては狂気を帯びる弟の思考を読むことができず後手に回る羽目となる。それでも、我が子を守ろうと決意したというのに。
 後手に回った己をどうしようもなく意識した。
 国王が知らないはずがないのだ。
 自分ですら探し当てられたものを。
 ただの一度として、この手に抱くことはなかった。
 ただの一度として名を呼ぶことさえも。
 そうして、失った。
 デルの長に売られたのだと後で知った。
 王太子が生きている限り、誰かが犠牲になる。
 息子は偶然、犠牲に選ばれたのだ。
 そこに、王の意志があったのかどうか、アヴィシャは知らない。
 ただ、息子が王太子の身代わりとして、デルの長に売られたのだということを知ったのだ。

 許すものか。

 許さない。

 国王も。

 王太子も。

 神殿も。

 デルの長も。

 国民も。

 自分自身も。

 全てを許すものか。

 今もアヴィシャの心を炙りつづける怒りの炎が宿ったかのような赤い石が、ミュケイラの胸元で揺れている。
「どこから探りだしてきたものか」
 あれは、あの日。
 たった一度だけ抱き合ったあの次の朝、モーリに贈ったものだった。
 神殿に連れて行かれたあの後、あれがどうなったのか、彼は知らない。
「神殿も共犯なのか」
 なぜという疑問だけは考えるまでもない。
 あのふしだらな女は、王太子の許嫁となるために、自分の子だと認めさせるためだけに、あれをどこからか探し出してきたのにすぎない。
 
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