異端の鳥  5.近づく時




 人間の王が座を据えるきな臭さを増してきた町に、俺は来ていた。
 わざわざ辺境へと向かった勇者一行が王都へと取って返さなければならないと知ったときの表情は、見物だった。
 国や町の名前? そんなものはどうでもいい。ここが勇者一行にとっては最後の地になるだろう。それだけで充分だ。


 小さな木造りの家の周囲にはさまざまな花が咲いている。ささやかな花をつけたハーブが多い。そのさわやかな匂いの中、今盛りなのは、炎にも似たサルビアの一群だ。見た瞬間、あの赤のようななにかが脳裏をよぎった気がした。
「バート」
「レキサンドラさまっ」
 飛びついてくるのは、半魔のバートだ。
 つい先だって見つけたバートは、王都の外れにある森の奥で暮らしている。
 五つほどの姿に見えるが、これで二十歳は過ぎているというから驚きだ。それでも、精神は外見に引きずられるというように、性格は、ガキだった。
「勇者一行がこっちに向かってきてるぞ」
 そう言っても頑としてここから離れようとはしないため、何度かようすを見に来ていた。
 町で暮らしたことすらないバートにどんなにひとが恐いかを聞かせても、実感はないらしい。
「ほんと、いい加減、俺と来い。こっち側よりはましだ。そのうちひとに殺されるぞ」
「オレがかくれんぼ上手いの、レキサンドラさまだって知ってるだろ」
 こいつが魔力を使って隠れると、俺には見つけ出すことができない。
「どうせオレの魔力は少ないさ」
「でもレキサンドラさま剣が強いからいいじゃん」
 なんで、オレが慰められてるんだ。
 釈然としないまま、オレが天井を仰ぐと、ハーブを干してる間からぼたりとなにかが降ってきた。
 オレの腕くらいの太さがある黒い蛇には、蝙蝠のような羽根が生えている。
 赤い目が、オレを覗き込んで、ちろりと舌先で鼻を舐めた。
「アルっ!」
「アルトロメオか。しっかりバートを守っているか」
 バートを拾って育てたというここに暮らしていた老婆がやはり拾った卵から孵った翼蛇だという。今の家主よりも立派な名前を持つ翼蛇の畳まれたままの蝙蝠の翼が、可愛らしく羽ばたいた。
「バートも、俺のところに来る気がないのなら、ピアスを外すなよ。魔力も使えなくなるが、魔の気配を消してくれる。たまに敏感な人間がいるというしな」
 バートにとっては耳にうるさい注意をくり返す。
 いうことを聞かないガキ(とはいえ、二十歳だが)には、執拗なくらいがちょうどいい。
 案の定バートの、
「しつこいですよ!」
という返事が聞こえてきた。
 バートを育てたと言う老婆は、拾い癖があったらしく、この小屋には他にも猫や犬、果ては三歳ほどの人間の幼児が一人いる。老婆が去年亡くなるまで、バートは老婆の広い懐で憂いなく生きてきたのだろう。だからこそ、俺の誘いを受け入れない。その理由のひとつには、口にはしないが、幼児の存在もあるにちがいない。
 わんぱく盛りの幼児は、自分の境遇を疑問すらなく受け入れて、今は俺の膝の上で翼蛇の羽根を弄んでいる。
 今はまだいいが、物心ついてからが心配になる。
 この幼児を人間の世界に残すなら、脳を弄って、ここでの暮らしを忘れさせなければならない。しかし俺の力では、ひとつ間違えば、廃人にしかねない。かといって、ガキを可愛がっているバートがそれを承知するとも思えない。
 俺たちの方に連れてくるなら、人間は、容易く色情に堕ちる。魔族の昇華されきらないあふれる魔力は、性への欲求へと変貌を遂げているため、もとより性に耽溺しがちな人間は簡単に染まるのだそうだ。
 半魔は、そうして生まれるはめになる。
 だからこそ俺たちは、性を厭う傾向にあるのだ。いや、より正確を期するなら、少なくとも、俺はそうなのだが、他の半魔とそういう会話をすることがないということになるだろう。
 俺は、相手が逆らうことのできない王でなければ、心底、やりたくない。
「レキサン」
 俺の名前をまだ正確に発音できない幼児が、髪を引っ張って気を惹く。
 見下ろせば、青い目が俺を見上げていた。
 青か。
 さして珍しい色ではないが、このきらめきが、勇者の目を思い出させてくる。
 彼女のまなざしを思い出す時、俺の心は、小波立つ。体温が上昇する。心臓が鼓動を速める。
 彼女の女性にしては低めの声で「レキサンドラ」と呼ばれれば、俺は、それだけで満たされる心地になるだろう。
 実際には、彼女は俺の名前を知らない。俺だって、彼女を勇者とだけしか知らない。
 実際には、俺は、彼女と敵対する存在でしかない。彼女は俺を敵としか思っていないだろう。
 それを悔しいと思ってしまう。
 寂しいと。
 これは。
 ああ。
 この感情は、いったい何なのだろう。
 俺は、知らない。
 こんな感情を、こんな感情にどんな名前がついているのかを、俺は、知らない。
 溜め息が自然にあふれて出る。
 相手をしない俺に飽きたのだろう。幼児は床で犬と猫を相手にしている。
「レキサンドラさまぁ。これ、どうぞ」
 アルトロメオがウサギを狩ってきたんです。
 差し出されたのは香草入りのウサギ肉のスープだった。
 縁の欠けた厚手の素焼きの深皿の中で、雑多な物が入ったスープが湯気をたてている。
「俺はいい」
 味がどう、見た目がどうとうことではない。バートの料理の腕前は老婆ゆずりで上手だから、味がちゃんとしていることは知っている。ただ俺の腹が減っていないだけのはなしだ。
「お前が食えばいい。もう少し煮込んでそこのガキにでも食べさせてやれ」
 残念そうな顔をしているバートの頭を撫でる。
 腹が減っていてもおかしくない頃合いだというのに、勇者のことを思うと、食欲が失せる。
 胸がつかえる。
 一食や二食食べなくても、さして影響はない。が、一応は魔族対勇者の戦時下だ。勇者がそろそろこの町に到着するだろうことは報告を受けていた。だとすれば、ここだとていつまで安全かわからない。
 今の自分の状態は、あまり好ましいものではない。
 できるなら解消したい。
 原因が勇者なら、解消できるのも勇者なのだろうか。
 溜め息が出る。
 天井を眺める。
 水分の抜けた香草がぶら下がっている。
 彼女の髪は、あんなかさかさした褐色じゃない。
 戦場にあってさえ目を射るような。そう、庭に咲いているサルビアの花のような、鮮やかな赤。
 俺の黒みがかった煙のような嫌らしい色の髪とは違う。
 彼女の性格にふさわしい、鮮烈な。
 この目で見たい。
 いつも、いつまでも、見ていたい。
 傍にいたい。
 傍に、いてほしい。
 もしもそうなったら、どんなに幸せだろう。
 幸せ。
 なぜ、幸せなのか。
 心臓が早鐘のように打つ。
 打ちつづける。
 この想いの正体を知りたい。
 しかし、同時に、知ってはいけないような気がする。
 知ったら最後。
 俺は、変わる。
 それが好ましい変貌であるのか、好ましくない変貌なのか、俺にはわからない。
 わからないから、不安になる。
 いつか死にたいと、総てを諦めた俺が怯える。
 その事実に、迸るような嘲笑が口をついた。
 それは、防衛本能だったのかもしれない。
 知れば、最後だと。
 それを知る時、なにかが、もしくは、俺に関するあらゆるものが、終わる。
 そんな予感がした。
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つづく




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