たとえば、それが 10




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 それを話といってよかったのか。
 直接頭の中に流れ込んでくるおびただしい量の映像。
 時流がランダムなのか、整合性が取れているのかどうかはっきりとわからない映像だった。
 ただ理解できたことは、”それ”が最初から狂っていたわけではないということだった。
 理解できたことは、ひとがその姿形を厭い、裏切り鎖ざしたということだった。三柱のうちの一柱であるというのに。
 理解できたことは、渇望しているということだった。
 崩された静謐。
 混沌と混乱。
 狂乱と騒乱。
 静寂と狂騒。
 繰り返される血の赤と絶望の青と諦めの白。三色が混じりあった混沌の黒。
 ただ、それらは”それ”が経験してきたことだった。
 あまりにも長い長い歳月。
 ”それ”が狂うほどの出来事の数々。
 狂うほどの空虚の歳月。
 それでも、狂気の中で、”それ”は渇望していた。
 求めていた。
 心の底から。
 それだけが総てだったのだ。
 投げ与えられた贄に求めたものも、それだけだった。
 解放と報復−−−を。
 還りたいのだ。
 ああ、同じだ−−−と、トオルは思った。
 僕も、帰りたい。
 復讐をしたいのだ。
 ああ、同じだ−−−と、トオルは思った。
 僕も、僕をここへと連れてきた総てに復讐をしたい。

 ならば−−−と。

 ならば、我を受け入れよと。

 恐れることはない。

 我とそなたとは、ひとつになるのだ。

 それだけのことなのだ。
 ただそれだけの。


 目が覚めた時、そこは見知らぬ場所だった。
 ”あれ”の願いを受けいらたのか、それとも拒絶したものか、記憶にはなかった。
 ぼんやりと見上げる天井は、大公家の部屋のものとは明らかに違っていた。
 空気もまた、臭気を帯びた湿り気のあるものだった。
 起き上がり、全身に襲いかかる痛みに、知らず眉間に皺が寄る。
 手触りの悪い、麻袋のような着衣に、全ては夢だったのだと、そう思った。
 アヴィシャも、ファリスもアディルも。
 そうして、”あれ”も。
 けれど、ここはずっと閉じ込められていたあそことはまた違う。ここには覚えがない。
 あそこはゴツゴツとした岩ばかりではあったが、こんな饐えたような臭気に満ちたじっとりと気持ちの悪い空間ではなかった。それだけは、言える。
 −−−夢ではなかったのだろうか?
 目が回るような気がする。
 彼らは、本当にいて、とても信じられないほどに優しくしてくれたのか。
 わからなくなる。
 この痛みが本物だと、それはわかる。
 けれど、本当に−−−あんなに優しくしてくれたひとたちが、三人も、本当に、いたのだろうか?
 夢みたいな毎日を過ごしていたのだろうか?
 信じられない。
 そう思った。
 どうしてこんなところにいるのかわからないものの、きっと、自分は怖くて怖くて狂ってしまったのだ。
 そうに違いない。
 誰かに助けて欲しくてならなくて。
 帰りたくてならなくて。
 母さんや父さんや弟に会いたくてならなくて。
 こんな悪夢なんか嫌だと。
 強く強く考えていたから、あんな突拍子もない夢を見たのだ。
 とても優しくて、悲しい夢。
 醒めた今となっては、寂しくて切なくて、辛くなる夢。
 これからは、また、怯える日々が始まるのだ。
 辛くて苦しくて、痛い毎日。
 ポウティンカもヤウルティも、アグリアの絹も、ない。
 なによりも、あんなにも優しくしてくれたアヴィシャもアディルもファリスもいない。
 なにもない。
 与えられる苦痛の日々だけが現実なのだ。
 きっと。
 込み上げてくる涙をこらえて、くちびるを噛みしめた。
 その時、胸の奥でなにかがぞろりと動いたような気がした。
 −−−望め。
 脳裏にこだます響があった。
 なにを。
 なにを望めと言うのか。
 望んだところで、叶いはしないと言うのに。
 これまで散々叶わなかったと言うのに、今更。
 心身ともに染み通っていた習いがトオルの全てをつつみこもうとする。
 トオルの片側の口角が皮肉にめくれ上がった。
 白い犬歯が明かり取りの窓からのかすかな光を弾く。
 胸の奥底から、なにかがまだ言葉を重ねようとする気配があったが、トオルはそれを認めはしなかった。
 そうしないではいられなかったのだ。


 どれだけの時間が過ぎたのだろう。
 食事も水も与えられることなく明かり取りの窓の外が幾度か昼夜を示しては流れた。
 目を閉じたままで、トオルは、自分を閉ざす鉄の扉が開かれるのを感じていた。
 淀んだ湿気がどろりと流れるのを感じた。
 どうせ良くないことが起こるに違いないのだと、投げやりにただ伏したままで次を待つ。
 そんなトオルの耳に、
「トオルさま」
と。
 聞こえてくるはずのない声が聞こえたのだ。
 潜めた声だった。
 それでも、それが誰のものか判らないはずがなかった。
 ファリスと、声に出したつもりだった。しかし、どれくらいの間か声を出すことのなかったトオルの喉は力なく、空気を震わせることすらできなかった。
「どうぞそのままに」
 ここからお出し致します−−−と。
 今ひとたり。声の主はアディルだった。
 ああ。
 力があれば、叫んでいたろうか。
 夢などではなかったのだと。
 ならば、アヴィシャもと、瞼をもたげてトオルは眼球をせわしなく動かした。
 アヴィは?
 そう動くくちびるを読んだのだろう、
「お連れ致します」
 アディルの声は、なにかを堪えるかのようで、全身に冷たい水をかけられたかのような予感を覚えずにはいられなかった。
 
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