少女  1




 闇しか知らない少女が、深い闇に囚われた青年と出逢ったのは、木枯らしが吹き荒ぶ晩秋の公園だった。
 長く暑い夏の名残りが、突然寒波へと変わったその日、少女は独りベンチに腰を下ろしていた。
 迎えに来てくれるはずの父親は、まだ来ない。
 風に煽られて、押さえていた手から毛糸で編んだストールが奪い去られた。
 どこに飛んでいったのか、わからない。
 少女は、動くことさえできなかった。
 少女が勝手にどこかへ行ってしまわないようにと、父親はステッキを少女に渡さなかった。
 それは、以前、少女が迷子になったことがあったためだ。
 そんなに遠くへ動いたつもりはなかったのだけれど、自分がどこにいるのかわからなくて、とても怖くて、べそをかいてしまった。それからだ。父を待つ時にステッキを渡してくれなくなったのは。
 父の言いつけはいつも二つ。
『ここから動いてはいけないよ』
 それと、
『声を出したり歌ったりしてはいけない』
 ステッキがなければ、怖くて動けないのに。
 お父さんがいないのに歌ったって楽しくはないのに。
 ストールがないせいで風に体温が奪われて、震えるほどの寒さに外套の合わせを掻き寄せた。
 自分の座っている周囲がどうなっているのかも、少女にはわからない。
 父が自分を連れて何かから逃げているらしいことは、少女には薄々とだけれど、わかっていた。
 何から逃げているのか、訊いてはいけないような、そんな雰囲気を父はまとっていた。だから、いつも訊きそびれていた。
 父はやさしかったけれど、穏やかだったけれど、なにか張りつめたものをまといつかせていた。
 それを言いあらわすことばを少女はまだ知らなかったけれど。
 それほどまでに少女は幼かったのだけれど。
(引っ越すの、いやだな………)
 それは、少女の本音。
 頻繁に引っ越した。もう何度目になるのか、少女は覚えてはいない。
 いつも、引っ越すのがいやで、父を困らせた。
 それに、今朝は、いつもとは違っていた。
 突然、父に叩き起こされた。
 着換えも顔を洗うのもそこそこに、パジャマの上から外套を着せ掛けられて、ストールをぐるぐるに巻きつけられた。厚手の靴下を履かされてブーツを履いたので、ちょっと足が痛かった。
 その間中、父は無言だった。
 いつも引越しは、突然だったけれど、今朝のように慌しいのははじめてだった。
 やっと慣れ親しんだ家の間取り。何歩歩けばどこの壁とか、ここから何歩でこの部屋を出ることができるとか、やっと覚えたというのに、また一から覚えなおさなければいけないのだ。覚えるまで、何度も壁や棚にぶつかって、痛い思いをする。
 何が嫌と言って、それが一番いやだった。
 お気に入りの人形を抱きしめて、『いや』と言ったけれど、父は答えなかった。
 全身で抵抗したけれど、やはり父は何も言わなかった。
 だから、とても、不安になったのだ。
 いつもは、父は自分の駄々に困ったような溜息をつき、抱きしめてくれる。そうして、次の引越し先には何があるとか、気をひくことを言うのが常だった。なのに、今朝は違っていた。
 黙ったままで、腕を引いた。
 痛いと叫んでも、止まってはくれなかった。
 途中で父は馬車を止め、どこか地名を口にした。父が喋ったのはそれだけだった。
 あとは、馬車の車輪が石畳を刻む音と、馬の蹄鉄が石畳を駆ける音といななき、馬丁が駆ける短い命令や鞭の弾ける音ばかり。
 永遠につづくような、長い時が過ぎて、やっと、馬車から降りた。そうして、また歩いたのだ。
 ずんずんと、手を引っ張られ、小走りで父についていった。そうして、やっと、
『ここから動いてはいけないよ。それに、喋ったり歌ったりしてもダメだ』
と、ベンチに腰掛けさせて、頭を一つ撫でてくれたのだ。
 かさかさと、かわいたセロファンの触れ合う音がして、口の中に、甘い飴が放り込まれた。
 飴玉がとけきる前に、砕いて食べてしまったけれど。
 お腹がすいてたまらなかったけれど。
 寒くてたまらないけれど、ここで父を待っていなければいけない。
 待っていれば、必ず来てくれる。
 いつだってそうだったのだから。
 きっと、両手いっぱいに何か食べ物を持って、戻ってくるのだ。
『遅くなったね』
 そう言って、サンドイッチか何かを渡してくれる。
 ほこほことあったかい甘栗かもしれない。
 そうして、それを食べて終わったら、次の家に連れて行ってくれるのだ。
 きっと。
 少女は人形を抱きしめ、ぎゅっと人形のドレスに顔を埋めた。


 なんだろう。
 呼ばれたような気がした。
(寒い………)
 からだが小刻みに震えている。
 空気が冷たい。
 風はまだ吹いている。
 ドスンと、何かが倒れるような音がした。
 鼻先を、鉄さびた匂いがかすめた。
「お父さん?」
 約束を破ったことに気づき、慌てて口を押さえた。
 立ち上がろうとして、ベンチから転がり落ちた。
(痛い……)
 膝をしたたかに打って、泣きたくなる。
 それだけで、自分がどっちを向けばいいのか、混乱した。
 手で探り、それまで座っていたベンチの座面に触れる。
 人形の硬い手触りにホッとして、少女は立ち上がった。


to be contenued
from 13:52 2002/10/28
up 13:26 2003/07/16

あとがき

極道ですね。あいかわらず。書きはじめた日付を見れば、いつまで抱え込んでるんだ〜と、自分で自分を殴りたくなります(^^ゞ)
 いえ、まぁ。短編のつもりで書き出して、まだ抱えてるんですもんね。
 あいかわらず伸びる伸びる。しかも、真夏に冬の話出さんでもええやんって感じですし。寒くていいかなと。
 それはともかく、たぶん、ベタな話ですこれ。話が二転三転するので、この辺で思い切りをつけるためにも一回目UPです。
 少しでも、楽しんでいただけると、う、うれしいのだけどなぁ………
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