たとえば、それが 14
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静まりかえった刑場に、かすれた声が波紋を刻む。
高貴な血が流される。その期待に駆られ刑場に集まった王都の民たちは、眼前で繰り広げられた血の赤とそれに酔える心地を邪魔するふたりに、失望を隠せなかった。
かすれて小さな声は、なにを言っているのかなどわからなかったが。
振りかぶられた斧がまさにその首を捉えようとした時どこからともなく降って湧いた若者に、失望をするなという方が無理であったのだ。
過たず一同が息を呑んだ刹那だった。
期待に満ちた視線がその首に据えられた刹那であったのだ。
やつれてさえも遠目に秀麗とわかる高貴な男性が流すであろう血を、吹き出すであろう血の、その刹那を見損ねた失望は、若者に向かう。
高貴な、それでいて公開処刑をされるほどの罪人の首を掻き抱き泣く。そんな若者にこみ上げてくるのは、苛立ち以外のなにものでもない。
膨らんでゆく見物人たちの不満を苛立ちを掻き毟るかのように、王と王太子とともにその場にいた女性が若者に近づき糾弾の声をあげた。
大きく甲高い声であっても、はっきりと聞き取ることは不可能ではあった。が、若者がその罪人となんらかの関係があるものだということは拾いとることができた。
ざわりざわりと、一同の心に芽生えてゆくのは、この満たされない欲望を叶えてくれという思いだった。
その残虐な欲求が膨らんでゆく。
処刑が良いか悪いか、残虐かそうではないかではなく、一同の期待を満たすことは当然だという、ただそれだけ。老若男女民衆の一番手軽な娯楽といえば、処刑見物であったからだ。高貴な人物の処刑といえば、その中でも最高の見せ物だったからだ。
失望が苛立ちが、負の感情が、若者に向かってゆくのも道理であったのかもしれない。
もっともそれは彼らにとっての道理であったのだが。
しかし当然のことながら、その道理が若者−−トオル−−に通じることはない。
どちらにしたところで、トオルにとっての大切な存在が殺されたことに変わりはないのだから。
アヴィシャは死んだのだ。
応−−−と。
諾−−−と。
傲然と諾なっておきながら間に合わせることができなかったあの存在に腹を立てながら。
助けることができなかった己に、腹を立てながら。
自分を執拗に糾弾してくるアヴィシャの娘の声を近くに聞きながら、しかし、トオルは、己の中に、誰にも見えなかった胸の穴に、あの刺のついた触手が潜り込んでくるのを感じていた。
それは、間に合わせろと言わなかったと、ただアヴィシャのところにと言っただけでは無いかと、融を詰るかのように苛立たしげに触手を伸ばしてくる。
間に合わせろとは、確かに言いはしなかった。言わなかったが、それでもあの状況ならば問わず語りに理解してくれるのでは無いのかというのは、こちら側の驕りなのだろうか。
からだには、痛みも不快も何もなかった。
ただ直接心に、痛みと不快とが響くのだ。
間に合わなかった後悔が、腕の中のやさしい男の頭部が、少しずつ冷えてゆく優しい男の頭と血潮の熱が、深い痛みとなった。
ぞろりと、ぎしりと、姿を消した混沌の神がねじ込むようにしてトオルのからだに入り込む。
無理やり溶け込むかのように、刺がぬるりとほぐれ解けたような気配があった。
アヴィシャであったものの頭部を掻き抱き、抱きしめ、その気味の悪さを堪えていた。
溢れ出す汗が、まるで涙のように、アヴィシャをしとどに濡らす。
「あああ」と、空気が、声帯を震わせる。
どれほどの質量が全身に溶け込むのを受け入れれば良いのか、朦朧となる。
血の色と朦朧と霞む視界に、見物人たちを掻き分け駆けつけようとするアディルとファリスのふたりを映していた。
つづく
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