異端の鳥  7.苦 と 悦



「お前が、心に住まわせてよいのは、私だけだ」
 金の瞳にありありと怒りを露にする。
 その瞳が近づいた。
 噛みつくようなくちづけが、俺の息を奪い取る。
 口腔を蹂躙する。
 快なのか、苦なのか、それすらもわからなくなるほどに、俺の総てをそこから貪り、喰らい尽くそうとするかのようだった。
 頭に血が上るような苦しさを覚えて我に返った時、俺は、暗い視界にラピスラズリの青が広がっているのに気づいた。所々に吹き付けられたような金砂が鈍く存在を主張している。
 己の体勢に気づき、起き上がろうとして、叶わない。
 何故。
 手首に、膝に足首に、縛められている痛みを感じた。
 首に巻き付けられていないのが、おそらくは幸いなのだろう。
 幾重にも巻き付けられた細い鎖の感触に、王の怒りをまざまざと思い知らされる。
 俺は、まるで仕置きを受ける囚人のような格好をしているのだ。
 王の居室の低いテーブルに胴体だけをのせられている。
 頭はテーブルから外れ、下がる血に暗く眩む視界に広がる青は窓を覆う帳の色だった。
 可能な限り頭をもたげる。
 王の白い顔が、金の瞳が、俺を見下ろしている。
 その手にしたものが、鈍い光をやどしていた。
 心臓が、小鳥のように震える。
 耳の奥で、血液の循環する音が警鐘のように聾がわしい。
 迫りあがる鼓動に、生理的な涙が込み上げてくる。
 なにがどうとは未だに理解できてはいなかったが、それでも王の許容を越えたのだということだけは、わかった。それに臍を噛んでも遅すぎる。
 今、俺に襲いかかるのは、ただ純粋な恐怖だった。
 傍らに膝をついたのか、王の顔が近づいてくる。
 鈍い光を宿すものを手にしたまま、同じ手で俺の片方の頬を撫でてくる。
 その感触の奇妙なまでのやさしさと、手にするものとの対比に、背筋が、ぞわりと逆毛立った。
 これは…………………。
 同じだ。
 あのときと。
 巻き戻されてゆく。
 俺の記憶が、巻き戻ってゆく。
 王に抱かれた一番最初の時へと。
 首を振る。
 思い出したくなどないのだ。
 記憶を追いやるように、闇雲に暴れた。
 キリキリと、あちこちを縛める細いくせに強靭な鎖が、皮膚に食い込んでくる。
「イヤだっ」
 散る涙が、俺の自制を、葬り去った。
「とうとう言ったな」
 嘲笑を含んだ声が、耳元でささやかれる。
 鳥肌が立った。
 嫌悪に。
 恐怖に。
 近づいてくる白い美貌を避けようと、テーブルの上でずり上がろうとする。
 走った痛みに、鎖が皮膚を裂いたのだと、ひとごとのように感じていた。
 俺の頭を左右から掴み、
「この長い歳月、私を誑りつづけてきたことを、ようやく認めるのだな」
 俺の目を覗き込みながら、
「この、裏切り者が」
 ことさらゆるやかに、俺の耳朶を舐めあげるようにして、ささやいた。
「裏切りなど……」
 ようやくのことで口にすることができたことばは、しかし、
「黙れ」
 一言の元に切り捨てられた。
 俺を凝視する金の瞳の底冷えするかのような光に、俺は、絶望を覚えずにはいられなかった。
「うっ」
 頭を投げやるようにして解放される衝撃に、喉が詰まったような気がした。
 死ぬのか。
 望んでいた。
 確かに。
 しかし、それは、こんな、嬲られたあげくの無惨なものではなかった。
 どうせなら。
 できることなら。
 過った色に息を呑んだ刹那、頬を張られた。
「お前の心はいつも私から逃げをうつ」
 伸ばされた腕が、その手に握られたままだったナイフが、俺の着衣に触れた感触があった。
「いつも、いつもだ」
 布の繊維が、断たれた。
「その心に私以外を宿すことが裏切りだと、逃げだと、わからぬか」
 そのまま、布地ごとからだの上に赤い糸を引いてゆく。
「もう二度と私のものだと忘れぬよう、裏切らぬよう、覚えの悪いからだにも心にも、刻みつけてやろう」
 火に炙られたようなじわりとした痛みが、広がってゆく。
 もう駄目だ。
 砕けた自制心は、掻き集めても掻き集めても、脆く崩れてゆく。
 生理的なもの以外で涙を流したことなど、泣いたことなど、最初の一度きりだった。
 悲鳴を上げたことも。
 なのに。
「ごめんなさい」
 とめどなく流れる涙は、生理的なものではなく。
「ごめんなさい、お父さんっ」
 こみあげてくる悲鳴もまた、純粋な、恐怖からでしかなかった。
「イヤだ、イヤだっ」
 着衣が剥ぎ取られ、素肌に直に空気を感じた。
 傷が宿した熱が、空気をより冷ややかなものに感じさせる。
 けれど、
「ああああっ!」
 即座に灼熱へと転じた。
 王が、傷を、滲む血ごと舐めすすった。
 ぴちゃりと、舌舐めずりをするような音がする。
 手も足も、胸も、あらゆるところが、痛かった。
 痛くて痛くてたまらなかった。
 心もまた痛みのあまり血をながしているのだと、この時の俺は、気づいてはいなかったけれど。
 王の舌が、俺を翻弄する。
 俺はまるで犬のような息をくり返す。
 もはや痛みもなにもなかった。
 あるのは、全身を苛む熱だった。
 胸の飾りを嬲る舌と指とが、滲む血よりすら赤く淫らに尖らせてゆく。
 そのまま達してしまいそうなほどに、俺のそこは、感じやすく育てられた。
 けれど、簡単に達することが許されるはずもない。
 これは、いつもの情交ではないのだ。
 これは、仕置きだった。
 俺を縛める鎖は未だ解かれることなく俺の肌に食い込み、血をながさせている。
 淫らに身をよじらせるたびに、手首も膝も足首までも、血をながす。
 イかせてほしい。
 このまま。
 けれど。
 なにかが、俺の乳首に食い込んだ。
 その痛みには覚えがあった。
 いつだったか、俺の乳首を苛んだ、金細工がもたらすものだった。
 ひりひりとした痛みが悦へと変じる。
「イヤだぁっ」
 首を振りつづける俺の目から涙が散る。
「あっ」
 王のくちびるが、舌が、じりじりと下がってゆく。
「あっ」
 その向かう先がどこなのか。
 息を詰めてようすを伺う俺を鼻で嗤い、王はそれの根元を縛った。
「くっ」
 縛り上げ、俺を含み、高めようとする。
 食いしばるくちびるとは逆に、心は悲鳴を上げた。
 けれど、慣れた感触に、俺の男性器は容易く身をもたげてゆく。
 縛められたそれが、俺の望む快を得ることは不可能だったが。
 犬のような呼吸で、過ぎるそれをなだめようと努める。
 このままでは、遂精できないままにイくことになるだろう。
 その予感に、全身が震えた。
 そこに、恐怖以外のものが混じっている事実が、俺を絶望へと突き落とす。
 キリキリと、俺のものを縛ったものが、俺のものに食い込んでゆく。
 熱を解放したい。
 イきたいのだと。
 俺の腰が、いやらしく揺れる。
「達っしたいか」
 ただ、うなづいた。
 なのにっ。
「うわぁっ」
 涙も涎も、鼻水さえも流したまま、俺は目を見開いた。
 なぜなら。
 遠慮会釈なく俺の尿道を貫くものがあったからだ。
 その正体を確かめる余裕などありはしない。
 稲妻がおちてきたかの衝撃だった。
   悶絶していただろう。
 けれど、同時にその痛みが、俺の気絶を許しはしなかった。
「あ」
 痛い。
「あ」
 痛い。
「あ」
 痛い。
「ああああああっ」
 痛い。痛い痛い痛い。
 それまでの快など総て吹き飛んでいた。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさいおとうさんっ」
 ことばになっていたのかどうか。
 俺はただ、謝りつづけた。
 けれど。
「まだだ」
「わかっているだろう」
 耳に届いた王の声は、淡々と恐ろしいことを告げてくる。
 わかっている。
 そう。
 王が満足するまで。
 王が満足しなければ、俺が解放されることはない。
 けれども。
「ここも、存分に可愛がってやろう」
 いらない。
   この痛みは、堪えられない。
 苦しくて痛くて、狂ってしまいそうだった。
「ここもまた、おまえのいいところになるだろう」
 ならない。
 なるわけがない。
 嗤いさえにじませて恐ろしいことを口にする王に、俺は、ただひたすら首を横に振りつづけるだけだった。
 それが引き抜かれた瞬間、けれど、俺は、達したのだ。
 目の前が真っ白に灼けつき、脳さえもが蒸発したかの衝撃だった。
 痙攣する俺のからだは、弛緩していた。
 そうなって、俺は、ようやく総ての縛めを解かれた。
 らしかった。
 気がついた時、俺はテーブルの上に伏せていた。
 そうして、今まさに、王の猛る欲望が、その欲する場所に押し当てられたところだった。
「ひっ」
 慣らすこともなく、その灼熱の欲が、容赦なく俺を引き裂く。
 新たな血の臭いが鼻を突く。
 深く浅く、王が欲のままに俺を翻弄する。
 そこに悦を見出すことは、もはや不可能だった。
 俺は、木偶だった。
 ただの、人形なのだ。
 王の欲望を満足させるためだけの。
 王の灼熱が俺の奥深くで精を解放させた時、俺はようやく意識を失うことを許されたのだった。


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つづく




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