異端の鳥  22.前勇者 2




 この世界にいても、私にはこの世界のことはわからない。
 当然だろう。
 私はただの虜囚で、例の塔から出されたとはいえ、仮に今現在であれ性を強要されれば逆らえる身の上ではない。
 そんな者にこの世界の仕組みを教えるものなどいるはずもない。
 私はただ命じられた通り、魔王の息子、王子と呼ぶべきかどうか悩むのだが、レキサンドラでいいと彼が言うから呼んでいる彼に、剣を教えつづけている。

 ふと、地面が揺れた気がした。
 暗黒の太陽が照らす世界であるが、周囲が薄暗くなったような気もした。
 周囲を見回すが、これと言った変化も見当たらなかった。
 そう思ったのだ。
 が。
 事実は違った。
 反射神経の衰えを思い知らせるかのようにレキサンドラが跳ね起きた。
 ゴーレムもまたそれには不釣り合いな反射神経を見せる。
 私も老けたものだ。
 起き上がりながら、場に似合わぬ感慨が頭に浮かんだ。
 腰に吊った剣を抜こうとした刹那、突き飛ばされた。
「逃げろ」
 悠揚迫らぬ声に、ようやく、緊迫しているのだと知る。
 目の前に、大小の背中。そうして、灰色のような巨大な、影。それは、彼方の小さな黒い点から続いていた。それが一気に近づいてきたのだ。
「ドラゴンっ」
 呻いていた。
 長細いとはいえ、胴の太さは遺跡の柱数本分にもなるだろう。
 長大な身体を空に浮かべているのは、蝙蝠と同じ冗談のように小さな一対の翼だ。
 何故こんなものが。
 しかも、このドラゴンには首が二つある。
 そうして、互いが互いを食い殺そうとしているのだ。
 こんなものに押しつぶされては、命はない。
 腹の底が震えるようなうなり声を発しながら、ドラゴンは身食いをくり返しつづけている。
 私はただ呆然と突き飛ばされたままだった。
「王……か?」
 そんな私の耳に、レキサンドラのつぶやきが転がり込んでくる。
 王?
 ドラゴンの?
 首を喰らわれている側の金の目が、血走り私達を見下ろしていた。
 喰らっている側の首の目は、血の色に塗りつぶされている。
「御子よ………」
 ゼリゼリと、金目の首から声が発せられた。
「我らが尊い主の唯一の御子よ」
「我が二つの首を一刀の元に斬り落とせ」
と。
 半ば命令するかのようなそのことばは、淡々としているようでいて、渾身の力を集めることで発せられていたのだろう。
「何故」
 返すレキサンドラに、喰らわれる首が、
「我の意識があるうちに、断ち落としてくれ」
と、懇願した。
「でなければ、我は反逆の徒に堕ちるのだ」
 もはや息も絶え絶えであるのだろうに、金目のことばは聞き取りやすかった。
 これまでレキサンドラは、生き物を剣で殺したことはない。だからだろう、躙り下がろうとするそぶりが見えた。
   しかし、
「頼む」
と、ドラゴンの流す涙が、彼の怯懦をも流したのだろう。
「承知」
 言いざま跳躍した。
 それは、みごとな跳躍だった。
 ゴーレムの差し出す掌を踏み台に、全身をバネにして飛び上がる。
 金目の肉を口にした赤目のドラゴンの首に、いつの間にか金目のドラゴンが食らいついていた。
 長大な全身がくねり、尾が私の目の前に迫った。
 気がついた時には、遅かった。
 けれど、私に、逃げる気などなかった。これは好機だ。レキサンドラにはもう教える剣はない。私はただの老いぼれだ。もはや私には、なにもない。この世界に囚われたまま徒に死を待つのか。そんな隠居めいた最後の時が私に許されるのか。それは、疑問だった。不安だった。恐怖だった。
 音たてて肉が落ちた。
 赤目のドラゴンの口が、怒りの咆哮を放つ。それと同時に、私はドラゴンの尾に弾き飛ばされたのだ。
 大地が私の全身を受け止める。その容赦のない固さを全身に感じながら、私は唯一の教え子がドラゴンの二つ首を一刀の元に切り落とすのを見た。
 二つの首と長大な胴が大地に落ちる。
 その地響きに、私の傷ついた身体が再び跳ねる。
 しかし、もう痛みは感じなかった。
 気がつけば、金の双眸が私を見下ろしている。
「死ぬのか」
 淡々と事実を口にするその朱唇に、残酷な微笑が刷かれる。
「役目大儀であった」
 魔王の低い美声に、焦ったようなレキサンドラの声がかぶさって聞こえた気がした。
 彼の知るはずのない名を、彼が叫んだような気がした。
 そうして、それが、私の最後に目にし、耳にしたものとなったのだ。


 意識は薄れ、やがて、総ては、無となった。


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つづく




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