暫定 無題 3
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「レィヌ」
熱をはらんだ声が、耳を犯してくる。
レィヌと呼ばれることで、己が誰の代わりを果たしているのかを自覚させられた。
耳腔をなぶられ、耳朶を食まれ、背筋に戦慄が走る。
刹那冷えた汗に寒いと思った。しかし、すぐさま消え去る。
目の端に深紅のリボンが見えた。
シーツの上にとぐろを巻くそれが呪縛は解けたと、問わず語りに伝えてくる。
しかし、それがどうだというのだろう。
この身はすでに相手の腕の中なのだ。
この身の内側はすでに熱に侵されている。
深く密着したからだが、己の欲が目覚めていることを相手に伝える。
喉の奥で小さく笑われて、全身が羞恥で焼けつくような熱を感じた。
それだけで。
たったそれだけのことで、疾うに慣らされきっているからだは容易いほどに。
からだはこれから起きるだろうことに期待を隠さない。
隠すことができない。
その羞恥。
その屈辱。
その背徳感。
ふるふると小刻みに震える全身に、嫌悪が湧き上がる。
呪いの小道具が解けた今、全ては唾棄したいものでしかなかったからだ。
目をきつくつむり、眉根を寄せる。
くちびるをかみしめた途端、
「傷がつく」
軽く、戒めるかのように頬を張られた。
痛くはないが、衝撃に我に返った。
そのせいで、己の有様をより生々しく思い知らされる。
何をしているのだと。
まざまざと、理解してしまう。
己を見下ろしてくる端正な顔が、恐ろしくてならなかった。
「レィヌ」
甘くとろけるような囁きに、その深い色のまなざしに、狂気を感じて、絶望を覚える。
「どうしてっ」
尚も熱を煽ろうと弱い箇所を執拗にまさぐってくる手に、悲鳴のような声が出た。
「なにがだ」
「………………………義母上がっ」
そんなことを問いたいのではなかったが、己の真に問い詰めたい疑問に対する答えはわかりきっていた。返されてくる答えは、いつも僕を韜晦しようとするものに決まっているのだから。
追い詰められた脳が、問いをどうにか形にするのに、少し、かなり、時間が必要だったけれど。
「ああ。あれは、うるさいものどもを黙らせるために必要だったのだ」
面倒臭い。
呟く声には苛立ちが潜み、手の動きがやわらかなものから激しいものへと変わってゆく。
「柵(しがらみ)は少なければ少ないほうがいい。だからこその選択だ」
古くから今に続く貴族の常として、血の濃い薄いは別として親族の数は多い。そんな彼らが後添いをとうるさいのは僕の耳にまでなんとなくとはいえ入ってくるくらいだから、黙らせるには妻を迎えることが必要ではあったのだろう。しかし、新たな妻には新たな親族がついてくる。貴族の出であれば旧弊な諸々が”彼”を煩わせるだけでしかなく。ならばと遠隔の植民地の富豪の娘、しかも、後妻の連れ子を選んだのだと、淡々と告げてくる。
しかし、その内心には苛立ちが募っているのだろう。
「お前以外を抱く気はないというのに。アークレーヌ」
獰猛なうなり声のような低い声で”僕”自身の名前を囁かれて、全身が恐怖にすくみあがった。
まさぐってくる手は、激しさを増すいっぽうだった。
自由になっていた両手に思い至って、怠いそれでできるだけ声を潜めるべく口を覆う。
くちびるを噛んでしまえばまた頬を張られるだろう。痛みはさして感じなくても、性感を昂められた今そんなことをされては、たまらない。
なのに。
「声を抑えるな」
無情な声に、首を左右に振った。
髪がシーツにあたり、いつの間にかながれていた涙が、シーツを濡らす。
嫌だというのに。
嬌声よりも拒絶の声をこそ噛んでいる事実を、おそらく”彼”は知っている。
ほどけたリボンが、この夜にかけられた呪いが解けたことを告げているのだから。
「おまえの、真の声を聞きたい」
無理やり外された手がシーツに縫いとめられる。
おそらくは執拗な蹂躙を受けただろうそこは”彼”を拒絶することはできず、当てられた切っ先に僕の意思を無視した喜びをあらわにする。
そうなると、出るのは、ただ、
「いやだっ」
堪えきることができない拒絶だけだった。
「アークレーヌ」
目を細めた”彼”、父の表情が、遠い東洋の不気味な面めいて僕を見下ろしていた。
つづく
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