「お前が、心に住まわせてよいのは、私だけだ」
金の瞳にありありと怒りを露にする。
その瞳が近づいた。
噛みつくようなくちづけが、俺の息を奪い取る。
口腔を蹂躙する。
快なのか、苦なのか、それすらもわからなくなるほどに、俺の総てをそこから貪り、喰らい尽くそうとするかのようだった。
頭に血が上るような苦しさを覚えて我に返った時、俺は、暗い視界にラピスラズリの青が広がっているのに気づいた。所々に吹き付けられたような金砂が鈍く存在を主張している。
己の体勢に気づき、起き上がろうとして、叶わない。
何故。
手首に、膝に足首に、縛められている痛みを感じた。
首に巻き付けられていないのが、おそらくは幸いなのだろう。
幾重にも巻き付けられた細い鎖の感触に、王の怒りをまざまざと思い知らされる。
俺は、まるで仕置きを受ける囚人のような格好をしているのだ。
王の居室の低いテーブルに胴体だけをのせられている。
頭はテーブルから外れ、下がる血に暗く眩む視界に広がる青は窓を覆う帳の色だった。
可能な限り頭をもたげる。
王の白い顔が、金の瞳が、俺を見下ろしている。
その手にしたものが、鈍い光をやどしていた。
心臓が、小鳥のように震える。
耳の奥で、血液の循環する音が警鐘のように聾がわしい。
迫りあがる鼓動に、生理的な涙が込み上げてくる。
なにがどうとは未だに理解できてはいなかったが、それでも王の許容を越えたのだということだけは、わかった。それに臍を噛んでも遅すぎる。
今、俺に襲いかかるのは、ただ純粋な恐怖だった。
傍らに膝をついたのか、王の顔が近づいてくる。
鈍い光を宿すものを手にしたまま、同じ手で俺の片方の頬を撫でてくる。
その感触の奇妙なまでのやさしさと、手にするものとの対比に、背筋が、ぞわりと逆毛立った。
これは…………………。
同じだ。
あのときと。
巻き戻されてゆく。
俺の記憶が、巻き戻ってゆく。
王に抱かれた一番最初の時へと。
首を振る。
思い出したくなどないのだ。
記憶を追いやるように、闇雲に暴れた。
キリキリと、あちこちを縛める細いくせに強靭な鎖が、皮膚に食い込んでくる。
「イヤだっ」
散る涙が、俺の自制を、葬り去った。
「とうとう言ったな」
嘲笑を含んだ声が、耳元でささやかれる。
鳥肌が立った。
嫌悪に。
恐怖に。
近づいてくる白い美貌を避けようと、テーブルの上でずり上がろうとする。
走った痛みに、鎖が皮膚を裂いたのだと、ひとごとのように感じていた。
俺の頭を左右から掴み、
「この長い歳月、私を誑りつづけてきたことを、ようやく認めるのだな」
俺の目を覗き込みながら、
「この、裏切り者が」
ことさらゆるやかに、俺の耳朶を舐めあげるようにして、ささやいた。
「裏切りなど……」
ようやくのことで口にすることができたことばは、しかし、
「黙れ」
一言の元に切り捨てられた。
俺を凝視する金の瞳の底冷えするかのような光に、俺は、絶望を覚えずにはいられなかった。
「うっ」
頭を投げやるようにして解放される衝撃に、喉が詰まったような気がした。
死ぬのか。
望んでいた。
確かに。
しかし、それは、こんな、嬲られたあげくの無惨なものではなかった。
どうせなら。
できることなら。
過った色に息を呑んだ刹那、頬を張られた。
「お前の心はいつも私から逃げをうつ」
伸ばされた腕が、その手に握られたままだったナイフが、俺の着衣に触れた感触があった。
「いつも、いつもだ」
布の繊維が、断たれた。
「その心に私以外を宿すことが裏切りだと、逃げだと、わからぬか」
そのまま、布地ごとからだの上に赤い糸を引いてゆく。
「もう二度と私のものだと忘れぬよう、裏切らぬよう、覚えの悪いからだにも心にも、刻みつけてやろう」
火に炙られたようなじわりとした痛みが、広がってゆく。
もう駄目だ。
砕けた自制心は、掻き集めても掻き集めても、脆く崩れてゆく。
生理的なもの以外で涙を流したことなど、泣いたことなど、最初の一度きりだった。
悲鳴を上げたことも。
なのに。
「ごめんなさい」
とめどなく流れる涙は、生理的なものではなく。
「ごめんなさい、お父さんっ」
こみあげてくる悲鳴もまた、純粋な、恐怖からでしかなかった。
「イヤだ、イヤだっ」
着衣が剥ぎ取られ、素肌に直に空気を感じた。
傷が宿した熱が、空気をより冷ややかなものに感じさせる。
けれど、
「ああああっ!」
即座に灼熱へと転じた。
王が、傷を、滲む血ごと舐めすすった。
ぴちゃりと、舌舐めずりをするような音がする。
手も足も、胸も、あらゆるところが、痛かった。
痛くて痛くてたまらなかった。
心もまた痛みのあまり血をながしているのだと、この時の俺は、気づいてはいなかったけれど。
王の舌が、俺を翻弄する。
俺はまるで犬のような息をくり返す。
もはや痛みもなにもなかった。
あるのは、全身を苛む熱だった。
胸の飾りを嬲る舌と指とが、滲む血よりすら赤く淫らに尖らせてゆく。
そのまま達してしまいそうなほどに、俺のそこは、感じやすく育てられた。
けれど、簡単に達することが許されるはずもない。
これは、いつもの情交ではないのだ。
これは、仕置きだった。
俺を縛める鎖は未だ解かれることなく俺の肌に食い込み、血をながさせている。
淫らに身をよじらせるたびに、手首も膝も足首までも、血をながす。
イかせてほしい。
このまま。
けれど。
なにかが、俺の乳首に食い込んだ。
その痛みには覚えがあった。
いつだったか、俺の乳首を苛んだ、金細工がもたらすものだった。
ひりひりとした痛みが悦へと変じる。
「イヤだぁっ」
首を振りつづける俺の目から涙が散る。
「あっ」
王のくちびるが、舌が、じりじりと下がってゆく。
「あっ」
その向かう先がどこなのか。
息を詰めてようすを伺う俺を鼻で嗤い、王はそれの根元を縛った。
「くっ」
縛り上げ、俺を含み、高めようとする。
食いしばるくちびるとは逆に、心は悲鳴を上げた。
けれど、慣れた感触に、俺の男性器は容易く身をもたげてゆく。
縛められたそれが、俺の望む快を得ることは不可能だったが。
犬のような呼吸で、過ぎるそれをなだめようと努める。
このままでは、遂精できないままにイくことになるだろう。
その予感に、全身が震えた。
そこに、恐怖以外のものが混じっている事実が、俺を絶望へと突き落とす。
キリキリと、俺のものを縛ったものが、俺のものに食い込んでゆく。
熱を解放したい。
イきたいのだと。
俺の腰が、いやらしく揺れる。
「達っしたいか」
ただ、うなづいた。
なのにっ。
「うわぁっ」
涙も涎も、鼻水さえも流したまま、俺は目を見開いた。
なぜなら。
遠慮会釈なく俺の尿道を貫くものがあったからだ。
その正体を確かめる余裕などありはしない。
稲妻がおちてきたかの衝撃だった。
悶絶していただろう。
けれど、同時にその痛みが、俺の気絶を許しはしなかった。
「あ」
痛い。
「あ」
痛い。
「あ」
痛い。
「ああああああっ」
痛い。痛い痛い痛い。
それまでの快など総て吹き飛んでいた。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさいおとうさんっ」
ことばになっていたのかどうか。
俺はただ、謝りつづけた。
けれど。
「まだだ」
「わかっているだろう」
耳に届いた王の声は、淡々と恐ろしいことを告げてくる。
わかっている。
そう。
王が満足するまで。
王が満足しなければ、俺が解放されることはない。
けれども。
「ここも、存分に可愛がってやろう」
いらない。
この痛みは、堪えられない。
苦しくて痛くて、狂ってしまいそうだった。
「ここもまた、おまえのいいところになるだろう」
ならない。
なるわけがない。
嗤いさえにじませて恐ろしいことを口にする王に、俺は、ただひたすら首を横に振りつづけるだけだった。
それが引き抜かれた瞬間、けれど、俺は、達したのだ。
目の前が真っ白に灼けつき、脳さえもが蒸発したかの衝撃だった。
痙攣する俺のからだは、弛緩していた。
そうなって、俺は、ようやく総ての縛めを解かれた。
らしかった。
気がついた時、俺はテーブルの上に伏せていた。
そうして、今まさに、王の猛る欲望が、その欲する場所に押し当てられたところだった。
「ひっ」
慣らすこともなく、その灼熱の欲が、容赦なく俺を引き裂く。
新たな血の臭いが鼻を突く。
深く浅く、王が欲のままに俺を翻弄する。
そこに悦を見出すことは、もはや不可能だった。
俺は、木偶だった。
ただの、人形なのだ。
王の欲望を満足させるためだけの。
王の灼熱が俺の奥深くで精を解放させた時、俺はようやく意識を失うことを許されたのだった。
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